第9話 勘違い

「ほぉ、へぇ、ふぅん……」


 文月のもとへ近づき、頭のてっぺんから足の指先に至るまで余すところなく眺める栞さん。文月も突然のことに驚いているようで、目をぱちぱち瞬かせながら直立不動を貫いている。

 一通りの検分が終わったのか、栞さんはこほんと喉を鳴らしてから俺に向かって言った。


「いやぁ、なかなかどうして、少年も隅におけない」

「は、はぁ」


 どうも……と適当に返事。なにがどうしてその結論に至ったのかは正直なところよくわからない。


「お嬢さんお嬢さん、よければ奥で一休みでもどうかな?」

「あ、いえ、私は……」

「そもそもなんの用だ? 気まぐれで立ち寄るような場所じゃないし」


 学校からマンションまでのルートから、この店は大きく外れている。顔を出すからには、それなりの理由がないとおかしい。


「急なお話で申し訳ないのですが、父から今日中に家を訪ねるようにと。……それで、その、夕飯の仕込みが間に合いそうもなく」

「それくらいならメッセージ一つ入れてくれれば……ってそうか。俺、バイト中はスマホ触らないもんな」


 夕飯があると信じて帰宅し、しかしキッチンは手つかず。それは確かに堪えるものがある。そうなるのを見越して、文月は家に戻りがてらわざわざ直で伝言を残しに来てくれたらしい。

 ただ、目的はそれだけにとどまらないようで。


「それから、主人がお世話になっている方に一度お目通りをと」


 にこりと微笑んで文月は言った。同い年とは思えないほどよくできた奴だなあと感心しつつも、ちょっと過保護すぎやしないかと恥ずかしくなったりもして。

 彼女はそのまま栞さんの方へ向いて、「文月美愛と申します。ご挨拶が遅れまして申し訳ありません」と一礼。これには日頃マイペースな栞さんも調子を狂わされたようで「いえいえこちらこそ……」なんて柄にもないことを言っている。


「これ、つまらないものですがよろしければ」

「あ、文月、それはもう結構な頻度で……」

「良いから良いから。もらえるものはいくらあっても困らないし、それが絶世の美少女からのプレゼントならなおさらだよ。いくつだってありがたくちょうだいさせてもらうぜ」


 文月が持参した紙袋をひょいっと受け取り、そのまま彼女の手を握った栞さんは、問答無用とでも言いたげに奥の居住区へと歩みを進め始める。


「……文月、時間の余裕は?」

「三十分ほどでしたら……」

「充分充分。それだけあれば他人から親友だ」

「し、しん……?」

「こういう感じの人なんだ。そのうち慣れる」


 たじたじになっている文月をフォロー。彼女からしてみれば軽いバイト参観のつもりだったのだろうが、とんだ災難に巻き込まれたものだ。

 

 和室の端で何枚か積まれていた座布団の一枚を文月に渡した栞さんは、そのまま定位置に腰をおろす。俺も例にならっていつもの場所に座ると、楚々とした所作で文月も続いた。俺の真横で綺麗に正座を組んだ彼女はどこか落ち着かなさそうにそわそわしている。


「足なんか崩しちゃっていいんだよ……と言いたいところだけど、時と場合によるか」


 栞さんは早速お土産の封を開け、お茶を人数分注いで提供してくれた。それをありがたくちみちみ啜りながら、先ほどからの違和感の正体を探る。……なんというか、彼女の目が妙な生暖かさを帯びている気がしてならないのだ。


「しかし、しかしねえ……」


 ちゃぶ台に頬杖をつき、向かいに座る俺をにやにや見つめてくる栞さん。どこでなんの気づきを得たかは定かじゃないが、一体なにをお考えなのだろうか。


「あの……」


 不思議な空気に不安を覚えたのか、文月の指先が俺の手の甲に軽く触れた。確かに、どういうことか説明を求めたくなるのが普通の心理だろう。


「時に越智少年。そちらの美人さんはフィアンセかなにかだと思っていいのかな?」

「……ごほっ!」


 突拍子もない話に、大きく咳き込む。辛うじて口の中のお茶まで吹き出さずに済んだが、変な我慢の仕方のせいで気管がやられたらしい。背中をさすろうとしている文月を片手で制止し、今度はこちらが訊く。


「なにがどうしてそうなるんですか?!」

「だって、さっき主人って言っていただろう?」

「いや、それはそういう意味ではなく……」


 己の一言が思わぬ失言だったと気づいてか、文月の頬は大絶賛紅潮中。本人からの反論は望み薄なので、俺が代わりを務めるほかない。


「ブルジョアジーなら、まだ許嫁の風習が残っていたりするんじゃないのかい?」

「完全にないとは言い切れませんけど、少なくとも俺は違います」

「でもその子、明らかに同居を匂わせる発言をしていたような。そうじゃなくても、通い妻とか」

「そこらへんは説明がめっちゃ難しいんで一度端折りますが、彼女のポジションは俺の傍仕えです」

「へぇ、側室ってこと?」

「傍女のことじゃねえから!」


 年上相手なのに思わず敬語が外れた。行儀が悪いことこの上ないが、これくらいは許されたし。


「しかしねえ、さっきからお嬢さんはまんざらでもなさそうだし」

「赤面症なんですよこいつ。驚いたりテンパったりしたときは基本こうなって。……なあ?」

「…………」


 無言でこくこく頷く文月。その背を軽く二回叩いて、「とにかく」と俺は続けた。


「噛み砕いて言えば、この子はウチのメイドさんってわけです」

「それはそれでヤバいな?」

「確かに!」


 肯定するしかなかった。どうにも先ほどから、俺のテンションがおかしい。

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