第2話 入江とばり

「だから言ってんじゃん。仮にお前らが非正規の手段で連絡先を手に入れたとして、絶対使う機会なんてこねーから」

「やってみなきゃわかんないだろ」

「じゃあ仮に勇気出してメールなり電話なりしたとする。で、そのとき向こうの端末に表示されるのは見知らぬ相手なわけだ。いくらなんでも不気味すぎるだろこんなん」

「…………」


 あ、確かに……みたいな顔で俺を見てくる佐城坂倉両名。一応それなりの偏差値で校則ゆるめの進学校に入学したつもりだったが、異性の前で躍起になった男に偏差値やIQを持ち出しても無駄らしい。

 とにかく、スマホは渡せないし、俺は余裕をもって帰路につきたい。罰ゲームは終わったのだから、今日のところは解放してもらえないだろうか。


「勤労学生は食費稼ぎ出すのに必死なんだよ。バイト遅刻して食い扶持なくなったらお前らに養ってもらうからなー」

「それだけどさぁ、越智、金ない金ない言ってバイトしてる割に、その時計めっちゃブランドものじゃね?」

「…………これは親父の形見」

「嘘だね! 先週親父さんとなんか話したみたいなこと言ってたの忘れてないぞ」

「じゃあじいちゃんの形見」

「じゃあってなんだじゃあって」


 そもそも祖父も存命だけどなと思いつつ、慌てて手首を隠す。そんなにまじまじ見られまいと高をくくっていたのがいけなかった。学生の身分に不釣り合いなゴツい腕時計は、確かにかなり目立つだろう。


「……曰くのある品で質にも入れられないんだよ。ともかく、俺が金持ってないのはマジ」

「でも昼食ってた弁当、めっちゃ豪勢だった気が」

「それは暮らしの知恵」


 あまりプライベートに首を突っ込まれても困る。どこかで確実にボロを出すに決まっているからだ。

 進学を機に、背伸びをして単身上京してきた世間知らずな田舎少年。俺はそれ以上にも以下にもなる気がない。だからこそ、不要な詮索はかわさねばならない。


「明日以降、半額シールの張られた期限切れの菓子パン昼飯にして同情誘っちゃおっかなー」

「こっちの心を痛めにきてるじゃん」

「わざと憐れまれておかず数品強制的に恵ませてやるから覚悟しておけ」


 牽制。脅迫。食費のやりくりに苦労しているのは事実なので、あわよくばという気持ちもある。さすがに今の発言を聞いてなお追及する図太さは二人にないようで、手が緩んだのをいいことに俺はさっさと教室へ向かった。まとめるだけまとめて放置した荷物が、まだそこに残っている。

 

 これ以上のダル絡みを避けるべく、はやる気持ちでドアのくぼみに手をかける。しかし――


「きゃっ……」

「うわっと。ごめん、だいじょ――」


 ――俺が力を入れるまでもなく勢いよくドアは開いて、さらにそこから、頭一つぶん小さいクラスメイトが飛び出してきた。体格差のせいでぶつかってきた方が吹っ飛んで尻もちをつき、特に非のなさそうな俺が謝罪。釈然としないままに、されど義務のように腕を差し出して立ち上がる手助けをしようとしたのと、相手が「あっ……」と声をあげたのが同タイミング。


「越智……くん」

「……入江いりえか」


 入江とばり。先ほど会った文月美愛と双璧をなす、学園二大美女の一人。個人的には美女というよりかわいい系に属しているんじゃないのかと思いもするが、容姿が整っているのはまちがいない。くりくりした目に長いまつげ、小顔にぴたりとハマるショートボブ。本来なら、文月同様、俺と関わり合うことのない人種……のはずなのだが。


「越智くん、六時間目に返却された現代文の中間考査、何点?」

「96」

「…………」


 明らかに不満そうな表情を浮かべながら、上目遣いに俺を見つめてくる入江。その様子を見るからに、点数比べで敗北してしまったらしい。

 入江とばりを語る上で外せないことの一つは、成績の優秀さだろうか。入学後に実施された腕試しの試験では他を差し置いて圧倒的な一番に君臨していた記憶がある。――そんな彼女が俺に突っかかってくるのは、俺もまたそれなりに優秀な成績を修めているからであって。


