第23話 兄貴

『あれ、普通につながるのか。さては葵、父さんの番号を着信拒否してるな?』

「親父が電話してくると大抵ロクでもないことが起こんだもん。自衛措置だよ自衛措置」


 久しぶりに聞く声だ。最後に話したのは半年以上前だった気がする。長男の錬也れんやは家を空けがちな人で、顔を合わせるのは基本的に大きなイベントがあるときだけ。そのせいか、あるいは十歳以上離れた年齢のせいか、兄というよりは近しい親戚のような印象を受けている。俺が物心ついた頃には既に家を出ていて、会うたび「また大きくなったなぁ」から話し出すのも影響しているかもしれない。


『どうだ。元気にやってるか?』

「まあぼちぼち。ってか、それを言うなら錬兄れんにいはどうなんだよ」


 二人いる兄のうちどちらからかかってきたかまでは言わなかった。文月と入江はそれを気にしているようだったから、『錬兄』の部分だけわずかに強調する。


『俺も最近は調子いいよ。もう半年は熱を出してない。……ところで葵、近くに誰かいるのか?』

「わかる?」

『いや、人前で話すときのトーンだなと思って。友達?』

「……そんなもん」

『そっか、女の子か』

「ずばずば当てんね相変わらず……。おっかないな」


 勘と呼ぶべきか察しと呼ぶべきか、彼はとにかく鋭い。最低限の会話から考えられる限りの情報を抽出してしまうので、過度のおしゃべりはご法度なのだった。特に、隠しごとの類もあっけなく暴かれてしまう傾向にあるので、俺には慈悲を乞うことしかできない。


『彼女?』

「違う違う。ほら、ウチに傍仕えの伝統みたいなのあったじゃん。兄貴はつけてなかったけど、どういうわけか俺には用意されてて。文月さんとこの娘なんだけど、覚えてるかな」

『あーはいはい、わかるよ。あの金髪の子ね』


 この様子だと、俺の新生活については詳しく聞かされていないらしい。俺も俺で彼の近況を知らないから、こんなものだろうと流すが。


『で、他には? もう一人くらいいるんじゃないか?』

「そこまでお見通しかい……。よくわからんうちにご近所さんになった入江の一人娘が夕飯食いに来てんだよ。意味わかんないっしょ?」

『なんというか、すごい状況だな』

 

 はは、と笑い声。笑いごとではないのだが、訊いただけでは笑うくらいしかできまい。俺も「すごい状況なんだよ……」と追従して、その間に脚を組み替える。


「あの、ご挨拶を……」

「あー大丈夫大丈夫。そういうの気にする人じゃないから。……それにこの人、声聞いただけで相手の身体的特徴言い当ててきたりするし」

「……身体的特徴、ですか?」

「最悪スリーサイズがこのお茶の間に開示される」

「す、スリ……」

「名誉を守りたいならやめとくべきだ」


 俺の親族ということもあって文月は一言口添えようと立ち上がったが、脅しが効いたのかそのまま座り込む。さすがにそこまで超然とした能力でないのはわかっているが、念のためだ。

 

「……で、今日はなんの用?」

『弟がどんな高校生活を送っているのかヒアリングしようと思っただけだよ』

「それは建前でしょ。親父が着拒どうこう言うからには」

『うーん、それなんだけど。俺としては、あんまり聞いて欲しくないんだよね。ここ最近の父さんを見ている感じ、妙に切羽詰まっているというか』

「親父がメッセンジャーとして兄貴に頼ったわけじゃなくて?」

『それなら俺よりも摩也まやの方が適任だろ?』

 

 摩也は真ん中の兄の名だ。確かに錬兄よりも摩也兄の方が交流は深く、関係性は気安い。前にいる二人も、摩也兄の顔なら知っている。


『父さん、かなり悩んでるっぽくてね。それとなく俺に救援信号を出してるのはわかるんだけど、まだ本格的に口にしてはいないって頃合い』

「それと俺が関係あるわけ?」

『勘だけどね。ちょくちょく葵の話を振られるし、今年でいくつになるか何度も聞かれたし』

「高一の息子の歳くらい把握しとけよ……」

『それはそうだね。……とにかく、近いうちに摩也を通して連絡が行くと思う。着信拒否を解除すればその限りでもないんだろうけど』

「それはない。……でも、待ちに徹するのもなぁ」


 親父が抱えている問題の先送り癖には根深いものがあって、それに振り回されたことは数知れず。できることなら、早期になにが起こっているか聞き出しておきたい。

 ただ、それなら手っ取り早い方法がある。


「兄貴ならどんな話かくらい察しついてるんじゃないの?」

『一応ね。……ただ、憶測過ぎてちょっと口に出したくないかな。落胆させるか喜ばせるか、葵の感情がどっちに振れるかわからないし』

「そんな悲喜こもごもな話題なのかよ……」


 ますます気になる。それと同時に、放置しておくのが悪手にちがいないという半ば確信めいた予感が沸き上がる。兄貴ではないが、厄介ごとの匂いには敏感なつもりだ。


「しゃーないな……。明日って親父のスケジュールに空きある?」

『一日オフだよ。ずっと家にいると思う。……そっか、帰ってきちゃうか』

「やむなしでしょ、これは」

『伝えておく。夕飯はどうする?』


 一度、端末から口を離して。


「明日急遽帰省が決まっちまった。それでなんだけど、ここんとこずっと働きどおしだった労い込みで、あっちで晩飯食べて行かないか?」

「葵さまがよろしいのでしたら」


 文月に確認を取る。こういう形でしか休息日を与えてやれないから、それも考慮しての一時帰宅だ。……一方、ずっと蚊帳の外だった入江は妙に不満げで。


「拗ねんな。ガキか」

「……明日はミアを誘って料理を教えてもらうつもりだったのに」

「え、先約?」

「……まだ言ってないけど」

「紛らわしいな……。じゃあ日曜以降に持ち越してくれ」

「…………」

「なに、お前も連れて行けと?」

「……しばらくおばさまに会ってないし」

「…………」


 そうだった。こいつはウチの母親にいたく気に入られていて、そしてこいつ自身もよく懐いている。たまに出入りしては、二人で小規模なお茶会を開催していたっけ。そのたびたいようまで連れていかれるものだから、俺としてはあまり良い印象がないのだけれど。


「……錬兄、夕飯は三人分用意しといてもらえると助かる」

『了解。……葵もすっかり罪作りに成長しちゃったね』

「どういう意味だどういう」


 語気を強めたあたりで、通話が終了していた。のらりくらりと煙に巻かれた感覚は否めないものの、どうせ遅かれ速かれ問題は発生するのだ。


「……ったく」


 珍しく要望が通ってうきうきしている入江と、手鏡で髪の毛を直している文月とをぼやかした焦点で眺めつつ、心の中で愚痴る。 

 

 面倒くさいことならスパンを開けて代わる代わるきてくれよ、と。

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