第10話 また勘違い

「正直、許嫁よりもメイドさんの方が希少性高そうじゃない? それもこんな若い子となると。私じゃ君らの感覚はちょっとわかりかねるんだけど」

「……まあ、ちょっとしたお手伝いならまだしも、本格的なものってなれば確かに」

 

 市井に出れば大金持ち扱いを受ける家に生まれたが、通ってきた小中全体を見れば俺のレベルは上の下くらい。ガチな財閥関係者なんかと比べられればウチだってただの成金だ。そんなところにいたものだから、専属の運転手、専属の料理人、専属の庭師。そういう人たちを召し抱えている同窓生は珍しくもなかった。……だが言われてみれば確かに、常日頃から付き従うレベルの執事やメイドには覚えがない。


「単に、俺の認識不足かもしれませんけど」


 俺は、周囲の――特に同級生のような間柄の人物に対し、文月が自分のお付きであると語ったことはない。一時期家に出入りしていた入江はちょっと特殊な例に過ぎず、基本、彼女にはただの同級生でいてもらった。家同士の関わりを洗いざらい調べるような輩には気づかれていたのかもしれないが、少なくとも明らかになってはいなかったはず。

 だとすれば、俺以外にも似たような境遇の人間がいた可能性は否定できない。


「他にこっそり従者引き連れてた奴に心当たりあるか?」

「……もしかしたら、というのは。でも、あくまで推測の域です」


 そこらへんのアンテナの高さは、自分の立場によるところも大きいのだろう。ただ、容疑者の名前を聞き出そうがもはや学校違いの他人。お行儀の悪いゴシップに首を突っ込みたくはなく、「やっぱり珍しいみたいですね」と結論。


「ほぉ、生メイド……」

「あ、あの……」


 ちゃぶ台越しにずいっと身を乗り出してくる栞さん。近付く彼女から逃れてもいいものかと、文月は俺へ救難信号を出す。


「メイドに生も冷凍もないですから」


 近くにあった今日の新聞で、二人の間に仕切りを作る。


「おっと失礼」


 熱が入り過ぎたことを自覚したのか、栞さんはそそくさと元の位置へ戻り、文月もまた「ふぅ」と胸を撫でおろした。

 これまで気にしてこなかったが、この新聞はいわゆる五大紙。世間に興味がなさそうな栞さんもある程度の情報は欲しがるものなんだなぁと、何気なく脇に置いた。


「いやー、でもさでもさ、許嫁だろうがメイドだろうが関係なく、とんでもない美少女を見つけてくるもんだよ。目の保養には持ってこいだぜ」

「初対面の相手捕まえてどんどん言いたいこと言いますね……」

「越智少年は私の友達。そんな君の世話焼き人だと言う以上、彼女と私は既にソウルメイトみたいなもんさ」

「三段論法を勉強し直してもらえたらありがたいです。……って、俺は友達扱いですか」


 先手必勝とでも言いたげに、栞さんは文月とがっちり握手を交わしている。なんでも素直に受け入れなくて良いんだぞとは常々言っているが、これは彼女の素の性質だから仕方ない面も大きい。

 そして、栞さんは文月の手を握りっぱなしで言う。


「友達以上をご所望なら、もうちょっと積極的なアプローチを頼むよ。これでも身持ちは固い方だから」

「揚げ足取りたい放題だなほんっとにもう……」

「まあまあ。雇用被雇用の関係と言うと少々ドライ過ぎて面白みがない。なら、友人と呼んでしまった方が気楽なもんさ」

「それで言うと、栞さんは俺に毎月結構な額の友達料金を振り込んでいることになりますが」

「そうだよー。男に捨てられないようにするためにはこれくらいしないといけないんだ。――良いかい?」

「はっ、はい」

「変なこと吹き込まないでください。……お前もメモなんかしなくていいから」


 手帳のスペースがもったいない。万年筆のインクもだ。よもやま話をよもやま話として受け流す能力は、人生においてだいぶ大きなウエイトを占める。誰かが語る教訓も成功譚も、あくまで限定的な状況でのみ活きるもの。人が違えば条件も変わるのだから、話半分に聞くくらいで十分。


「うわぁすごいね、爪の先まで洗練されてる」

「あんたはあんたでおっさんじゃないだから……」


 綺麗に整えられた文月の指先を見て、感心した様子の栞さん。セリフだけ抜き出したら完全にセクハラ中年オヤジで、自分が歳の若い美人であることに感謝して欲しかった。……いいや、それを踏まえているからこそ、白線の上ギリギリを攻められるのか。


「しかしだ少年、髪も爪も顔立ちも、これだけ素晴らしいものを褒めないでいる方が人として不義理なんじゃあないか?」

「近年そこらへん厳しいんですよ。同性相手ならそりゃいくらでもって感じですが、男が女にってなった瞬間セーフとアウトが判然としない綱渡り。百パーセントの善意がセクハラ呼ばわりされる時代なわけでして」