「良いだろ、一科目負けたくらい。総合点数じゃ絶対そっちに軍配上がるのに」

「ダメ。全然良くない。特にあなたにだけは負けられない」

「……頑固すぎんだろ」


 入学当初からかなり強火のライバル意識を燃やしているようで、たびたびこんな会話になる。俺はといえば、美少女と話せてラッキー……なんてことはなく、悪目立ちするので勘弁してくださいといった感じ。向けられているのが好意的な感情でないのが丸わかりで疲れる。……それから、あとは。


「わたしは一番じゃないといけないんだから!」


 言って、そのままたったか走ってどこかへ行ってしまう入江。ぶつかってごめんくらい言えんのかとむっすりしつつ、またも背後で今の会話を盗み聞いていた二人組に「なんだよ……」と視線を送る。


「羨ましい……」

「ずっる……」

「お前らの感性は歪んどるんじゃ」


 話せればなんでもいいってわけでもないだろう。……まあ、会話するという土俵に立てているだけ俺優位で、それを多少やっかんだがゆえにあんな罰ゲームが提案された側面は否定できないが。

 ともかく、俺は帰らないといけないのだ。机の上のリュックサックを肩に引っかけ、一応忘れ物がないかあちこち確認して、教室を出る。佐城と坂倉も帰り足のようで、俺に遅れて小走りでついてきた。


「しっかし、すごい話だよな。入江さんって、『いりえや』の一人娘だって言うじゃん。なんでこんな普通の高校通ってんのかね」

「アレだろ。エスカレータで幼小中高大と進学して世間知らずのお嬢様になっても困るから、途中で外の風を入れとくやつ」

「はぁ~、知らん世界だ」


 二人の会話を聞いて、俺の心臓がぎくりと跳ねた。そう。入江とばりはここ数十年の間に急速成長を遂げた気鋭の洋菓子メーカー『いりえや』の一粒種なのだ。競争相手が存在しないことから年商ウン十億の会社をまるっと相続するのが既定路線らしく、早い話がめちゃくちゃ金持ち。よほど酔狂でもない限り、セキュリティの完璧なお嬢様女子高にでも通っていなければならない人物だ。――まあ、それがこうして俺たちと同じ学び舎で机を並べているわけだから、実際のところ酔狂なのには違いないのだろうが。


「で、越智はどっち派?」

「はぁ?」


 『派』とかけたわけではない。


「だから、どっちの派閥かって聞いてんの。綺麗系の文月美愛、かわいい系の入江とばり、ちょうどよく属性分けされた二人の話題がこの学校の男子から出ない日はないんだぜ?」

「憧れるなら芸能人にすればいいし、愛でるなら近くのたんぽぽを探すだろ。リアルに触れ合える距離感の相手でそういう人気投票みたいなことすんの、普通に悪趣味で嫌いだ」

「ズバズバ言うねえ」

「芯が通ってるんでな」


 もちろん、今の発言は本音。……だがそれ以上に、俺にだけは聞いてくれるなという思いの方が強い。後々大きな問題ごとに発展する気しかしない。


 ――文月美愛も入江とばりも血の通った一介の人間で、引き受けてもいないアイドル職を務めあげるほどお人よしじゃない。少なくとも、俺はそう思う。だからと言って口にすることはないが、心の中で断言はできる。だって。


「――だって、なんだろうな」

「どうした越智」

「なんでもねえよ」


 所詮、俺はただのバイト学生。彼女たちとのつながりは同じ学校で同じクラスに在籍しているということだけだ。――だけ、だったらよかったんだけどなぁ。


 そう思ってため息をつきながら、バイト先までの道のりをとぼとぼ時間をかけて歩いた。高校生になってから二ヵ月が経過した、六月半ばのことだった。

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