第38話 妥協
「誉める意図はありませんでしたけど」
ため息まじりに首を傾げて、なんだかなぁと天井を見上げた。癖の強い人間ばかりが身の回りに集まってくる。もしかすると、類が友を呼んでいるのか。自分にそれほど強烈な特徴があるとは思えないから、いわゆる引きの強さ的なものだと考えておこうか。
当初は適当に話を逸らしてなあなあに済ませるつもりが、すっかり話し込んでしまっている。連れられるまま居住スペースへとなだれ込み、腰を据えて茶をすすり、この時間にも賃金が発生しているのだということを忘れかける状態が続く。
今回我が身に降りかかっている問題については、具体的なことを口にするつもりがない。再三言うが身内の恥であるからして、むやみやたらに広めるのは推奨されない。――でも、婉曲的に遠回りをして、それらしい助言を引き出すくらいだったらありなのではないかと、そんなことを考え始めている自分の存在に気付く。偏見のないところから出てくる意見というのは、思っているよりもずっと貴重だ。
「少年、たぶん持ってるスペックを十全に発揮できてないんだなぁ。無意識的な行動矯正に、脳の要領がっつり持っていかれているというか。それがイライラのもとだよね、きっと」
「……俺、イライラしてるように見えます?」
「ほらほらそれそれ。他人に気取られないようちょっと気を遣ってる感じ。それがよくないの」
「機嫌悪いからってそれを顔に出す奴は漏れなくクソでしょ……」
「でもバレてる時点で五十歩百歩だよ。結果論だけど、リソース割くだけ損してる」
確かに、そうか。会う人会う人に心配させて、そのうえでなんでもないぜと突っぱねる行為のどこにも生産性はない。効率の観点から言えば無駄と断じるほかなく、しかも他者にまでそれを強いるというのだから救いようがない。もしかすると、俺は客観的に見て扱いにくい人間に該当しているのかも。
正直なところ、それは盲点と言わざるをえなかった。自分のふるまいになんら疑問を持たず生活をしてきた身としては、目からうろこの落ちる思いだ。
だが、しかし。
「だからといって周りに当たり散らすわけにもいかない」
「さすがの私もそれはおススメしないよ。友達いなくなるからね」
「……じゃあ、どうすれば?」
問うと、栞さんは間髪入れずに俺の口許を指さした。まるで探し物を見つけたみたいに、無邪気な笑顔を伴って。
「それ」
「どれ?」
「組織運用の潤滑油は報連相だって言うじゃない。少年、どれか一つでもやってる?」
「…………」
「うん、やっぱり。人間、困ったときには誰かに話して、問題を共有しちゃうのが一番なんだよ。単純に、相手を共犯に引き込むことで精神的負担が軽減されるからね。責任の所在を曖昧にしちゃえば心もいくらか楽になる」
「死体を複数人で埋めたり?」
「……まさかとは思うけど」
「殺してないし、殺す予定もないです」
ぽんと浮かんだたとえが良くなかった。さすがにそこまでは想定していなかったのか、天下の栞さんが若干青ざめている。今後大企業重役の不審死でも報じられようものなら、真っ先に疑いの目が俺へと向けられそうだ。
「俺が犯罪者だったとしたら、構図が楽でよかったんですけどね。相手は警察一択で、それをいかにして欺くか考えるだけだから。でも、実際はそうじゃない。正負善悪の問題じゃなく、好き嫌いの次元なんです、俺がいるのって」
「ここまできて人間関係に帰着するわけだ」
「明言は避けますが」
ほぼほぼ言っているようなものだが、一応の建前として線引きしておく必要があった。俺の大半は、こういう無駄なこだわりで構成されている。
「まあ、私から言えるのは一つ。君が楽になることを強く望むのであれば、それを口に出すべきだ。それで解決することが、きっとたくさんある」
「楽に……」
根本的な疑問として、俺は楽になりたがっているのだろうか。嫌だな、面倒だなという憂慮が確かにあって、そしてそれを取り除きたいと思ってもいる。ただ、その感情を『楽になりたい』とひとまとめにするのはニュアンスの違いを感じずにはいられない。俺はたぶん、火の粉がふりかかること自体は許容できる人間だ。けれど、火の粉がランダムに飛んでいくのが許せない。事態の結末をコントロールできる場所に立っていたいというのが、偽らざる俺の本音なのではないか。
「そこで迷うってことは、真相はちょっと違うのかな。どちらにせよ、君の抱え込み癖、ため込み癖があらゆる災いのもとになっているのはまちがいないんだろうけどね」
「程よく吐き出せと」
「そうした方がいいと思うよ。余計なしがらみが君を本来の姿から遠ざけてるんだから」
「うーん……」
結論が出たところで申し訳ないのだが、自分に不似合いな性質を獲得するからにはそれなりの理由があるわけで。いきなりそれらを無視して大暴れできるかと問われれば、きっとそんなことはない。栞さんはそのあたりの事情をふまえて発言するタイプとも思えず、半ば反射的に「えっとですね」と反論の構えに入った。
「成果の良し悪しにかかわらず、時間をかけたものってそう簡単に捨てられなくないですか? コンコルドよろしく、サグラダファミリアよろしく、注ぎ込んだリソースの分だけ後退に難儀するのは歴史が証人となっているわけで。俺もその例に漏れず、今さら方向転換する決心なんてそうそうつかないんですよ」
こればっかりは人としてどうしても逃れられない問題。基本的に反目しあっているはずの入江とすら答えを共有するほどの、面倒くさい枷だ。後戻りするにも、いささか前に進み過ぎてしまった感が拭えない。
「もちろん、アレンジはいるだろうね」
栞さんはさもなんてことないように、ぴんと立てた指をくるくる回した。薄々感じていたが、癖なのだろうか。
「自分を問題なく納得させられる言い訳や建前が必要になる。ただ、そうやって抜け道を作ってしまえば案外すんなりと納得できてしまうのもまた人間なんだよ」
「抜け道」
「そう、抜け道。なにかのために仕方なくルールを破る。日常的に誰もがやっていることさ」
行動原理から外れることを自分自身に認めさせる。この場合は妥協と言い換えても良いか。……どこかことなかれ主義的になっている俺が、どうすればことを荒立てる決心をつけられるか。その他面倒なこだわりを一旦脇に捨て置くにはどうすればいいか。
状況整理だ。俺は現状、板挟みの状態にある。情報の巡りの悪さからきた許嫁のダブルブッキング。双方から法的、心理的に詰め寄られ、にっちもさっちもいかずに首が回らなくなっている。
理解していなかったわけではないが、もはや我を通しての打開は不可能。であれば、あとはどこで譲歩できるか頭を捻るしかない。……その『どこ』に該当する箇所を選別するのに、今の助言が一役買う可能性はあった。
誰もの要望が満足な形で通らないのが確定した今、俺はどこに小細工をすべきか。
それは――
「……お、閃いた?」
「ゴミみたいな妥協案なら」
唇の端を持ち上げつつ言う。我ながら、なかなか酷い思い付きだけれど。
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