第23話 始まりは冬の夜

「それでね、お昼ごはんの後でローレルさんが髪留めを買ってくれたの。

 淡いピンクのシュシュ、とっても可愛いでしょう? あとね、真っ白なリボンも! まるで誰も踏んでない雪みたいに、真っ白。素敵ね。私、真っ白なリボンなんて、初めて持ったわ。生成りじゃないの、真っ白なのよ」


 ベッドの上に買った物を広げては、フィルに話して聞かせるヴァルナ。フィルがリボンにじゃれつこうとしたのを見て、慌てて止める。


「わっダメ! あら、フィルの爪も牙も、よく見ると結構鋭いのね。ほら、もっと良く見せて」


 止めたついでにと、嫌がるフィルの口をそっと開いてみる。

 こんなに牙が大きかったかな? と二度見する程に獣の牙だった。口を大きく開かないと気付かなかったが、フィルの牙は子犬ではおさまらない。まるで狼みたいだ。


「あっ、逃げちゃった。残念ね。フィルの首輪も買ってもらったのに。また後で、寝てる間に着けちゃおう」


 ベッドの下へ逃げたフィルに首輪をするのは諦めて、買った物を並べていく。


 着替えに、下着と厚手のワンピース、暖かい靴下とズボン、おまけに外套まで買ってもらってしまった。

 ただでさえ、服なんて高い物なのに。それも、魔獣の毛皮を使われた外套だと店員さんが誇らしげに言ってた。着ると真冬の夜だって暖かく過ごせそうだ。ヴァルナには値段が検討も付かない。

 遠慮するヴァルナを他所に、ヴァルナの希望色を聞きながら店員さんと見繕ったローレルは、値段を知らせないように会計した。


 どうして、こんなにローレルさんは良くしてくれるのかな。

 教会の人が恵まれない人や不幸にあった人へ手を差し伸べて下さるからって、これはやりすぎなんじゃないかしら? それとも、私が知らないだけで都会ではこういうものなのかな。


 ヴァルナは一人考えながら、買ってもらった編針と毛糸を取り出す。

 ダークチョコレートのように暗くて濃い茶色の毛糸を人差し指にかけて、手慣れた様子で編み始めた。

 編み物は冬の夕食後、お母さんといつも一緒にやっていた。お母さんはお父さんの物を、ヴァルナはお母さんの物を、それぞれ編む。いつだってお母さんが先に編み終わって、次はヴァルナの物を編み始めるのだ。そうして、五歳の頃からマフラーや帽子なんかを編んできた。


 今回は、ボタンで留められる小さなマフラーを作る。マフラーというよりは、毛糸で作る付け襟みたいな物だ。邪魔にならないように、でも首を温められたら、きっと凄く暖かいだろう。

