第27話 始まりは冬の夜

「じゃあ、フィルは本当は犬じゃないのね。今は力を失っていて、力を取り戻すには魔力がいっぱい必要で、例えば誰かの魔力なんかを食べて取り込む……

 つまり、おなかが空いてて力が出ないから、いっぱいご飯を食べないといけないって事? じゃあ、本当のあなたは何なの?」


 ヴァルナはベッドに腰かけて、膝上のフィルに問いかける。ローレルは椅子を近付けて向かい合うように座っていた。


「少なくとも魔物じゃあない。今はお前と共に在る。それで十分だろう。綿毛の如きお前の頭では、小難しい事を言っても理解出来んだろうしな」


「あら、皮肉屋さんね。綿毛は風に乗って、遠くへいけるのよ。ふわふわ風を受け入れられるから、足が無くとも、羽根が無くとも、風の助けを借りて高く高く飛べるんだから。

 ……えっと、何の話だったっけ。それで、昨日はなんでか分からないけど怪しい人が来たから、その人の魔力なんかをばくんって食べちゃったのね。朝まで気絶してたのが、ローレルさんを呼びに行ってる間に目覚めて逃げたんじゃないかって事?」


「そんなもんだろう。流石に一晩転がっておれば少しは回復したろうよ」


「なんだか、喋らない時と随分違うのね。いつもあんなに愛らしくわんわん言ってたのに、心の中ではそんな風に思っていたの?」


「いや、あれはあれだ。俺で俺じゃない。細かい事は気にするな」


「えー、気になる!」


 不機嫌そうに喉を鳴らすフィルに構わず、ヴァルナはねぇねぇとしつこい。その様子に留飲下がったのか、にこにこローレルが会話に混ざった。


「彼の中には、二つの魂……人格があるみたいだよ。力を失っていると言っていたが、おそらく無理に封印されたんじゃないのかな。

 彼の中で、力が分断されているようだ。大半はもう一つの人格が抱えているんだろう。本来の彼は……そう、とても強いのだと思うよ」


 ローレルが梟の瞳のまま、フィルを見詰めて話す。勝手に己の事を分かった風に語られて、内心不本意そうなフィル。けれどそれ以上にヴァルナの質問攻めの相手をしたくないらしく、フィルは黙ってそっぽ向いてしまった。


「凄いわ、ローレルさんには色々分かるんですね」


「ああ。もうヴァルナちゃんには知られているから話しておくと、僕の目は、梟の瞳。色々なものの真実を見通す力があるんだ。普段、人を装っている時には使えないけど、こうして力を発現させれば見える。発現している間は魔力を消費するから、常に使い続ける事は出来ないけれどね」


 ふわぁ、と感心しきりなヴァルナに、ローレルは笑みを消して真っ直ぐ見詰めた。


「僕の瞳、怖くない? 気持ち悪くない? もしかして、獣人の存在を知らないのかな。ヴァルナちゃんの居たあたりでは獣人なんて見かける事は無かっただろうし」


 そういって、少しだけ目を伏せる。


「獣人はね、人から嫌われているんだ。気持ち悪がられて、恐れられる。

 当然だよね。人とは違う。力も、思考も、色々な生きる上での事が違うんだ。だから、ヴァルナちゃんも僕を知れば知る程、きっと気持ち悪いと思うだろう。それは、それが、普通で……」


「ローレルさん」


 次第に早口になっていくローレルを、静かな一言でヴァルナは遮った。


「私、言いました。心は見えないから分からないけど、行動は見えるって。ローレルさんが優しくしてくれた事、私、忘れたりしません。

 私は、ローレルさんの事が好きですよ」


 満面の笑みで見上げるヴァルナに、ローレルは自分の中で芽生えていた感情がまっすぐに育つのを感じた。

 耳に心地よい言葉はいくらでも言えた、建前なんて息をするように出てくるものだ。今まではそうやって生きてきた。

 だけど、今は、何も言葉が出てこなかった。


「あ、そろそろ朝ごはんの時間ですよね。その、私もローレルさんもまだ寝巻だし、着替えないと」


「そう、だね。一旦、失礼するよ。フィルがいれば大丈夫だと思うけど、何かあれば必ず僕を頼ってほしい。ヴァルナ」


「はい、ありがとうございます」


 ローレルが部屋を出ると、フィルは苛立たし気に尻尾を振って、ベッドに飛び乗り丸くなった。

 今は、話す気が無いらしい。仕方なく、ヴァルナも黙って身支度を整えた。






 朝食後にヴァルナが呼び出されたのは、フォルステライトの部屋。ローレルは別で仕事があると他へ呼ばれて行き、ヴァルナだけが残された。


「朝から呼び立てて悪いな、今日から君の身の回りの世話をする者を用意した。今までは持ち回りで手の空いた者に任せていたが、今後は彼が専任となる。若干の難もある男だが、実害は無い……無いだろう。

 詳しい事は彼から聞くと良い。王都からきた者だから、何かと都会の華やいだ話も聞かせてくれるだろう」


 そう、紹介されたのは小柄で軽快な足取りの男の人だった。


「はじめまして、私の事は気軽にトルシィと呼んでくれ。こちらへは来たばかりで不慣れな事もあるかもしれないけれど、よろしく」


 朗らかに握手しながら挨拶をする彼は、大人にしては背が低く、細身でまるで女の人みたいだった。

 握手する手のしなやかな指先は、ローレルと随分違う。連れ立ってヴァルナの部屋へ向かう間も、トルシィの自己紹介は続く。


「いやぁ、なんだか私一人で喋ってしまっているね。君の事も聞かせてくれるかな」


「ふぇっ、あの、お話しとっても面白かったです。都会は凄いんですね。私は、ずっと近くの町以外行った事なくて。

 えっと、家は、森の中にあるんです。父は猟師で、母は家の事をしながら、小さな畑を世話していました。私はお手伝いをして、森の季節と一緒に毎日を過ごしていました」


 話す間に部屋へ着き、一脚しかない椅子をトルシィへすすめて、ヴァルナはベッドへポスンと座った。真ん中ではフィルがまだ寝ている。


「ほう、質実剛健とした生活の中で、まっすぐに育ったのだね。よきかなよきかな」


 にこにこと話す口調は、なんだか物語に出てくる大魔法使いのおじいさんみたい。それとも、学校の先生みたいなのかな。学校って行った事ないから分からないわ。少し変わってるけど、嫌じゃない。


 向かい合ってほんわかしているヴァルナのすぐ近くで、地の底から鳴り響く如き不機嫌な唸り声が届いた。


「……おい、お前、人真似なんざして、コイツになんのようだ」


 いつの間に起きたのか、ベッドの上で姿勢を低くして唸るフィルが、トルシィを睨み上げる。それを愉快そうに、眺めるトルシィ。


「やぁ、ねぼすけさん。ここまで近付かないと私に気付けないだなんて、かわいそうにねぇ。ほんっとーに力を失っているんだねぇ」


 愉悦の表情で見下すトルシィの表情は、先程までの人辺りが良いお兄さんではなかった。

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