第25話 前準備
バカみたいに広い土地に建つ、バカみたいにデカい家。周囲を高い塀で囲い、正面には門を構え、両脇に守衛を立たせて警備体制も万全。住み慣れた生家のはずだったが、時間をあけて訪れると異質さが際立つ。維持や管理だけで年間どれだけの費用がかかっているのか、恐ろしくて未だに聞けていないのを思い出した。
忘れられていないかというのは杞憂で、門は顔パスにて突破。石畳をちんたら歩いて庭の様子に変化がないのを確認しながら、数メートル先で手をぶんぶん振っている成人男性にこちらも手を挙げて応えた。
「よぉ。二ヵ月ぶりだっけか?」
「そんくらいじゃん?」
「昔っから薄情な奴だとは思ってたけど、お前マジに全ッ然連絡寄こさねーんだもんな。お兄ちゃんとしては内心ヒヤヒヤだぜ」
「便りがないのは良い便りって言うだろ」
「見ねえうちにまた生意気になりやがって」
頭をわしゃわしゃ揉みくちゃにされる。ただ、俺の方が長身なのもあって彼は僅かに背伸びをしており、絶妙に格好がついていない。
越智摩也。三兄弟の真ん中。歳は八つ上で、俺が産まれるまでの期間に末っ子で居続けた反動からか、やたらと兄貴風を吹かせてくることで知られている。そんな彼にとって、身長という序列が裏返ったのは由々しき事態らしく。
「どんだけ背ぇ伸ばす気してんだよ。そんなに太陽に近づきたいか?」
「植物の原理で俺を語らないでくれ。勝手に伸びるもんは仕方ないじゃんか」
親族間のなにげない会話によって「帰って来たんだなぁ」という実感を強めながら、俺は兄貴の視線を後方へ誘導した。
「お、そっちの二人も久しぶりな。とりあえず入った入った」
家にいる機会が少ない錬兄と違って、摩也兄とは二人とも面識がある。幼少期はこちらの遊びに混じる……もとい介入してくることも多々あった。「ご無沙汰しております」と文月が、「お邪魔します」と入江がそれぞれ頭を下げて、案内されるままに家の中へ。無駄に天井の高い威圧的なエントランスは相変わらずで、やっぱこの家趣味悪いわと全力で先祖に唾を吐きかける。
仮にも『和』を扱って財を築いた家系だというのに、建築様式から調度品に至るまでごりっごりの欧米かぶれ。畳の間も何室か用意されてはいるものの、個人にあてがわれる部屋は基本的に洋間だ。型にはまらない柔軟な発想と言えば聞こえは良くなるが、もうちょっと体裁を気にしておいた方がよかったのではと考えてしまうのは保守的すぎるだろうか。
「めっちゃ変わったところあるんだけどわかるか?」
「マジ……? 物が増えてる感じも減ってる感じもしないけどな。新しい使用人召し抱えたとかそんなん?」
「いや、俺が髪を切った」
「いつ?」
「お前が家出てすぐ」
「ふざけんな。二ヵ月でちょうどいい具合に伸びて結局いつも通りだよ」
「あと、親父が――」
思わず息を飲む。そうだった。今日は父に用があってわざわざ出向いてきたのだ。思い出したら急に体に力が入って、兄貴はそれを不思議そうに眺めている。ただ、言いかけた言葉を中断することはないようで。
「――酒の飲み過ぎで、各種数値が壊滅した」
「それは……ご愁傷さまでしたとしか言えん」
親父もだいぶ歳なので、健康診断で異常が見つかることくらいは普通だ。不摂生がたたったのなら今頃生活習慣を改善しているだろうし、それを俺に伝えるか否かで悩むとは思えない。
だとしたら。
「他になにか見つかった? 癌とか悪性腫瘍とか」
「お、反抗期か? 親父の早死にを願ってるなら残念だが、そういうのはさっぱりだぜ」
「願ってねえから……。まあ、そういうことならいいんだけど、親父関連で変わったことは?」
「なんもねえな、たぶん」
露骨に探りを入れてみるが、摩也兄の表情に変化はない。感情が顔に出やすい人なので、嘘をついているかどうかはすぐわかる。つまるところ、今の発言に嘘偽りはない。そもそも、それが明らかになっていたら錬兄はあんなはぐらかし方をしないだろう。
親父の抱える悩みとやらが健康問題でないことだけは明らかになった。わずかながらに懸念はあったので、まあよかったなと一安心。若いころからバリバリ働いてきて、余生を楽しむ前に死んだら悲惨すぎる。
「もしかしてお前、今日は親父を尋ねて来たのか?」
