第12話 嫌がらせ

「……なんか変な感じする」

「洗い立てだが。臭いって言われたら普通に傷つくぞ」

「そうじゃなくって。……袖ぶかぶかだし、丈もめちゃくちゃだしで、ハロウィンの仮装みたい」


 入江は両腕を前に伸ばす。その状態でも指先は袖の内側に収まったままで、萌え袖と呼ぼうにもいささか不格好。年の離れた兄や姉からサイズ違いのおさがりをもらったらこうなるだろうか。


「ほぉ」

「……なにすんの」

「いや、こうした方がより仮装っぽいなと思って」


 当然ながらフードのサイズも彼女の頭には合わない。無理やり被せたら目元がすっぽり隠れ、腕を伸ばしているのも相まってかなりそれらしくなった。


「このまま膝固めてジャンプしたらだいぶキョンシーだな。額に適当な紙でも貼るか」

「わたしで遊ぶな」

「はいはい」

 

 顔を隠した女を夜に連れ歩く。字面だけで明らかにヤバいのでフードは引っ張って脱がせ、くしゃくしゃ乱れた髪を適当に整えてやる。「自分でやる……」と口では言いながらも抵抗には移らないあたり、今日のしおらしさはよほどのものと見ていい。


「で、どこ行くよ。好き嫌いあったっけ?」

「ピーマンとトマト……」

「じゃあピザ屋か。デリバリー頼めばよかった」

「あとあんた」

「お、進行形で嫌いなものが更新されたな。その並びだと俺も食いもん扱いだが」

「無駄に身長伸ばしてるんだから可食部は多いでしょ」

「晩飯前にカニバリズムの話したくねぇ~……」


 一応食事処が集まっている方向へ歩みを進めてはいるものの、どこの店に行くかは候補すら挙がっていない現状。この辺、一人だと色々融通が利いて楽なのだが、同行者がいるとなるとそうもいかない。予算の都合であったり、アレルギーであったり、カバーしなければならない問題が一気に増える。


「さて、どうするか。いっそ金だけ出すから各々好きに片づける?」

「……それはちょっと」

「まあ、さすがにねえな、うん」


 いくらなんでもドライ過ぎた。特にこいつの場合、選ぶに選べず結局腹を空かせたまま戻ってくるなんてことも十分に考えられる。いいや、絶対にそうなるという確信がある。

 見えた二度手間を回避するのはもちろん、奢ってやると言ってしまった手前その役割くらいは果たさねばなるまい。一旦発言を白紙に戻し、周囲をぐるっと見回して。


「昨日の夕飯考えたらステーキハウス系は除外。……となると」


 帰宅するまではなんとなくファミレスでいいかくらいの気分だったが、現時点ではそれでほとんど本決定。メニューが多岐に渡る店ならば、お互い不満も残るまい。食は命に関わりつつ、また娯楽の側面も持つ行為。あまり蔑ろにするのはよくない。


「ここでいいか?」

「拒否権あったの?」

「ないが」

「じゃあなんで聞くのよ……」


 洋食をメインで扱う全国チェーンのファミレスの前で歩みを止めて問う。我ながら意味のない確認作業だなとは思うが、世界は割とこういう意味のない儀礼行為で溢れかえっているから良し。要は、一種のお約束だ。

 入江を引き連れながら入店。第一印象としては、時間帯の割に客がいた。深夜まで営業している店舗があまり周辺にないということだろうか。俺たちと同年代に見えなくもない若者の姿もあって、お互い補導には気をつけましょうって感じだ。


「……俺まで恥ずいからあんまりキョロキョロしないでもらっていいか?」


 入江は俺のシャツの裾を引っ張りつつ、店内を端から端まで観察している。上京したての田舎者がビルを見上げている光景のようで、同行人としても居たたまれない。


「知り合いでもいたパターン?」

「……こういうところ、初めて来るから」

「うわー、ひっさびさにお前がお嬢様なの思い出した」

「あんただってお坊ちゃまでしょ……」


 反論の声に力はなく、俺の背中に隠れて店員とのやり取りを眺める姿はまさしく世間知らずのご令嬢。勝手がわからないのか常にびくびくしている姿は新鮮そのものだ。

 ただ、わからなくはなかった。小中学生の彼女にはかなり厳しめの門限が設けられていたし、平日は習い事もいくつか嗜んでいたはず。放課後、友達と連れ立って遊びに行く機会が多かったとは思えない。そう考えると反射的にからかうのもためらわれて、つい「金額は気にすんなよ」などとらしくもないことを言ってしまう。


「今日、なんか優しい……」

「馬鹿言うな。俺は生まれてこの方年がら年中優しいっての」


 メニュー表を広げてざっと見渡す。まあ、三千円もあれば二人とも満腹になれるだろう。普段の出費は文月が限界までセーブしてくれているおかげもあって、財布にはそこそこ余裕がある。……だとするのなら一番この場にいるべきは文月に違いないが、彼女は本日実家でゆっくりしているはずなのでそこは気にしない方向。


