第26話 しーらね

 ボールがころころ転がって、小さな穴にすとんと落ちる。それを拾い上げ、また転がしては穴に入れる。気配はするのに返事がないから何ごとかと思って無許可で部屋に押し入ってみれば、父は家庭用のゴルフキットで延々とパッティングを繰り返していた。どうやら俺の存在に気付いてすらいないようで、放っておいたら晩までこのままかもしれない。

 そもそも論だが、書斎はゴルフ練習をする場所ではない。親父のゴルフ好きは家族全員の知るところだが、どうせやるなら別途に場所を整えてしまえばいいものを。


「ここらへんは錬兄に遺伝してんだよな……」


 一度集中してしまったら他のことそっちのけで没頭。その特性は、とりわけ長兄に強く受け継がれているように思う。周りの声が耳に入らなくなるのも一緒で、下手に立場を持った人間がやると手がつけられなくなるから面倒だ。

 ただ、息子がそれに遠慮するかといったらそうでもなく。


「ただいま」

「……お、おお。いつの間に」


 ボールの進路を足で塞いでやれば、いくら彼でもさすがに気づく。俺は止めたボールを手の平で何度か弾ませてから、山なりの軌道でトスした。


「親父が一心不乱にパター振ってるときは大抵考えごとしてるって相場が決まってんだけど」

「そりゃあそうさ。立場柄、悩みは絶えんものでな」


 親父は片手でキャッチしたゴルフボールを地面にそっと置いて、それからパターも横たえた。自然な流れでソファに誘導されたので、彼の意のままに座る。


「どうだ、学校は」

「ぼちぼち。思ったより上手くやれてるよ」

「生活の方はどうだ」

「文月がよくやってくれててさ。実家暮らしのときより不自由ないかも」

「アルバイトを始めたと聞いているぞ」

「そうでもしないと食いっぱぐれるからなぁ」

「そうか……」


 見たところ、ネタ切れのようだ。学校とバイトの話しか会話の手札を用意していなかったらしい。それだけでどうやってやり過ごすつもりだったか謎なのだが、世の父親というのは大概がそんなものだろう。特に、還暦を間近に控える彼からすると、若者まっさかりの俺とどう話すべきか測りかねる部分も多いのではないか。

 ただ、いくらなんでも常日頃からここまで話下手な人ではない。経営者としての手腕は確かなものがあって、それなりに人望も集めている。つまるところ、彼は世にあまねく存在する『家庭に入った瞬間、すさまじい弱体化を受ける男』の一人なのだ。


「あとは……」


 言いながら、彼は懐から取り出した手帳をめくり始めた。マジかよカンペ使いやがったと驚愕する俺を尻目に、「ああ、そうだそうだ」とわずかに活力を取り戻す父。


「酷いじゃないか。着信拒否なんて」

「俺の歳考えてくれよ。反抗の一つや二つやっておかないと、かえって不健全かと思ってさ」

「そうか……」

「……いや、方便な。親父が突然連絡してくるときって、大体ロクなことにならんからシャットしてんの」

「そうか……」

「ええ……」


 息子の不遜な態度を、欠片の憤りすら見せずに受け入れ。そこはもう少し、わかりやすい反応を示してもらいたかったんだけれど。

 言ってはなんだが、この人完全にコミュ障なんだよなぁ……。会話が双方向にならないというか、一方通行というか。悪い人じゃないのはわかっていても、どこか警戒心を解ききれない。俺はそこに、見えない壁のようなものを感じてしまっている節がある。多忙を理由に幼少の頃からそこまで接する機会が多くなかったこともあって、温度差はなくなっていない。


「健康診断、あんまりよくなかったらしいじゃん」

「どうにも若い頃の感覚が抜けきらなくていけない。昔と同じ食生活で、昔とは桁違いの負荷が体にかかる」

「摩也兄は酒の飲みすぎって言ってたけど」

「……良いワインが手に入ってな」

「ま、ちょっとくらいはいいんじゃないの? 我慢した末の長生きに価値があるとも思えんし」

「いや、もう控えた。孫の顔を拝むまでは死ねないからな」

「摩也兄に期待するっきゃねえなそれは……」


 錬兄が結婚なんてするはずない。それは誰もの共通認識で、異論をはさむ者はいないだろう。だとすれば、異性からの愛に飢えていそうな摩也兄に任せるしかない。後継ぎ問題もあるし、良家のお嬢さんでも紹介してもらって身を固めるのがよさそうか。

 しかし、役割の逆転が起こっている気がする。普通は親が話題を振って子が答えるという形になるのだろうが、どうやら話を引っ張り出すのは俺じゃないと無理そう。


「兄貴に浮いた話ってないの? 面と向かって聞けることじゃなくてさ」

「……聞かないな。そもそも、摩也の性格ならば率先して話しそうなものだが」

「だなぁ……」


 彼女でもできようものなら、真っ先に俺に自慢してきそうだ。それに、さっきの言い草で彼女持ちだったとしたら役者過ぎる。変わらず独り身なのはほぼ確定と考えていい。


「けど、なんか意外だ。親父も孫とか気にすんだね」

「そもそも、私とお前との間に祖父と孫ほどの年齢差があるがな。……だが、やはり歳を食うと自然と興味が出るものらしい。古い友人が、次々に孫との写真を自慢するようになってきたのも大きいか」

