第43話 始まりは冬の夜 第一章 了
月明かりの下。ローレルに抱えられて冬の夜を進むヴァルナは、突然背中と腰に走った鋭い痛みで息を呑んだ。
あまりの痛みに、声も出ない。思わず、腕の中のフィルをぎゅっと抱きしめた。
「ぐぇっ、おい、ヴァルナ何しやが……どうした?」
ヴァルナを睨み上げて文句を言い連ねようとしたフィルが、異常に気付いてヴァルナの腕から抜け出す。鞍の上に立ち、俯くヴァルナに向かい合って顔を覗き込んだ。
「あっ……なっ、ん、な……っ、ふぁ……いた、い……」
何でもないと言おうとして、あまりの痛さに体を震わせた。ローレルが慌てて馬を止める。
「どうしたの! どこが痛い? えっと、傷薬ならあるけど、それともお腹がいたい?」
慌てて服の隠しに常備している薬を探ろうとするローレルに、ヴァルナはいやいやをするように頭を振った。声も出せず、ただ涙をこぼし続ける。
たった今までなんともなく、腕の中で馬に揺られていたヴァルナ。外傷は考えられない。けれど、ヴァルナは左手を肩越しに背中へ伸ばそうとしている。唐突に背中が痛みだしたのか。
フィルも原因が分からないようで、尻尾で庇うようにヴァルナを包もうとしている。
ローレルはそっとヴァルナを横抱きにして、優しく背中を撫でさすった。
ローレルの胸元をぎゅっと握りしめ、痛みに耐える背中は小さくて。とても小さな背中が震える姿に、心臓が鷲掴みにされたようだった。
明らかに異常な痛み様は、始まりと同じく突然に終わった。
震えが止み、ほわぁっと大きく息を吐く。強く握りしめていた手をそっと開いて、恥ずかしそうに見上げてきた。
「あの、その、ごめんなさい。なんだか急に痛み出したんだけど、もう、治まりました」
「本当に? もう痛くない? どこが痛かったんだい?」
「えっと、背中の上の方と、腰の辺りに、斬りつけられたみたいな痛みがあったんです」
ヴァルナの答えに、ローレルは目を見張った。
それは、先程ヴァルナが癒してくれた傷と同じだったから。
あの時、最後に騎士の一人が風の魔法で斬り付けてきた。かまいたちのようなそれは、確かに背中と腰に二か所、傷を受けた。
「ねぇ、ヴァルナ。トルシィ様は癒しの力について、何か言ってなかった?」
優しく問いかけるローレルに、ヴァルナは言い澱みながらも小さな声で答えた。
「本当は、人には直接使っちゃダメって言われてました。薬草とか、何か媒介にして使いなさいって」
その言葉にローレルは奥歯を噛んだ。
魔法の行使にも、素材や代償を必要とする事がある。治癒の代わりに、あの痛みをヴァルナに負わせたのだろうと察した。
トルシィは嫌な奴だが、ヴァルナの事は真実大切にしていたし、こんな怪我と痛みが偶然の一致だなんて現状では他に考えられない。
「ヴァルナ、怪我を治してくれてありがとう。でも、今後はもう使わないでほしい。トルシィ様の教えを守るんだ。約束出来る?」
真剣な眼差しで真っ直ぐに見つめる瞳は、出会った頃から感じていた胡散臭さも嘘っぽさも無い。ただ、ヴァルナの事を心配してくれているのだと伝わってきた。
「でも、私を庇って怪我して、私、今なんだか痛かったけど、もう全然痛くもなんともないです」
もごもごと口籠りながらも言い訳するヴァルナに、抱く腕の力を少し込めて、ローレルは一段低い声を出す。ゆっくりと、言い聞かせるように。
「約束、出来る?」
「……はい」
有無を言わさぬローレルに、ヴァルナはしゅんとして頷いた。
もう本当に痛みがない様子に、横抱きしていたヴァルナを再び馬に跨らせる。あまり揺れないよう、慎重に馬を進ませた。
馬に揺られながら、珍しく心配そうにチラチラ見てくるフィルをぎゅっとして、ヴァルナはその後ろ頭のふさふさに顔を埋めた。
ああ、失敗しちゃった。
ローレルさん、心配してくれているのと、顔がなんだか強張っていて怒ってたみたいだった。トルシィさんとの約束を破っちゃったんだもん。当然よね。
でも、ローレルさんが怪我してたんだもの。私のせいで怪我してたんだもの。だけど、もっと考えてみたら良かったのかな。私ってば、怒らせたくないのに。馬鹿。
そうしょげながらも、隠し部屋で見つけた、あの本を思い出していた。
昔の聖女様と剣士様のお話。その中で、怪我を癒した聖女様は、その後で痛みに苦しんでいた。まるでついさっきの自分みたいに。
トルシィは言わなかったけれど、人に直接使ってはいけないのは、もしかしたら、この痛みがあるから?
この力は、聖女様と同じだと言ってた。
それなら、あの本の聖女様と同じ? あれは作られた物語なんじゃなくて、本当にあったお話なのかもしれない。
ヴァルナは先程の痛みを思い出した。凄く凄く痛かったのだ。だけど、それはつまりローレルも凄く凄く痛かったという事だと思った。
もし、またローレルさんが怪我をしたら、私、どうしよう。
約束を守って、力を使わないでいられる? ちょっとの怪我なら、我慢出来るかもしれない。
でも、もし大怪我をしてしまったら……?
ほんの数週間前までは、森の家で穏やかな毎日を過ごしていた。
お母さんのお手伝いをして、たまに町へ遊びに行って、アンの恋話を聞いたりする。帰りにちょっとだけよと買い食いしたり、新しいゲームを作ってはお父さんに披露した。
単調で平和な毎日。春夏秋冬と、繰り返す季節と共に、平穏な日々を繰り返していた。
家を出た日も、今夜と同じような寒い夜だった。次は、どんな所へ行くのだろう。
ローレルの腕に抱かれ馬上から月を見上げるヴァルナの頭に、雪がちらほら降ってきた。
雪の降り始めに、ローレルは一旦馬を止めて荷物を漁る。背負い袋の中から大きな布を取り出すと、ターバンのようにして布をヴァルナの頭や顔に巻いてくれた。
街で買ってもらった外套の上からグルグル巻きに頭も耳も顔も完全防備で、さらにローレルの大きな外套に包まれている。腕の中ではフィルの体温が暖かい。雪のちらつく真冬の夜だが、ヴァルナはぬくもりに包まれていた。
馬の蹄跡を、降り注ぐ雪が消していく。
寒い寒い、身を切るような冷気が肌を襲う冬の夜。
ひっそりと、ひそやかに、二人と一匹は旅に出た。
第一章 始まりは冬の夜 了
時には 人として人らしく ちょこっと @tyokotto
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