第13話 こつこつ

「店と外の気温差のせいで浮かびかけた眠気も一瞬でどっか行くな……」


 食事と精算を終えて退店。食べ物の写真を撮るのだとスマホカメラを構えた入江が画角内になんでか俺を突っ込んだり、「みんな混ぜてるぞ」「混ぜる気がないなら帰れ」「混ぜなきゃ意味ないよ」と散々脅した結果とても飲めたものじゃないごちゃ混ぜドリンクができたり、要らないと言っている俺へ意趣返しとばかりにチョコアイスが載った長スプーンを押し付けて来たりと色々あったが、腹が膨れた事実と比べれば全て些事。彼女もおそらく満腹だろうから、務めは果たしたと言える。


「そんじゃ帰るぞ。さっき諸々連絡したら、文月の部屋とかそこにあるものとかは遠慮せずに使ってくれていいとさ。下着類は夜のうちに洗濯して乾燥機で片しとけ」

「……替えはどうしよ」

「そこまで俺に世話させないでくれ。サイズ違いを承知で文月のを拝借するか、そうじゃなきゃコンビニで……って、無一文なんだった」


 近くにコンビニがあったのでこれ幸いと入江に財布を投げ渡す。


「ここで使った分はあとできっちり徴収するから遠慮すんな。たとえ間接的とはいえ、お前の下着を買ってやったって事実を後世に残したくない」

「……財布の中に変なもの入ってないよね?」

「ないから安心しろ」


 なんでそういう俗っぽいことは知ってるんだと肩を落としながら待つこと数分。袋をぶら下げて戻ってきた彼女に、「金額だけ知りたいからレシート見せてくれ」と手を出す。今月の生活費を考えるうえで、こういう突発的な出費はきちんと把握しておきたい。


「……無理」

「なんでだよ」

「無理! ごめんなさいだけどそれだけは本当に無理! お金は絶対返すから許して!」

「……なんか余計なもの追加で買ったんじゃねえだろうな」

「…………」

「……夜食になるもんならウチにいっぱいあるってのに」


 大方菓子やらジュースやらを購入したのだろうと推測し、ため息。そこまで食い意地の張った奴が、よくもまあ最低限の注文で我慢しようとしていたなと感心すら覚える。


「そ、そう。ちょっとお菓子買っちゃって!」

「……ま、返してくれれば文句は言わん。ほれ」

「……ッ!」


 女に荷物を持たせて歩くのもなあと親切心でレジ袋に手を伸ばしたが、全力で拒絶された。封を切っていないとはいえ下着が入っているなら当然か。ちょっと浅慮だったかもしれない。 

 俺が諦めたのを察してか、入江は額のあたりを手の甲で拭った。汗……? 夜で涼しいのにか……?


「……それより、なんでわたしとミアのサイズが違うってわかったのよ」


 俺と横並びになって、入江は一言。話題は地続きのようでいてちょっとした方向転換を迎えたのだろうが、あんまり責め立てて泣かれでもしたら最悪だから身の振り方は考える。


「適当だよ適当。文月と俺の洗濯物はそもそもカゴから分けてあるし、俺も意識して洗濯には関わらないようにしてるっての」

「……じゃあなに? 見た目から違うって言いたいわけ?」

「論理の飛躍。被害妄想って言った方がいいのか」


 デリケートな話題だから大きな声では言えないが、極東黄色人種の血が天下のヨーロッパ様のそれと真っ向勝負で渡り合うのは無理がある。最初から勝ち目がない分野で張り合わないで欲しい。


「そりゃあミアには敵わないけど、わたしだって別に小さいわけじゃ……」

「あーストップストップー。そんな情報聞いても使いどころがないので結構でーす」


 カミングアウトされても困る。将来的にそれを拝む機会があるなら話は変わってくるが、今のところそんな予定は絶無だ。入江が巨乳だろうが貧乳だろうが、俺の人生にはこれといって大きな影響はない。こいつに好意を寄せている奴には有用な情報なのかもしれないけれど、だからなんだって話。


