第18話 始まりは冬の夜

 かすかに木の軋む音を立てて、繊細な彫りが施された扉が閉まった。

 ゆったりとした広さの客間。子どもが一人で泊まるには十分な広さ。

 窓からはお日様の光が差し込んで、開け放てば二階から中庭を見下ろせそうだ。窓の側にはベッドが置かれて、真っ白のシーツが掛けられている。部屋の真ん中には机と椅子。食事をとる事も、何か書き物をする事も出来るだろう。


 一人、客室に取り残されたヴァルナは黙って扉を見つめる。ローレルに連れられて来た神殿は、とても立派で大きくて……なんだか怖かった。

 ここは神殿の分所だと聞いたが、ヴァルナからすればこんな立派な建物が分所なら、本殿は一体どれだけ凄いのだろうと想像もつかない。

 この分所へ着いてから、ローレルはやる事があるからと客室をあてがわれて、ヴァルナは休むように言われた。


 建物も調度品も、職人が丹精込めて作り上げたのだろう。

 とても立派で綺麗で素晴らしい造りなのに、完成された美しさはどこか冷たく感じてしまう。手作りの温もりを感じられるものに囲まれて育ったからか、どうにも居心地が悪かった。


 大丈夫、大丈夫だよ。

 言葉には力があるってお母さんが言ってた。大丈夫だよって言葉は、魔法みたいに元気にしてくれるって。失敗しても、落ち込んでも、上手くいかなくっても。大丈夫だよ。それは頑張ってる証拠だから。

 私が泣いたり癇癪起こすと、決まって優しく背中をとんとんしてくれた。抱っこして、大丈夫の歌を歌ってくれた。


 鼻がつーんとして、ぐわーっと泣きたい気持ちが飛び出そうになってきた。おかあさん。おとうさん。

 大丈夫……ほんとに、だいじょうぶ?


 思わずその場にしゃがみこんだヴァルナの膝へ、足元でスリスリと頭をこすりつけていたフィルが前足を乗せてきた。精一杯伸びをして、ヴァルナの頬を舐める。


「わっ! びっくりしたぁ……ふふ、ありがとう。元気付けてくれるの?」


 ウォンっ!


 目が合うと、嬉しそうに一声吠える。ふさふさ振られる尻尾が、大好きも頑張れも真っ直ぐ伝えてくれる気がして、ヴァルナはフィルの頭を優しく撫でた。


「あったかいね、フィル。ん、なんかお腹すいてきちゃった。食べていいってご飯置いてってくれたし、一緒に食べようね」


 そっとフィルの両足を床に降ろして、ヴァルナは立ち上がった。

 ヴァルナの通された部屋は、掃除の行き届いた小綺麗な一室。フィルが汚してしまわないかとドキドキするけれど、ローレルがフィル用にと色々置いてってくれた。

 適当な木箱に砂を入れたトイレや、水飲み皿。ご飯も料理の時に出たんだろう野菜やお肉の切れっぱしを茹でたもの、それらを陶器のお皿に持ってきてくれたのだ。

 部屋の隅に置かれたご飯をチラチラ見てはいるが勝手に食べないフィルに、食べておいでと促した。嬉しそうに、お皿へ顔を突っ込むフィル。はぐはぐと元気よく食べる。


 どうして動物が何かを食べるところって、こんなに可愛いんだろう。そう思いながら、ヴァルナは部屋の真ん中あたりへ置かれたテーブルとイスに座る。

 大人用だから、足がつかない。ぶらぶらりん。お行儀が悪い? 誰も見てないもの。誰も、今は私を見てないから。


 また込み上げてきそうになって、急いでミルクティーを一口飲んだ。


「っあまぁーーーい!」


 砂糖だ! 砂糖が入ってる! 蜂蜜の甘さとは違う。ただただひたすらに、甘さが甘いって口の中へ染みわたる。それも、粗糖の色んな混ざりっけがある甘さじゃない、純粋な甘さ。

