第25話 始まりは冬の夜

「では、手筈通りに頼む」


 フォルステライトの指示を受けて、目の前の男は愉快そうに口角上げたまま頷き、静かに部屋を出た。

 王都から聖女発見を急げと、書簡でせっつかれている。上はいつでも好きなように言ってくれるものだ。

 神殿内では高い地位にいるが、所詮その程度。国からの命令には逆らえない。


 ランプの灯りに照らされて、眉間に刻まれた皺が、彼の過ぎた月日を物語る


 この国も随分と弱くなった。かつては魔族すら退けた強国だと、数多賞讃を浴びた歴史があるというのに。

 今では特段の強みも持たず、国内に魔物が出現する事も多くなった。更にはこの流行り病だ。国力の低下は免れない。

 遥か東国では人が神を操るのだとか。ヤオヨヨズかヤオロロズの神だとかなんとか言うものの力を行使する一族もいるらしい。

 我が国も、なんとか聖女の復活をもって国力や覇気の持ち直しを図りたいものだ。


 短く息を吐き、冷めた珈琲を口にした。


 あの少女が本当に聖女の生まれ変わりかは不明だが、時間は有限だ。

 他に候補も見つかっておらず、致し方ない。まだ八歳という幼い少女に、無理を強いる真似はしたくなかったが。

 環境に慣れさせてからと思いはしても、例の病が予想より早く広がっている。王都近くの街で、発症者が一人出た。

 もしも彼女が聖女ならば、すぐにでも力を必要とする。王族貴族と平民では、命の価値が違うのだ。


 ふと、ローレルの顔が浮かび、眉間に皺が寄った。


 あれは、どうもあの少女を気に入っているようだ。

 人に心を許した事などないあの獣人が、あの少女に対してだけは眼差しが違うのだ。長年育ててきたフォルステライトにはすぐに分かった。


 親に捨てられ、ありのままでは人の社会に受け入れられる事もなく、協力という名の従属を強いられている。哀れな獣。

 獣人は少ない。その殆どは人の社会に入って来ない。遠く海を渡った土地に、獣人が住まう国がある。けれど、獣人はその個体が少なく、あまり人と接触しようとはしてこなかった。

 ローレルが捨てられていた時も、赤子の鳴き声で籠を覗き、翼持つ姿に驚いたものだ。


 わざわざ人の国で、獣人の国からは遠く離れたこの地で、子を産み落とした獣人がいたのか。

 余程の事情があって、人へと預けたのだろう。人の多くは獣人の力を恐れるとともに、忌避している。

 だから、ローレルも人として振舞うように育てた。それはローレルにとってとても生き苦しい事だったろう。いや、過ぎた過去ではなく、今なお日々続いているのだろう。


 養い子の顔が、浮かんで消える。

 思い出すのは、厳しい躾に泣く姿、諦めて泣かなくなった姿、効率的だと笑顔を作るようになった姿。


 そして数時間前に見た、穏やかさを秘めた眼差し。少女を大事そうに見守る姿。


 本人は気付いていない様子だったが、あれではローレルに任せる訳にはいかなくなった。


 あの少女は、力を発現するまで籠の中。もう決して戻る事は無い。少なくとも、あの少女が大安息日に生まれたという事は、産婆の確認が取れた。

 力を発現して、国に協力するか。発現出来ずに囚われたまま、訓練と称した責め苦にあうか。

 いずれにせよ、養い子とは距離を置かせるべきだろう。

 愛など知らぬ獣の奥に、仄かなぬくもりが生まれ始めているのだから。それは何物をも傷付ける、最も邪悪なものだ。






 しんしんと冷え込む廊下を、音も無く進む姿が一つ。

 ヴァルナの部屋の前で止まる。少しの軋みも無く扉を開けると、流れるように部屋へ侵入した。


 ベッドで眠る少女の姿を認めると、近付き手を伸ばす。


「おい、やめておけ」


 突然すぐ近くからかけられた声に、侵入者は一歩下がってナイフを抜いた。素早く辺りを見回すが、人の姿は見当たらない。


「ったく、何百年経とうが、人の世は変わらんな。力ずくで他者を利用する。ま、それが本来自然な生き物の在り様か。強いもののみ生き残る。弱いものは蹂躙されるだけだからな」


 声は少女から聞こえた。が、少女が眠っているのは疑うべくもない。

 焦る侵入者の前に、ベッドに横たわる少女の元から、もぞもぞと小さな何かが現れた。

 それは一匹の子犬で、月明かりに浮かぶまん丸な瞳は愛らしい。


 のそりと獰猛な獣の足取りを気取っているつもりだが、どうみても、とてとてと愛らしい肉球が床をふみふみしている。


 侵入者は無言のまま大振りのナイフを構えて、姿勢を低くした。


 攻撃態勢を認めて、愛らしいフィルの口が獣らしからぬ歪みを刻んだ。半月を横に寝かせたような、歪んだ笑み。


「いいぞ。力を取り戻す手慣らしに、貴様のような雑魚は丁度良い」


 床に落ちる小さな影が、一呼吸の間にぶわっと膨れ上がった。

 侵入者より一回りも大きい影は、ばくんと大きく顎を動かす。次の瞬間、侵入者は床に転がり、フィルはいつもの愛らしい姿に戻っていた。

 前足を舐めて、満足そうに顔の毛並みをこしこしとしごいている。


「雑魚の雑魚じゃないか、こんなもんじゃ足しにもならん。とはいえ、今はこんなものか。全く、いつまで寝てるんだアイツは」


 くわぁっと欠伸をして、眠るヴァルナの元へと戻って丸くなった。

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