「……ぁる………………しょ……」

「言いたいことがあるなら大きい声ではっきり頼む」

「なんでもないもん!」


 確かに大きい声だったが、本来言わんとしていた内容でないことくらいは察しがつく。さりとて追及しても無駄なのはわかり切っており、お互いしばし無言で歩く。完全に機嫌を損ねてしまったが、帰る場所が同じである以上は別れることもできない。


「…………」

「…………

「……なんだよ」


 横並びになっているせいで、というわけではないと思う。歩きながら入江の手が度々俺の手の甲をこつこつ叩いてきて、避けようと横へスライドしてもそれが続く。意思のこもった行為であるのは明白なものの、肝心の意思とやらがなんなのかわからない。


「くすぐったいからやめてくれ。それに、俺はお前の思ってること察せるほど聡くねえ」

「……別に、思ってることとか、ないし」

「ぜーったいあるね。さっさと吐いて楽になれ」


 取り調べ用のカツ丼……は先ほどの夕飯で代替させてもらおう。とにかく、言葉にしてもらわないことにはなにひとつとしてすっきりしなくて気持ち悪い。――だというのに。


「…………」

「わっかんねえなあ……」


 相変わらず入江は俺の手をこつこつ叩くばかりで、一向に口を開く気配がない。しおらしくなるのは扱いやすくていいななんて思ったが、時と場合を考えてくれないことには一周回って迷惑だと今気が付いた。

 仕方ない。かくなる上は。


「あっ……」

「うざったいことしてくるお前が悪い」


 ここから家までずっと同じ調子だと気が滅入りそうだったので、彼女の指先をまとめて拘束する形で手を掴んだ。それで大人しくなったのはいいが、数十メートル歩いたところで思ったことが口をついて出てしまう。


「たいようの散歩みてえ」

「…………っ!」

「えー、なになになに?」

「……たいようみたいな忠犬じゃないから噛みつかなきゃ」

「いや、俺これが人生初の恋人つなぎなんだけど。記念を奪わないでもらっていいですか?」

「……わたしだって初めてだもん」

「余計にやめとけよ。毎年今日の日付のカレンダー黒塗りにしなきゃいけなくなるぞ」

「ご心配なく。反抗記念日として会社全体でお祝いするから」

「こんなくだらねえことに家を巻き込むな」


 振りほどこうにも、思いのほかがっしり手を組まれていてどうしようもない。全力で振り回せばなんとかなるだろうが、怪我をさせるのはさすがに嫌だ。

 

 それにそもそも、人生のどんな期間を切り抜いても彼女の一人すらいたことがない俺に、これはちょっと刺激が強すぎた。いくら普段は融通の利かないマスコットという認識だって、近寄ればいい匂いがするし胸は膨らんでいるし触れれば色々と柔らかい感触が伝わってくる。大変癪だが美人なのも周知のことだし、普通に心拍数が早まっている自分がいる。


「恥ずいんだけど……」

「いつも散々馬鹿にしてくる割に、こういうのは意識するの?」

「あのなあ……」


 こっちが同じようにできるわけがないのをいいことに、平然と耳が胸のあたりに押し付けられる。わざわざ止まってまですることかよと、空いた手で側頭部にチョップを見舞ってやった。


「いったぁ……傷物にされたぁ……」

「自業自得だ馬鹿。良いから離せ」

「いーーーだ」

「こんのクソガキ……」


 離してくれないどころか歯を見せて煽ってくる始末。こいつが男だったら三度はぶん殴っているんだけどなあとあり得ない仮定に思いを馳せながら、結局マンションまでその体勢のままで歩いた。


「……ん」


 部屋の前、ようやく手を離した瞬間に彼女が漏らしたその一音に、どんな意味が込められているかは知らない。……こんなのと朝まで一つ屋根の下だと思うだけで、今からどっと気疲れに襲われた。

 

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