第6話 四月某日
長い春休みを目いっぱい使って、城が完成した。何人も侵すこと能わない、俺だけの城だ。……正確には文月が同居するので完全なる独占ではないのだが、実家暮らしから飛び出すというのは人生の中でも指折りのビッグイベント。自然とテンションが上がり、家具選びから配置まで必要以上に趣向を凝らし、入学式の前日になってようやくすべての荷ほどきが終わった。
そこでさあなにをするかと考えた俺が行きついたのは、近隣住民への挨拶。上下階と両隣に顔見せしておくのがベターなのだろうが、この部屋は最上階。自然と上階の選択肢が消え、さらには角部屋であるという条件から、お隣さんも一件だけ。下の階まではさすがに手を回さないでいいかと横着し、頼めば無限に手に入るちょっとお高めの菓子折りを取り寄せ、今後良好な近所付き合いをしていくために意気揚々とチャイムを鳴らして。
「失礼します、最近隣に越してきた越智と……」
「…………」
「…………」
ばっちり目と目を合わせること十秒以上。当初他人の空似であると自分を騙そうとした俺だったが、見れば見るほどそこに立っている女の顔には覚えしかない。これは悪い夢だとゆっくりドアを閉め返して、一呼吸おいてまた来ようと踵を返し。――しかし再度開いたドアから飛び出してきた手が、がっしり俺の腕を掴んで言った。
「ねえ、ねえちょっと。ドッキリにしたって限度ってものがあるのを知らないの?」
「うわぁマジで知ってる奴の顔で声で体だ! どんだけ薄目で見ても入江とばりじゃねーか! そっちこそ一線超えたドッキリやめろよ!」
予期せぬ場所から現れる十年来の知り合いの顔。大和撫子一直線といったその風貌は、さすがに見まちがえようがない。俺の寿命を削るためだけにどれだけの金を浪費したんだと驚嘆しながら――もしかしたらの可能性には目を向けないようにした。
「なにがドッキリよ!」
腕をぐいぐい引っ張られ、強制的に部屋の中に連れ込まれる。間取りは同一ながら既に生活の痕跡みたいなものが見え隠れしていて、仕込みにしては手が込み過ぎだろうと苦笑いして。
女の子特有の甘ったるい匂いがそこかしこから感じられて緊張しているのを悟られないようにしつつ、「お前の詰めの甘さはよ~く知ってんだよ」とキッチンの収納をオープン。さすがにここまで手が回っているはずは――
「新品の調理器具でぎっしり……だと?」
「な、なによ。わたしだって料理の一つや二つくらい……」
「そうじゃねえ。そうじゃなくて」
まさか、そんなはずはない。よりにもよって、ただの偶然、なにかしらの神様のいたずらによって新生活をこいつと共に迎えるなど、あり得ない。そもそも親に溺愛されて実家暮らしで我が世の春を謳歌している入江が、どうしてマンションなんか借りるのだ。
「まったく、いきなり来たかと思ったら変なことばっかり言って。……な、なに? もしかしてしばらくわたしの顔見れなくて寂しくなったり――」
「いや、ちょっとこっち来い」
早口かつ小声でまくしたてていたせいで、後半部分は耳に残らなかった。しかしそんなことはどうでもよくて、立場を入れ替えるように彼女の腕を引っ掴んだ俺が向かった先はお隣。つまるところは俺の居住地。
「不法侵入じゃない!」
「んなわけないだろ。……ほら」
玄関先で座り込み、尻尾を振っている犬が一匹。入江はたいようと何度も会っているし、なんなら――
「うそ、たいよう……?」
名前を呼ばれて嬉しかったのか、我が家の愛犬は入江の足元に寄り付いて額をふくらはぎ付近にこすりつけている。たいようはどうにも入江を気に入っているらしく、顔を合わせるたび遊んでもらおうと必死だ。
「……ここ、あんたの家?」
「そうじゃなかったらなんなんだよ」
俺が質の悪いイタズラにペットを巻き込むような性格でないことくらいは、入江の知るところだったらしい。とは言ってもまだまだ半信半疑の彼女に事実を飲みこませるため、証明書の類を取り出して見せる。しかし入江はどこか上の空に「パパ……きいてない……」とかなんとかぶつぶつ呟いていて、その後の俺からの質問に対する答えはまるで要領を得なかった。
仕方ないから家に帰し、しばらくして食材調達のために家を空けていた文月が帰ってきたはいいものの、どうしてかその話については触れられず、気づいたときには入学式の朝になっていて。
「…………」
「…………」
これから三年間お世話になる高校の正門前、周囲の女子生徒とまったく同じ装いで立っていた入江と目が合った。そこで向こうも、俺と同じことを思ったのではないか。
「なんの因果なんだよ……」
夢なんかではなかった。家どころか高校まで一緒で……あまつさえ、クラスまで同じになり。
そんな驚天動地の展開で、俺の高校生活は幕を開けたのだった。
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