 この色なら、あまり目立たずにローレルの髪色とも似合う筈だと、ヴァルナは編みながらローレルの顔を思い浮かべていた。


 いつも浮かべている笑顔、少し驚いた顔、あの夜にだけ見せた真剣な顔、そうして、今日初めて見た少し照れたような顔。

 少しずつ少しずつ、知る度に宝物が増えていく。ヴァルナの心の中に、思い出が増えていく。

 それは何かを育んでいったが、その名前にヴァルナはまだ気付かないでいた。







「そうか。特に変化は見られず、力の片鱗も無しか。あの娘が来て、もう一週間は経つ。例の病も着々と広がっているようだ。そろそろ揺さぶってみても良いかもしれんな」


 フォルステライトの部屋で、彼の言葉にローレルは視線を落とした。予想はしていた、けれど彼の言う揺さぶりという言葉に胃が重くなった。


 今この街で発症者は無いが、田舎の方へ行くほど、ある病が流行っていた。


 あの流行り病。昔の預言者が預言したという古い書物にある通りの病。

 教会では、聖女の御業によってのみ癒しを得られるとまことしやかに囁かれている。預言の書物は酷い虫食いもあり、病の対処法は記載されていなかった。


 ただ、この病が流行る時、必ず聖女も生まれ落ちているだろうと記された。かつての救国の聖女が、生まれ変わっているはずだと。

 大安息日に生まれ変わる聖女。彼女が救いを齎すだろう。聖女様へ祈りを捧げよ、と。


 その予言を受けた時の王と教会は、こんな決まりを作った。


 大安息日には、如何なる者も働いてはならぬ。決して労働する事は無く、お亡くなりになった聖女様に全ての民の祈りを捧げよ。さもなくば、神の怒りを買うだろう。


 そう、聖女の生まれ変わりと共に流行り病が起こるのならば、生まれさせなければ良い。因果を逆転させ運命に抗おうとした。

 産婆すら、働いてはならぬ。大安息日に子どもを産ませるなと。


 因果関係は、果たして本当に正しいものか? けれど、時の権力者達は聖女を恐れていたような記述もあった。何故なら、聖女専用の拘束具まで残されていたのだ。


 不可思議な力を持って、人々を救ったとされる聖女。権力者達に恐れられ、自由を奪われた聖女。

 彼女は、記録が正しければ魔族や魔物の討伐が行われていた終り頃に、亡くなっている。


 彼女の尽力により、当時の魔族や魔物はこの近辺で殆ど見なくなったらしい。

 とはいえ絶滅するなど無理な話で。永い時をかけて、今はまたこの国近辺でも出没し始めている。

 魔族などはもう伝説に近い存在だった。その能力についても、事実か誇張されたものか、書物に残るのみとなった後世では判別不可能だ。


「一度、私も顔を合わせておこう。どこかの合間で呼ぶ事になる、お前の予定も暫くは余裕を持たせておくように」


 深く息を吐き、フォルステライトは眼鏡を外した。書き物机に置くと、目の辺りを指で解している。話は終わったと認識してローレルは一礼し退室した。


 珍しい。あのフォルステライトが、疲れを見せるだなんて。


 廊下を歩きながら、ローレルは少し驚いていた。いつだって完璧主義で強靭なフォルステライト。

 いや、彼が僕を拾ってから15年だ。人間としては、壮年期も後半に差し掛かっているのか。

 今、彼がここに滞在している理由は、聖女発見の報を受けた確認と、比較的近くの田舎町でも発生した流行り病の調査の為。

 当の田舎町へ行って罹患しては話にならないが、遠く王都に居ては指示も出来ない。近場に滞在し、実態調査と収束へ向けてのまとめをしている。

 ヴァルナを見つけた村近くの町でも、ヴァルナの居た町よりも前に発病者が出ていた。けれど町の中で隠されており、発見した頃には多くの人が発病していて手遅れだった。


 あの病。なんとも奇妙な症状で、確実に死に至る。助かった者はまだ報告されていない。

 都会よりも田舎の方が流行りやすいのか、大きな街での発病者は発見されておらず、報告に上がるのは田舎ばかり。

 それも、人から人へどのようにうつるのか、分からなかった。同居の家族にうつる場合もうつらない場合もあり、けれど同じ村や町の他人へうつる事もある。

 同じように発病しただけなのか、人から人へうつったのかも確かじゃない。その為に、呪いだという噂まで出てきている町もあると報告されていた。


 聖女の癒しの力で治癒出来ると、上層部は言う。そんな都合良くいくものかと、ローレルは思っていた。けれど他に縋るものも無し。


 自室に戻ったローレルは、閉めた扉に背を預ける。固くて冷たい木を滑るように、ズルズルとしゃがみこんだ。


 万能なもの等ない。あってたまるか。

 あの子は、本当に普通の子だ。なんでもない、なんにもない、特別なんて。あるのはただ、ただ。


 そう考えて、ローレルは自嘲気味な笑みを浮かべた。あまりに自分とは縁遠い。希いにも憧れにも似た、強い想い。


 彼女は、ただ、人として人らしく、今を懸命に生きている。

 時に落ち込んでいる表情を見せても、健気に笑ってみせる。芯が強い子なのだろう。まるで、大地にしっかり根を張った樹木のように。


 不幸に溺れず、現状で出来る事を考え、出来る事をひたむきに行う。


「どうして、そんな風に生きられるんだ」


 梟の目に浮かぶのは、羨望と嫉妬。生まれたばかりの想いはまだ、その奥に眠ったまま。

 人にも獣にもなりきれず、生きるだけで汚れていった身には、なんて眩い。目が眩みそうなくせに、逸らせもしないのだ。

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