「錬兄からなんも聞いてないの?」
「葵が来るから出迎えてやれってだけだな。兄ちゃん自身は今日もいねえし」
「あの人らしいっちゃらしいけど」
根無し草というか、放浪癖持ちというか。ひとところに留まるのがとにかく苦手な人で、その優秀さと相反するように極めて社会性が低い。そのことから、身内も外部も、跡目レースの最有力は摩也兄と見ている。俺に異論はなく、錬兄にはそもそも興味を持っていない疑惑すらあるので、競争なしの円満解決が既定路線だ。
そんな次期当主さまは、わざとらしく俺の耳元に顔を寄せると。
「……で、なにがどうなって今日は女連れなんだ?」
「ワードチョイスが悪いな……。単なることの成り行きだって」
「嘘つけ。美愛ちゃんはまだわかるとして、いや全然わかんねえけどわかっといてやるとしてだ。とばりちゃんまで連れてくる事情ってなんだよ」
「久々に母さんに会いたいってゴネるから……」
「それがうらやま……おかしいって言ってんの。そんなこまめに連絡取ってたのか? 高校生の分際で? あんな美少女と? ただでさえ美愛ちゃんにあんなことやそんなことをお願いできる立場でありながら?」
「私怨まみれじゃねえか……。兄貴の学生時代がどんだけ灰色だったかは知らんけど、あいつとはなんでか高校が一緒で部屋が隣なんだよ」
「なんで?」
「それがわかったら苦労しねえんだよなぁ……」
むしろ、俺があちこちに聞いて回りたいくらいだ。こんなタチの悪い悪戯をする神様だったら、ちょっと長めに首を絞めたって許されるんじゃないかと思ってしまうほどには。
「くっそぉ……。たかだか弟の分際でよぉ……。どんな親父の弱み握って美愛ちゃんメイドにしたんだよぉ……」
「いや、要らねえって言ったのを強引に押し切られたんだが……」
「はぁ? じゃあなにか? 俺が決死の思いでした十年前の土下座は無駄だったって言うのかよ? 『そういうのとっくの昔になくなってるから』って親父が言うから、俺は泣く泣く諦めたんだぞ!」
「なんでかんで頼れる兄貴だと思ってたのに、ここ数秒で株価が大暴落し始めてんだけど」
「知るか! お前が高校生活を謳歌してる間に俺はどんどん新しいことを取り入れて成長してるのを忘れんなよ!」
「それは普通に望ましいことだよ……」
二十代半ばの成人男性が、女性関係で未成年の弟に嫉妬して涙目。最悪の字面と、それに勝るとも劣らないリアルの絵面。あんたが彼女持ちになれなかったのはスポーツに身命を捧げていたからだろうと慰めてやりたかったが、それでもし「そんなことなら帰宅部がよかった……」なんて言われた日には見ていられない。当時を美しい思い出として残しておくために、多くは語らないことにする。
しかし、捨て置けない発言があった。
「俺てっきり、兄貴が家に留まったのは一秒でも多く部活に時間を使いたいからだと思ってたんだけど」
話の内容的に、彼にも家を出ようという気概はあったらしい。叶わなかっただけで、親父にかけあってもいたようだ。
「いや、憧れるじゃん夢の一人暮らし。無名の公立を全国に導くってサクセスストーリーにも魅力があったし」
「俺は頼んだら『じゃあ必要なものは全部こっちで手配しとくから』って感じで即許可下りたけどな……。十年で親父に心境の変化があったってことか」
「俺が汗と泥にまみれた三年を、お前はメイドさんとの甘々同棲デイズに費やしてるかと思うと、一回しばきたくなってきたな……」
「心が小せえよ心が。それにそんなんじゃねえから。……なあ、文月」
視線を微妙に逸らして第三者感こそ出していたものの、彼女が今の会話をばっちり傍受していたのはわかっている。いわれのない嫌疑は、当人に晴らしてもらうのが一番だ。
「……そうですね。葵さまはとても紳士的なお方なので、そういったことはなにも」
にっこりと理想的なスマイル。多くの男性を一発で虜にすることまちがいなしのその笑顔は、しかし慣れ親しんだ者から見るとかなり不自然で。
「み、ミア……? いったいどうしたの?」
無論、付き合いの長い入江もその違和感に勘付く。「どうもしませんよ?」と微笑みかける文月はやはりどこか不気味で、違和感払拭のためにほっぺたをむにむにいじって直そうと試みる入江だった。
「……と、まあ、俺は兄貴と違うので」