「環境要因ね」


 見ようによっては自分が生きた証だものなぁと納得。特に、家を大きくし次代へつないでいくという使命をもった彼からすれば、それが持つ意味は一般人と大きく異なりそうだ。


「……葵、お前、今年でいくつになる?」

「十六だけど」

「そうか。そうだな……」


 年齢がテーマのトークになりかけている。兄貴に前々から俺の歳について聞いていたようだし、知らないってことはないだろうに。

 

「……もう、立派な成人になったというわけだ」

「いやおかしいおかしい。酒も煙草も二十歳からだよこの国は」

「しかし、数え年で十六を超えているからには、男児として一人前と見るべきだろう」

「元服文化なんて今どき――いや、ウチみたいな古いしきたり残ってるところだとちょっと違うんだろうけど」


 急展開を迎えつつある。だが、兄貴は二人ともそんな行事をくぐっていないはず。それに元服は満十五歳で迎えるはずで、十五歳と数ヵ月生きている俺に今更言われても困る。


「かねてから、お前に伝えねばならないと思っていたことがあるんだ。それを、この機会に合わせて話す」

「いや絶対こじつけでしょ。言いにくいことを強引に元服と結び付けた匂いしかしねえよ」

「……そんなことはない」

「あるんだよ。わかってないなら言うけど、親父めっちゃ表情に出るからな」


 特に虚偽の発言をするときが顕著だ。目は泳ぎ鼻頭はひくついて、喋りも心なしか早くなる。ここらへんは摩也兄に遺伝している気がする。


「実はだな――」

「強行突破かぁ……」


 押しとどめようとあれこれ突っ込んでいたつもりが、それを意に介する素振りすら見せない。俺みたいなケツの青いガキでは、なりふり構わなくなった大人と争うことなど不可能だ。

 仕方ないから諦めて、続く彼の言葉を待つ。――ただ、後から考えれば、俺はこのときさっさと退場しておくべきだったのだ。

 

「――許嫁がいるんだ」

「誰に?」

「お前に」

「んなわけないじゃん。帰りまーす」


 思考放棄からのノータイム脱走……のはずが、思いのほか強い力で腕を掴まれ、抜け出せない。出た出た金持ちお得意のやつだよ~とうんざりしている俺に、父は続ける。


「悪い話ではないと思う」

「悪い話だよ」

「心に決めた相手がいるのか?」

「いないけど、これからできる可能性を考慮したら悪い話になるんだよ」

「その相手と愛を育むという発想はないのか?」

「ねえよ。逆になんであると思ったんだよ」

「それでも私の息子か」

「あんた二回とも恋愛結婚だろうが!」


 親からあてがわれた相手と渋々結婚した過去が父にあれば同情の余地もあったが、そんなことはないのだった。その口で調子のいいことばかり言われても困る。


「大体、なんで俺なんだよ……。兄貴ならまだわかるとしても、遅れて生まれた末っ子だぞ?」

「……それはだな」

「酒の席での口約束が思ったより大きくなってたなんてのたまったら、ここで話はおしまいです」

「…………お前が産まれたのは、凍えるような冬の日の――」

「図星かよ……。嘘って言ってくれよ……」


 誕生時の心温まるエピソードで話題を逸らしにかかったのだろうが、そんなもので絆される俺ではないのだった。


「今すぐ断ってくれ。自分のケツは自分で拭けよ社会人」

「……沽券に関わる」

「俺の関知するところじゃねえんだわ」

「まあ待て。判断するのは相手方の顔を拝見してからでも遅くないだろう」

「遅いんだって。それでなお断ったら顔が好みじゃなかったことになって相手に失礼だし、逆に手の平返したら俺がただの最低面食い野郎に成り下がるんだよ」

「この子なんだが……」

「あー融通きかねーーーーー!!!!」


 しかし、俺も聖人ではない。ミーハーなところは少なからずあって、父がどこからともなく取り出した写真をついつい覗きこんでしまうくらいのお茶目さは残っている。

 ただ、その写真はいささか古ぼけていた。少なくともつい最近用意されたものではなく、現像から十年は経過したような……。写っているのは年端もいかない少女で、この子が今もこの姿なら明らかに事案。……されど、十年経過した様子を思い浮かべると。

 

 っていうか、思い浮かべるまでもなく。


「……親父」

「思っていることがあれば言ってみなさい」

「……………………これ文月じゃね?」

「そうだが?」

「そうだが? じゃねえんだよなぁ……」


 金髪碧眼の、滅茶苦茶に見覚えある顔だった。なんならちょっと見切れた幼少期の俺が写りこんでいる写真だった。あーあ、やりやがったこのおっさん。俺もうしーらね。

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