第36話 始まりは冬の夜

 突然の呼び出しをくらって、ローレルは着替えの為に自室へと急いでいた。


 あのトルシィから伝言が届けられたのは、つい先ほど。至急確認するようにと渡された簡易な封書には、こうだ。


 雛鳥君、大至急私の部屋へ来たまえ。

 少し遠出をしようと思う。君もついて来たくなるかもしれないから、遠出の支度をしてくると良い。

 きっと思い出に残る、忘れ難いお出かけとなるだろうね。

 追伸:人前に出るのだから、汚れはきちんと落としてくるように。


 地下室で陰鬱としたお仕事中だったローレルは、読み終えると同時に燃やした。灰を雑に握りつぶして、手を払う。


 くそっ。なんだよ、誰が雛鳥だっていうんだ。

 高位神官様とはいえ、僕は彼の実力を知らない。僕だって、あのフォルステライトに育てられたんだぞ。

 ……いや、フォルステライトが認めているんだから、きっと実力者なんだろうと分かってる。認めたくはないけど。

 だいたい、あの高位神官様が僕なんかに何の用だって言うんだ。遠出だって? なんだよ、街歩きの荷物持ちか?

 ヴァルナの護衛をするからには、遠出なんていっても神殿からそんなに離れはしないだろ。思い出に残るだのなんだのと御大層に。

 それとも、ヴァルナの両親を迎えにでも行くつもりか? おそらく、まだ治療中だろうが、その後どうなったかはまだ連絡がない。結果がどうでも、動きがあれば知らせて貰えると思うが

 ……いや、ヴァルナの件から外された僕には、もう連絡なんか来やしないのかもな。


 鬱々と考えながら、急ぎ自室へと戻った。


 しかし、自分より上位であるトルシィの命令だ。仕方なく仕事の後は他へ任せて、指示通り用意する。遠出というからには、動きやすい服が良いだろう。ただ、あのトルシィが呼びつけるなんて嫌な予感がする。

 念の為、色々と持ち物を確認して、突然どんな無茶苦茶を言われても良い様に用意して向かった。






「失礼致します。大変お待たせして申し訳ありません」


 トルシィの部屋を訪ねて、丁寧に述べる。もう、雛鳥だなどと呼ばせはしない。

 そう意気込んできちんとした身形で向かったローレルは、部屋の中に入るなり、急ぎ足でヴァルナに駆け寄った。

 ローテーブルを挟んで向かい合うように置かれた椅子の一つ、大人用の椅子にちょこんと大人しく座っているヴァルナの前に立ち、後ろ手で庇うようにしてトルシィと向かい合う。


「トルシィ様、僕に御用との事ですが、その前に彼女の手当をしても? 目が赤く明らかに泣いた跡がありますね。お時間を頂けますか?」


 言い方は丁寧だが、表情と声音は敵意を隠せていない。まるで、親か兄が幼子を守るかのような振舞いに、トルシィは目を細めた。

 芽生えたばかりの感情に振り回されている若者が、微笑ましくも少しむず痒い心地になる。それは、かつて自分も経験した感情だから。

 お茶の用意をしていて部屋の隅に居たトルシィは、苦笑を浮かべてひらひらと手を振った。淹れたばかりの紅茶を片手に、その場で優雅に口へと運ぶ。ご自由にどうぞと言わんばかりだ。

 その雑な態度に、またカチンときたが、それ以上何も言わずローレルはヴァルナに向き直った。


「ヴァルナ、どこか痛い? どうしたの?」


 座るヴァルナの前にしゃがみこんで、心配そうに覗き込む。そんなローレルに、ヴァルナは顔を赤くしてぶんぶんと首を振る。


「え、いや、だいじょうぶです! あのっ、目にゴミが入っちゃって、つい擦っちゃったんです」


 明らかに嘘だったが、怪我なんかが無いのは本当のようで、ひとまずローレルは分かったと頷いた。そこへ二人のお茶を持ってきたトルシィが、音を立てずにカップをローテーブルへ置く。


「彼女の長く愛らしい睫毛が落ちたのさ、大丈夫だと言っているだろう? さて、早速だが、本題に入ろう。時間は有限。素晴らしい事だ」


 何が素晴らしいのか全くもって理解が出来ないといった表情を顕わに、ローレルは促されるまま座ってカップを受け取った。ヴァルナとローレルを座らせて、トルシィは端に立ったままだ。

 仮にも高位神官様を立たせて自分が座るのは、なんとも居心地が悪い。が、にこにこ上機嫌なトルシィは、生徒に講義を聞かせる教師のように、話を続ける。


「ローレル君。君に一つ頼みたい事がある。いやなに、ちょっとした悪戯さ。フォルとは古い友人でね。彼にサプライズを仕掛けようじゃないか」


 その言葉に、ローレルもヴァルナも揃って訝しげな表情で質問する。


「申し訳ありません。ご友人とは存じませんでした。けれど、フォルステライトはそういった類を好まないと思いますが」


「トルシィさん、あの、私達急いで出発しないといけないんじゃ?」


 競うように口を開いてから、これは止めた方が良い、と視線を交し合う二人。そんな二人を楽しそうに見やって、トルシィは続ける。


「ああ、彼は怒るだろうね。ふふ、あのゴーレムのように固い鉄面皮が噴火する瞬間を拝めるかもしれないな」


 くすくす上機嫌に笑うトルシィへ、ローレルはむっとして口を開く。


「そのような悪戯の手伝いで、呼ばれたのでしょうか? 遠出の支度をお手伝いという事であれば、今承ります」


 言外に、ふざけてないでさっさと要件を言え、と込めるローレルへトルシィは残念そうに頭を振った。


「やれやれ、冗談の通じない所はそっくりだ。ふふ、流石は共に時を過ごした親子だね」


「っ、それは、似て……いないと思います。僕と彼は。僕では、とても追い付けない。彼は凄い人です」


「ああ、フォルテは凄い男だ。目標に値する。君も励むと良い。チャンスは今。掴むかどうかは自分で決めるんだ」


「チャンス?」


「そうさ。いいかい、ローレル君。今後、ヴァルナはここに居ては危険だ。例の流行り病がこの辺りまで来てしまった、その事は知っているだろう?

 そしてヴァルナは癒す力を目覚めさせた。これから、彼女は様々な者に狙われるだろう」


 その言葉に、ヴァルナはぎゅっと身を固くした。ローレルは突然の事に黙ってただ情報を飲み下していく。


「急いでここを離れて、そうだな、まずは身を隠しながら敵と味方を見分ける事だ。君には獣人の力と、フォルテが教えた人の知識がある。それを存分に活かすといい。

 生き抜く為に、持てる力を駆使する。当然の事だ。何も恥じる必要は無い。君の力は、君が生き抜く為のものだから」


 そう言うと、ローテーブルの下に置かれていた大きめの鞄をローレルへと渡した。背負える形になっており、中には何が入っているのか分からないが、差し出されるままに受け取る。


「あの、それは、ヴァルナを安全な場所へ移送する護衛を手伝うという事ですね? では、僕もそれなりの旅装をしてきます」


 さすがに旅支度はしていなかったローレルは、パッと立ち上がる。それを片手を振って、トルシィは打ち消した。


「違う違う、私は一緒に行かないのだよ。君達二人で旅立ちたまえ」


「えっ!」

「ふぇっ?」


 今度こそ、ローレルとヴァルナは困惑に目を真ん丸くして、互いに顔を見合わせた。

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