第24話 一撃必殺

 土曜は生憎の雨に見舞われた。梅雨入りまで間もないことを思い出して気分が沈むが、それは移動の障害にはなり得ない。錬兄が手配した送迎車がマンションまで来てくれる手はずで、予定時刻はもうすぐだ。


「……出ねえんだけど」


 そんな中、机を叩く人差し指のテンポがどんどん速くなっている奴がいた。というか俺だった。何度電話をかけてもとある相手は出る気配がなく、このままでは人を待たせる羽目になってしまう。

 

「なんか聞いてるか?」

「いえ、特にこれといって……」

「よーし強行突破だ」


 文月に問うた後、これ以上は耐えきれないとサンダルをつっかけて外に出る。そしてそのまま隣宅のベルを連打。ピンポンダッシュだってもう少し穏やかだぞと思えるレベルで鬼連打。これだけやれば死人も目を覚ますだろうという頃合いで、ようやくドアががちゃりと開いて。


「ごきげんよう」

「キャラ作ってんじゃねえよバカ。そして機嫌はすこぶるよくない」


 学校での優等生スタイルをさらに凌駕したもう一つ上の猫かぶり。深窓の令嬢っぽいふるまいを始めた入江の頭にチョップをかまして、もたもたするなと腕を引っ掴む。


「服選ぶのに時間かかったのよ……」

「電話無視する理由にしちゃ弱すぎる」

 

 確かに髪の毛の一本から足の先に至るまで入念に手入れが施された気配があるものの、それも今さっきのチョップで崩壊した。あわあわと髪を直し出した入江だったが、余裕がないので「車でやれ」と一蹴。


「どんな気合いの入れようだよ。戦争でもする気か」

「ある意味相手方の総本山だし……」

「お前はそこの人間とずぶずぶの関係だろうが。一周回って正直好きだろ」


 妙にウチを敵視する割に、従者と仲良くしたり母に懐いたり犬を愛でたり、行動には一貫性がない。こいつの絆されやすさはあまりにも病的で、本人が目指しているだろう威厳ある人物像とははるか程遠いのだった。


「ずっ、ずぶ……! 確かに最近はちょっとだけ、本当にちょっとだけらしくないところも見せたけど、そんな仲良しこよしじゃ……」

「ツッコミどころしかねえ。最近はあまりにもお前らしいところのオンパレードだったうえに、後半は文月や母さんが聞いたら泣くぞ」

「なんでおばさまの話になるのよ。……って、あっ!」


 入江はなにかに気付いたような素振りを見せてから、拘束された腕をぶんぶん振って俺にダメージを通そうとし始め。


「違うから!!!」

「あーはいはい違う違う」


 どれだけ暴れようが、素の膂力では俺が圧倒的に勝る。駄々っ子みたいにバタバタし続ける入江を拘束する格好で、無理くり外へと引きずり出した。


「荷物多すぎねえ? 連泊予定の方ですか?」

「女の子は色々大変なの!」

 

 海外旅行に持っていくような大型キャリーをごろごろ転がす入江。近頃色々とデリケートだから、性別を理由にされてしまったら言い返せない。しかしこいつはアホなので、それが最強の切り札であることに気が付いていないのだった。


「ちゃんと鍵閉めてけよ。あと鍵の収納場所ははっきりさせとけ」

「わかってるから……」


 一番痛いところをつついて静かにさせる。俺監督のもとで施錠と収納を執り行って、よくできましたと拍手。おちょくったつもりだったのに本人は誇らしげに胸を張っていて、なんというかこう……いたたまれない気持ちになった。


「お前、ほんと詐欺だけには気をつけろよ……」

「…………?」


 無垢なる疑問顔。そりゃあ世話焼き係が付いて回るわなと中学時代のあれこれに納得し、そしてなんで俺がその役目を背負っているのだと自問する。小動物の保護ボランティアに名乗りを挙げた覚えなどない。

 しかし、毒があったら皿まで食べようとしてしまうのが、俺の悪い癖で。


「とりあえず合鍵寄こせ」


 どうせこれからも紛失騒ぎは起こるのだ。そればかりは防ぎようのないヒューマンエラーで、そのたびウチに身を寄せていては面倒極まりない。だったら予めスペアを預けておいた方が合理的で好都合。

 そんな俺の親切な提案に対して、入江が取った反応は。


「……ケダモノ」


 するすると数歩退いたかと思えば、己の上半身を抱きしめつつ下から俺を睨んでいる。……ただ、急にそんなことをしたせいでキャリーケースはばったり倒れかけ、慌てて支えようとわちゃついて格好がつかない。


「なにを勘違いしてんだか知らんが、俺が言ってんのはリスク管理の話だ」

「口ではそう言って安心させながら、夜中にこっそり忍び込むつもりなんでしょ」

「……俺がお前を襲う前提で話してんの?」

「それ以外ないじゃない」

「まあ、詐欺に気をつけろって言った手前その自衛精神は褒めたたえたいところなんだけど、マジでないから心配しなくていいぞ。なんたって、俺にも相手を選ぶ権利が――」


 言い切る前に、脛を渾身の力で蹴られた。それも爪先で。地獄の激痛に伏して喘ぐ俺を一瞥しながら「最ッ低! 信じらんない!」と一方的に言い放った入江は、そのままエレベータに乗って一人階下に向かっていく。俺は数分がかりでその傷を癒し、傍らで一部始終を静観していた文月へジャッジを委ねた。


「……今のは俺が悪いのか?」

「そうは思いませんが……でも、申し訳ありません。今回はとばり様の肩を持たせていただきます」

「女心わっかんねえ……」


 彼女の手を借りて立ち上がる。蹴られた場所はまだ痛み、失言の証として当面居残るつもりらしい。


「なんで家出る前からハプニングに巻き込まれてんだよ……」


 実家で起こるイベントに備えて心構えをしていたのに、思わぬところで出鼻を挫かれた。……やっぱり、あいつを連れて行く判断は誤りだったよなぁ。

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