 今まで数えるほどしか口にした事のない甘さに、ヴァルナはゆっくり少しずつ舌の上で味わって飲んだ。


 カップに半分程飲んでから、ほうっと感嘆をついて今度はサンドイッチに手を伸ばす。机の上には、お肉と野菜、卵のサンドイッチ。後、白いふわふわしたものと苺が挟まったサンドイッチ。

 あの白いのはなんだろう? 綿みたいな雲みたいな、初めて見る。


 まずは自分も知っている卵のサンドイッチから食べる。美味しい。お肉と野菜のも、美味しい。

 あっという間に食べてしまった。ふはぁ、と人心地ついたところで雲と苺のサンドイッチに手を伸ばす。


「…………」


 声も出なかった。ただただ味わって食べた。美味しくて美味しくて夢中で食べた。


 こんなに悲しくても、どうしたって苦しくっても、おなかはすくんだ。それで、美味しいものはやっぱり美味しいんだ。


 そう、最後の一口を食べ終えて、ヴァルナは空っぽのお皿を見つめる。


 いつか、いつか、お母さんとお父さんに、この雲のサンドイッチを作ってあげよう。ローレルさんに聞いたら、きっと何で出来ているのか教えてくれるよね。そんで、またお家で、私のお家で、三人で食べよう。

 ううん、フィルもいるしローレルさんも誘ってみよう。きっと、凄く楽しい。


「うん! 大丈夫! ごちそうさまでした」


 今度こそ、嘘じゃない笑顔で高らかに宣言した。







 神殿の分所の奥まった一室。換気口も窓もあるのに、空気が澱んで停滞しているように感じる暗い部屋で、ローレルは報告をしていた。


「……といった状況で、両親については生死不明です。少女自身は、一見何の変哲も無いただの子どもに見えますが、確かに水晶が反応しました。かつて聖女の拘束具として作られた戒めの欠片が」


 一通りの報告を終えて口を閉じたローレルに、書き物机を挟んで向かい合って座る壮年の男性が、短く重い息を吐いた。


「そうか。年の割に随分と大人びてはいるようだが、前世の聖女だった頃の記憶はまだ見受けられんのだな」


 トントンと、二回ほど指で机を軽く小突く。思考する時の、彼の癖だ。沈黙する男性の言葉をローレルはただ静かに待つ。まるでよく飼いならされた動物が、主人の命令を待つかのように。

 実際、赤子の頃に神殿の石段へ捨てられていた自分を拾ったのは、この人だ。

 養い親であり、上司であり、神殿の高位神官の一人。拾われてからもう15年。彼に育てられてきた。養われたという意味でも、裏の仕事を仕込まれたという意味でも。


「分かった。今の所、お前に一番懐いて心を許している。自分を助けてくれたと信じてさえいるのだからな。本殿へ急ぎ連絡を取る間、引き続きお前が身の回りの世話と監視をするように」


 それだけ言うと、彼は再び机上の書類に視線を落とした。自分を見ていないと分かっていて、ローレルは一礼し退室する。

 閉じた部屋の扉に背を向けて、一度、目を閉じた。


 僕の、親。15年育ててくれた、親。温もりを感じた事は無い。人と違って獣人の血を引く分、成長が早い自分をそのまま受けれてはくれた。

 いや、ただ育てる手間が省けたくらいにしか思われていないかもしれない。獣人の血を引いて成長が早い為、10歳になる頃には人で言う成人の体格へ成長した。

 外見は完全に成人男性に見えるローレルだが、その実まだ15歳。


 何故か、無性にヴァルナの暖かい笑顔が見たくなった。

 ひだまりみたいな、優しい笑顔。素直な笑顔。会いたい。でも、会いたくない。僕は汚いウソつきだから。

 でも、彼の……育ての親、フォルステライトの言葉に逆らうなんて事はありえない。

 彼女を効率よく連れてくる事、それだけが任務だった。そこに、彼女の両親への安全や配慮は含まれていない。迅速に任務を遂行する事が全てだった。


 そこまで考えて、ぞっとした。


 フォルステライトに逆らうなんて、ありえない。それが、ありえないとさえ、あるかもしれないとさえ、今まで考えた事は無かった。


 動揺を抑えるように、ぐっと拳を握ってローレルは足早に立ち去った。

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