「いいや嘘だね! 美愛ちゃん、こいつが少しでもおかしな素振り見せたら躊躇なく俺にSOS出せよ!」
「はは……」
立場上イエスともノーとも言い切れない文月は苦笑で茶を濁し、会話のバトンを俺にパス。
「……摩也兄、そろそろ野暮用済ませたいんだけどいいか?」
「お兄ちゃんとの会話より大事な用があるわけねえだろ」
「たまのお兄ちゃん自称、正直ちょっとキモいから勘弁してくれ。……ほら、入江を母さんのとこに連れてかなきゃならんし」
キモいが響いたのか、後半まで聞こえたかどうかは定かではない。だが彼はすっかりその場で固まってしまい、うんともすんとも言わなくなった。ブラコン拗らせると怖えなぁと震えつつ、手招きして入江を呼ぶ。
「あの、摩也さまはどのように……」
「放置でいい。俺の用事が済むまで、お前はどっかでくつろいでてくれ。まちがっても誰かの仕事手伝ったりするなよ」
放っておいたら自主的に掃除でも始めそうな奴だ。こうやって釘を刺すのはかなり大事な作業だったりする。
そんなこんなで文月をこの場に残し、入江を引き連れ母さんの自室方向へ。よほどのことがなければ家にいるはずだから、こいつを押し付けて喜ばせてやろう。
「……覚悟はいいか?」
「わかってるわよ……」
簡単な言葉で心の準備を完了させ、自分の頬を張って気合いを入れる。……これから先は、精神的消耗との戦いだ。甘ったるい心構えでは瞬きする間にふるい落とされる戦場だ。
俺と同様に、入江もすーっと息を吐いて覚悟を決めたらしい。いつの間にやら場所は母さんの部屋の前。意を決してコンコンとノックし、「母さーん、帰ったよー」と呼びかける。
すると数秒後、内開きのドアが亜音速で開いて。
「もう葵ったら、帰ってくるならもっと前から言ってちょうだいよ。お母さん、なんの準備も……」
言葉とは裏腹に満面の笑みで現れた母は、言い切る前になにを思ったか目をまんまるに見開き。
「とばりちゃん!」
直前までのセリフを突如キャンセルして、横の入江に抱き着いた。
「お、おばさま、苦しい……」
「ああごめんなさい、私としたことがちょっと荒ぶってしまって。……もう、とばりちゃんまで連れてきてくれるんだったら、なおさら事前連絡して欲しかったのに」
ごめんなさいと謝りながらも、母さんに入江を離す気はさらさらないようである。背中から腕を回して抱きしめ、「いつ見てもかわいいねえ」とうなじに顔を埋めている。入江への溺愛っぷりったらなくて、ちょっと目を離したら養子縁組でもしてしまいかねないのがウチの母親だ。俺の血縁者にはやべー奴しかいねえのか。
ただ、入江がそのかわいがりをまんざらでもなく受け入れているところがあって、息子の俺としてはとやかく言い難い。ファストフード並の手軽さで触れられる愛情だが、彼女にとってそれがいかに得難いものであるかを俺は知っているから。
「久しぶりねえ。葵とは仲良くしてた?」
髪を優しく梳きながら、母さんが入江に問う。――その瞬間、俺と彼女は刹那のアイコンタクトを交わした。
「ええもちろん。ね、葵?」
「ああ、とばり」
違和感やっべえ~~~と内心では転げまわりながら、表情は母に似せた満面の笑み。……この人の前においてだけ、俺たちは十年前から変わらない友人であらねばならない。なあなあの冷戦状態であることなど、毛ほども感じさせてはいけない。
「じゃ、お二方でごゆっくりどうぞ。俺は親父んとこに行ってくるから」
「終わったらすぐおいでね。三人でお話しましょう?」
「ガールズトークに俺の混ざる余地ねえって」
茶化すように言って、踵を返す。ボロを出すのが怖いから、母さんの前では極力入江の近くにはいたくない。それに、演技に要する体力気力がえげつない。……悪いな母さん、今そこで無邪気に笑っている女は、ちょっと前に俺の脛を破壊した暴れ馬なんだ。仲良しこよしじゃいられねえよ。
きゃっきゃした姦しい声を背中に受けながら、俺が向かうのは親父がいるであろう書斎。……当初の目的に至るまでに予定の百倍消耗しているのだが、ここまできたら行くしかあるまい。再度気合いを入れ直して、俺はストライドを広げた。
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