「そもそもお前、ファミレスの存在自体は知ってたのか?」

「そこまで世間知らずじゃないもん。ほら、学校にだって何人かいたでしょ、飲食業界の関係者」

「あー、その筋。確かにいたなそれっぽい名前の連中」


 広く考えれば俺も入江も飲食業界に関わりのある人間。学校でそれをつながりに話しかけられることも何度かあった。……俺は家名を借りたマウントバトルが始まるのを恐れて、あまり深くは触れ合わなかったけれど。


「……でも逆に、あんたはどうしてこういうところに慣れてるのよ。お宅にコックさんいたでしょ」

「中学じゃ基本、編入組とツルんでたしなぁ。庶民感覚はそこで養った節がある」


 家の権力を振りかざす気にはなれず、しかしエスカレータ組を相手にすると嫌でも家の格で上下関係が決まりがち。それが好ましくなくて、学費全免で中学から編入してきた奴らと懇意にしていた。向こうの立場になって考えると俺が積極的に話しかけてくるのは恐怖でしかなかっただろうが、なんでかんで仲良くなれるのだから男という生き物は単純だ。


「ま、元より俺の教育方針は放任気味だしな。期待されてない分、家名に泥を塗らない範囲であればどこでなにやっても問題なし。放課後ドリンクバーだけで何時間粘ろうが、そいつらの家に邪魔してゲームしようが、やることだけちゃんとやっとけばいいよって感じ」

「……そっか」

「……別に、今からでも間に合うだろ。友達作って好きに遊ぶくらい、なんてことない」


 明らかな羨ましいオーラを醸し出し始めた入江を諭す。まだ高校生活は始まったばかり。ここが青春の入り口だって遅くはない。


「あ、でも金は出すなよ。始めはシンプルな友好関係を築けてたとしても、毎度奢られたりしてると感覚麻痺って金ヅルまで真っ逆さまだ」

「保護者か」

「保護者だよ。その責務として、これからお前の空腹を解消する」

「…………」


 カウンターが顎に刺さったのか、入江は顔を真っ赤にして押し黙った。レアな光景なので写真でも撮っておこうかと思ったが、かわいそうなのでやめた。

 会話のために歩いたわけではないので、メニュー表で彼女の腕をつついて注文を促す。すると彼女は、特に安価なパスタを指さして「これがいい」と一言。


「ドリンクバーはどうする? ……って、さっきもさらっと言ったけどドリンクバーは知ってるか?」

「知ってるけど、いらない。夜に甘いもの摂りすぎるとよくないし」

「……健康志向なら文句は付けられねえな」


 備え付けのベルで店員を呼び出し、「ご注文はお決まりですか」の定型文を聞き終えてから、俺はメニュー表をあちこち指さして言う。


「このビーフシチューとパスタ、それからポテト盛り合わせの一番大きいサイズに、鶏のから揚げも。食後にチョコレートのパフェと、あとはドリンクバー二人分お願いします」

「ちょっ――」

「……かしこまりました。しばらくお待ちください」


 異論を挟もうとした入江の口を無理やりふさぐ。店員さんは一瞬戸惑ったようだったが、俺の「行ってくれ」という必死の訴えを理解してくれたようでそそくさとこの場から去って行った。入江は俺の手越しにもごもごなにか言っていて、離した途端にそれが爆発。


「要らないって言ったじゃん。サイドメニューもいっぱい頼んでどういうつもり?」

「どういうって、そりゃあ決まってんだろ」


 嫌がらせ。わかりやすく一言で教えてやると、入江はぽかんと呆けてなにも言えなくなった。


「確かにあれだけ頼んでも俺一人じゃ食いきれん。当然残すことになるわけだが、食べ物のことに関して特に厳しくしつけられてきたお前はそれを看過できんわな」


 ドリンクバーについても同様に、金銭契約が終わっている場所で意地を張る意味はない。もう後戻りはできないのだから、好きに使った方が賢いし得だ。その程度の計算もできない奴じゃないのは知っている。


「結果として残飯処理させられるお前は、カロリー過剰摂取で立派に肥えて帰るわけだ。俺に泣きついた以上、全部思い通りにいくと思ってもらっちゃ困る」

「…………ごめん」

「なんで嫌がらせに謝るんだよ……」

「ありがと……」

「感謝はもっと意味わからん」


 健啖家のくせに当初のオーダーで足りると本当に思っていたのだったらお笑いだ。――それにお前、これくらいの建前でも押し付けてやらなきゃ素直にものを受け取りもしないだろうが。

 ……あーっ、妙に気障ったいことしたせいで顔は熱いわ喉は痒いわでやってられん。取りあえず飲み物取ってきて頭の一つも冷まさないと――と。


「……お前、俺の後ろ付いてないと店内の移動もできねえのか」

「ドリンクバーの存在は知ってたけど、作法は知らない……」

「……ったく」


 ここまで来たら完全に保護者のスタンスで行こう。毒を食らわば皿まで理論で、徹底的にファミレスの真髄を叩きこんでやらねばなるまい。

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