「つまり常日頃から褒めているわけではないと言いたいわけだ、君は」

「……いやあ、まあ、そりゃあ」


 むしろそれが昨今のスタンダードだろうと思う。それに、そこかしこでかわいいかわいいと言われてきた文月に俺まで同じ内容をこすり倒すのはさすがにくどい。俺から言われなくとも彼女の美しさに揺らぎはなく、自己肯定感の上下は起こり得ない。


「少年、取りあえず私を見たまえ」

「見てますが」

「そうか。なら、どう思う?」

「どうって、いつもの栞さんだなぁと。出会った頃から相変わらずです」

「そう、それ。髪は切りにいくのも面倒だから伸ばしっぱなし。化粧もしないし肌の手入れもやっつけ仕事。これらは全て、誰かに見せる意識がかけらもないがゆえのこと」

「はぁ……?」


 よほど濃くもない限り、薄暗い店内で化粧のあるなしはわかりにくい。それにそもそも、女性の身の繕いをまじまじ観察することなんてない。俺はそれでも栞さんを綺麗な人だなぁと認識していたから、一瞬自虐風自慢かと警戒した。


「ファンデーションぺたぺた塗って、口紅引いて、眉毛描いて……。日々その苦行を続けるのは偏に、誰かに見せられる自分になるためなんだよ。元の良し悪しはここではそれほど関係ない」

「…………」


 言われて文月の方を確認すれば、うっすらではあるものの化粧の痕跡が見て取れる。校則に触れないラインで、毎日自分を彩っているらしい。ただ、俺がそれに気づけなかった理由……というか、言い訳というか。


「……学校休みの日はサボってもいいと思うぞ。見るのなんて俺だけだし、労力と成果が見合わない」

「…………」


 平日だろうが休日だろうが、文月の顔のコンディションは常に同一に保たれている。それ即ち、基本的に家の中で過ごす土日であれど、彼女はメイクを欠かしていないということで。雇われだからと気を張ってくれているのだろうが、俺としてはほどほどに肩の力を抜いて欲しかった。


「学校があろうがなかろうが文月の仕事は年中無休なんだろうけど、いつどれだけ気を抜こうが俺は全然構わないから」

「……………………」

「あの、文月……?」

「あーあ。最悪。終わり。終焉。地獄。これ以下が見つからないバッドコミュニケーション」


 栞さんに散々なじられる。文月はと言えば目を瞑ったまま微動だにしないし、とにもかくにもやらかした感が強い。俺の気遣いが空回りした結果なのだろうが、因果関係はさっぱりだ。


「ねえ文月ちゃん、女心のおの字も知らない主を持って大変だろうから、困ったときはいつでもここまで相談しに来なよ? 安物だけど、お茶くらいは出せるから」

「いえ、とても美味しくいただいてます」

「本当に人ができてる……。誰かさんに爪の垢を煎じて飲ませる……のはご褒美か」

「俺を特殊性癖の持ち主みたいに言わないでもらっていいです?」


 いくら相手が美少女だろうと、躊躇することだってある。それをさも共通認識やら一般常識やらのように語らないでいただきたい。


「――あの、すいません。お話の途中で大変恐縮なのですが、少し……」

「あ、ごめんね無理に引き留めて。後のことは気にしないでいいからね」


 正座のままで深く頭を下げて、それから研ぎ澄まされた所作でもって部屋を後にする文月。栞さんは、そんな彼女に向かって。


「いつでもおいでよ。人生の先輩として教えられることが少しはあると思うから」


 と声かけ。それにも深く礼を返し、文月は早足で店を去って行った。


 それを店先まで見送った俺たちはというと。


「……少年が言ってた食わせなきゃいけない家族ってあの子のこと?」

「言ってませんでしたっけ。あいつと、あと飼い犬が一匹」

「比喩?」

「人聞きが悪い。ちゃんとイヌ科イヌ属の哺乳類ですよ」


 ひとまず雇ってもらったはいいが、実家が金持ちだと判明すれば当たり前に浮かぶ疑問。『わざわざ割に合わないバイトをする必要があるのかい?』当然、栞さんは俺にそう聞いてきて。

 家庭の事情で押し通すことも可能だったのだろうが、これから先しばらくお世話になる相手にはある程度の誠意をと、俺は簡潔に言ったのだった。


『俺だけ食いっぱぐれるならドンとこいって言えるんですけど、家族の手前、そうもいかなくて』


 当時はなあなあで流れた話に過ぎなかったが、彼女はここにきてそれを蒸し返すらしい。


「そのこと、文月ちゃんには言ってあるの?」

「そのこと、と言うと?」

「いや、そのまんま。家族がどうこうのくだりをさ」

「言いませんよ恥ずかしい。どっちかって言うと義務や責任の類なんで、履行して当然ですし」

「かーーっ! なんもわかってねーーっ!」


 栞さんはヒートアップして、俺の背中をばんばん叩く。普通に痛いからやめて欲しい。


「あの子泣かせたら給料天引きするから覚悟するように」

「めっちゃ横暴……。いや、そんなこと起きるわけないんですけど」

「いいや起きるね。君なら絶対起こす!」

「大した確信だなぁ……」


 呆れながら、カウンターに体重を預けた。本日の来客は一人。普段比で言えば大盛況。売上ゼロ円なのを除けば、今日もこの店は平和そのものだ。


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