第26話 始まりは冬の夜

「どうしよう」


 寝巻のまま、ヴァルナは途方にくれていた。

 起きてみると、部屋に知らない男の人が倒れていたのだ。慌てて駆け寄って、大きなナイフに気付いた。

 どうしてこんな危ないものが抜き身で落ちているのか。話を聞こうと思い、そうっと揺すってみても、男の人は起きない。


「おいで、フィル」


 ひとまず外套を羽織って、ローレルの部屋へ行くことにした。廊下ですれ違う数人と挨拶を交わしながら、考える。


 倒れている人の顔に見覚えは無いし、いつもお世話をしに来てくれる人達とは恰好が違う。

 でも、ここに居て私の部屋へ来たって事は、きっと神殿の人よね。どうして倒れているのか分からないわ。何か御用事があって早くに起こしに来てくれたのかな?

 とにかく、助けて起こしてあげなきゃ。どうしたって起きないけど、ローレルさんなら魔法で助けられるかもしれないわ。

 倒れてるなんて言いふらしたら、きっと恥ずかしいわよね。まずは、ローレルさんにお話ししてみよう。


 フィルを湯たんぽ代わりに外套の中で抱きしめて、冷え込みの厳しい早朝の廊下を急ぐ。


 コンコン


 ローレルの部屋をノックすると、少しの間を置いて扉が開いた。


「あの、朝からすみません」


 朝ごはんもまだの時間から突然押しかけてしまったと、ここに来て思い立った。慌てて頭を下げるヴァルナに、ローレルは何も言わない。

 おかしいなと視線を上げると、目が半分以上閉じている。どうやら、ノックの音に条件反射で扉を開けてくれたようだ。


「ローレルさん?」


 起きてますか? と続けようとしたヴァルナに、起きているのかいないのか、ローレルは無言のまま部屋へ手招きする。

 招かれるままに従うヴァルナを椅子に座らせると、何やら棚に置いてあるものをカチャカチャと鳴らしながら、お茶を淹れてくれた。


「ふぁ、ごめんね。僕、朝には凄く弱くって。ダメなんだ。珈琲で目を覚ますから、ちょっと待って」


 そう言いながら、珈琲のカップを机に置く。ローレルはそのまま、ヴァルナには茶色の角砂糖が入ったシュガーポットを置いてくれた。

 少し着崩れた寝巻から胸元が肌蹴て見え、サラサラの髪はほつれて寝ぐせになっている。

 ヴァルナからすると立派な大人に見えるローレルの意外な一面に、かわいいなと口元が綻んだ。実際は、獣人であるローレルは見た目に反してまだ十五歳だから、年相応とも言える。


 そっか、梟さんだから、朝には弱いのかな。ローレルさんに相談したらいいかなって思ったけど、悪い事しちゃったわ。


 内心で反省しながらも、目の前の茶色い角砂糖の誘惑に、ヴァルナは三つほどカップへ入れた。フィルは大人しく膝にお座りしている。


「うん、少し、目が覚めてきたかな。はは、ごめんね。こんな朝早くからどうしたの?」


 目が覚めてきて寝ぐせが気になるのか、しきりに髪を撫で付けながら、ローレルは珈琲を口に運ぶ。


「えっと、昨日は私とお話ししたいって、ふぉる、フォルテットさんとお話ししましたけど、今日も何か御用事があるんですか? 呼びに来てくださった方の具合が悪いみたいで、見てあげて欲しいんです」


「フォルステライト、ね。いや、今日は何もないよ。ヴァルナを呼びに、こんな朝早くから人が来たの? 今も部屋にいるのかな」


「はい、えっと、今もいます」


 歯切れの悪いヴァルナに、ローレルは片方だけ器用に眉を上げた。カップに残った珈琲を一気に飲み干して立ち上がる。


「そうか。それなら、行こうか」


 その言葉に、ヴァルナも慌てて甘い珈琲を飲み干した。







「えっ、どうして?」


 ローレルを連れて部屋に戻ったヴァルナは、思わずそう口にして戸口で固まった。


「誰も居ないね」


 ヴァルナをそっと脇に避けて、ローレルが部屋へ入る。


 こじんまりした部屋に、誰も居ないのは一目瞭然だった。ローレルが戸口を振り返ると、ヴァルナは何とも言えない顔でフィルを抱きしめている。


「あの、本当に居たんです。男の人が倒れていて」


「倒れてた? 具合が悪いって、倒れてたのか」


「ご、ごめんなさい。その、なんでかナイフも近くに落ちてて、危ないなぁって」


 ヴァルナの言葉に、ローレルの瞳がすぅっと窄められた。


「そうか、それは大変だ」


 静かに部屋の扉を閉めると、ローレルの瞳があの夜のように梟の瞳になった。その目で部屋を見回して、何も仕掛けられた痕跡無しと確認する。

 ふむ、と腕を組んで考え込むローレルの後ろから、愉悦の声が届いた。


「今更見ても何もないだろ。夜はお前の領分だろうに、間抜けな梟だな」


 ヴァルナの腕の中から、揶揄うように低い声が響いていた。驚くヴァルナと対照的に、ローレルはいつもの笑顔を張り付ける。


「やあ、また君か。昼間も出て来られるようになったなんて、大した進歩だね。小腹は満たされたのかな」


「ふん。今の俺を見れば、お前なら分かるだろうが。そうさな、大事な大事なお姫さんを守るに小鳥じゃ頼りなくって、な」


 笑顔で相対するローレルとフィルの間に険悪な空気を感じ取って、ヴァルナは双方へ交互に視線を投げながら頭の中でぐるぐる考えた。


 フィルって、言葉を喋れたのね!

 これは大発見だわ。喋れる犬だなんて、聞いた事ないもの。でも、なんでかしら?

 フィルとローレルさんって、仲が悪いみたい。


「ははは、お姫様の腕の中で愛玩動物が吠えるじゃないか」


「ほう、心の慰めにもならん役立たずが、よく言う」


「あの!」


 いつまでも続きそうな両者を遮って声を上げるヴァルナに、視線が集まった。


「えっと、フィルはとっても可愛いし、ローレルさんは頼りになるわ。だから教えて欲しいの。なにが、どうなってるの?」


 困り切った顔のヴァルナに、どちらのものかため息がこぼれた。

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