第24話 始まりは冬の夜

「ふむふむ、魔力を植物の栄養素にして育てる事も出来るんだ。んん? なんだろう、肥料みたいな栄養っていうのとはちょっと違うかも。えっと、これは、なんて読むんだっけ、恩恵……いや加護かな。特別な性質を与える、みたいな感じなのかなぁ」


 図書室の秘密の小部屋で、暗号言葉の本を読み進めるヴァルナ。

 文字が読めるようになった頃から、遊びとして両親と使ってきた暗号言葉。毎晩寝る前のご本で読み聞かせしてもらって教わったそれを、まるで公用語を読むようにドンドン読んでいく。それが、失われつつある古代語とは気付かずに。





 夕闇に、鴉が鳴いた。

 カーカー啼いた。

 赤い雲を飛んでった。

 あの鴉は、何を泣いたのか。


 読書を終えて、いつものように図書室から客室へ戻るヴァルナは、どこからか聞こえた鳴き声に空を見上げた。赤い空は燃えているようだ。

 夕日に燃える空を、深紅の瞳に映す。普段は黒っぽく見える瞳が、紅々と輝いて空を映す。瞳が赤を映すのか、空が紅を返すのか。


「ヴァルナ、やっぱり図書室だったのか。ちょうど探してたんだ」


 廊下の途中で立ち止まったままのヴァルナに、後ろから声がかかった。

 振り向いた先に佇むローレルは窓から差し込む赤に染められて、なんだか血を流しているように見えた。


 あ、うそっこの笑顔だ。あの笑顔。ローレルさんがいつも着けてる仮面みたいな、悲しい笑顔。


 ニコニコと人の好さそうな笑顔を張り付けて、ローレルは足早にヴァルナの元へ。言い訳のようにペラペラ言葉を零して歩く。


「君に会わせたい人がいるんだ。ああ、会うって言っても構える必要は無いんだ。難しい事とかじゃ無いよ、ただ、君の苦労は大変なものだからね。それを理解したい。その為にはまず対話をする事が何よりだと、会いたい人がいるんだ」


 自室で読むようの本を両手で抱えたまま、ヴァルナは悲しくなった。


 どうしてだろう。どうして、この人の笑顔はこんなに嘘っぽいんだろう。

 もし、嘘の笑顔なら、それってとっても悲しい事ね。だって、そうしなきゃいけない理由があるって事だもの。

 自分に嘘つくって、辛い事だわ。どうしたって、自分は誤魔化せないもの。そんな事したら、自分が自分を責めてしょうがないわ。

 それでも、どんなに責められても、自分からは逃げられないのよ。


 悲しい気持ちを押し込んで、ヴァルナもうそっこの笑顔で見上げた。


「はい。私は特別な苦労なんてしてないです。みなさんが良くしてくれてますから」


 そんなヴァルナにローレルの頬が一瞬引き攣ったように見えたが、すぐになんでもない様子で行先へ連れて行かれた。






「はじめまして。私はフォルステライトだ、今はこの分所で色々なまとめ事をしている。その為に、広く話を聞きたいと思ってね。そう固くならず、楽になさい。ああ、茶菓子の用意もあるから、食べると良い」


 ローレルに連れられて来た一室で、固まるヴァルナの前に美味しそうなクッキーとお茶が出された。

 木の実と蜂蜜ぎっしりで固められたクッキーは、部屋に入った時から甘い香りを放ちヴァルナの食欲を刺激していた。

 けれど目の前にいるおじさまの何とも言えない威圧感に、ヴァルナの体は緊張したまま。机を挟んで向かい合い、カチコチと長椅子に座る。


 まるで村長さんみたい。ここのまとめ事をしてるって言ってたし、似たようなものなのかな? なんだか背筋がぴんって伸びちゃう。私、お行儀よく出来てるかな。


 畏まるヴァルナに、フォルステライトは柔和な笑顔を浮かべた。


「今回は、大変だったね。ローレルから聞いている。ご両親の事も、また会えるよう手を尽くそう」


「は、はい。ありがとうございます」


「今は、図書室へ足繁く通っているそうだね。何か興味を引く本でも? ああ、今君が手にしているのは、大人でも中々読むのに骨を折るものだ」


「あの、はい。色んな本があって、面白いです。その、家でも良くおか……母と本を読んだり、文字遊びをしていましたから」


「そうか。ふむ。いや、そこまで字を読めるというのは、君の年齢では珍しい事でね。ご両親の教育が行き届いているのだな」


「はい、あの、そんな凄いのじゃないです。遊びながら覚えて、その、お勉強がちゃんと出来ているかは分かりません」


「そうか。気に入った本があれば、書き写しても良い。良い手習いにもなるだろう。後で、書く物を用意させよう」


 その言葉に、ヴァルナの顔が綻んだ。読むのも好きだが、書くのだって楽しい。日記をつけられるかもしれない。


「ところで、慣れない環境で戸惑う事も多いと思うが、他に何か困った事や、気になる事はないか? 最近、変わった事でも」


 その言葉に、本を横に置いてクッキーへ伸ばしかけた左手が止まる。左手、手の甲、不思議な痣。すぐに消えたけれど、フィルと初めて会った時に起こった怖い事。へんてこな事。


「いえ、無いです」


 ドキドキしながら答えるヴァルナに、フォルステライトは微かに目を窄めた。が、それ以上深追いはせず、雑談しながらお茶とお菓子を振舞ってヴァルナを下がらせた。


 厳めしいおじさまに緊張しきりだったヴァルナは、ローレルに送られて部屋へ戻る廊下を歩きながら考えていた。


 あの事。フィルと出会った時の怖かった事も、ローレルさんに話してみようかな。でも、変な子って思われちゃうかな。だって、もうなんの痕も無いんだもの。フィルだって、ただの犬にしか見えないし。


 俯きがちに歩くヴァルナの隣で、ローレルもまた迷っていた。


 フォルステライトの揺さぶりというのが、こんな他愛無い談笑の筈がない。どういう事だろう。聖女相手だからと、いつもより慎重になっているだけなのだろうか。


 無言のまま部屋に着き、ヴァルナはローレルを見上げた。


「あの、ありがとうございました」


「うん、何か困った事があれば、気軽に話して」


 そうぎこちなく微笑む様は、いつもの張り付いたような笑顔より拙くて幼いものだった。さっきとは違う。それがヴァルナには心地良かった。


「はい。あっ、ローレルさん、ちょっと待って下さい」


「ん?」


 部屋の戸を背にして立ち去りかけたローレルを呼び止めると、くるっと首だけ振り向いてみせる。ヴァルナは慌てて部屋へ引っ込むと、すぐに茶色のふわふわを手に持ってきた。


「良かったら、使って下さい。その、ローレルさんは移動が多いってお話ししてくれたから、邪魔にならないように。でも、着けていたら凄く暖かいと思うんです」


 ヴァルナの小さな手に乗るのは、焦げ茶色の毛糸で編まれた付け襟だ。金色の飾りボタンが一つ付いていて、それで留められるようになっている。

 思いがけない贈り物に目を瞬いて、ローレルはヴァルナの前にしゃがみ込んだ。受け取って、首に巻く。丁度良いサイズで、確かにとても暖かかった。


「ありがとう。すごく、あたたかいよ」


 戸口に立つヴァルナをしゃがんで下から見上げる瞳は、まるで姉か母の愛情を受ける幼子のようだった。

 初めて愛情を注がれたかのような、生まれた事への祝福を得たような、無垢な笑みがこぼれていた。

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