第27話 誓約
「文月との付き合いは、もう半世紀ほどになる……」
許可を出していないのに勝手に親父が語り出した。いつもなら適当に遮るところだが、衝撃情報の公開で俺の思考が追い付いてこない。半ば投げやりになっていて、お好きにどうぞと会話の主導権を放り渡した。
「小中高大と同じ道を歩んだ、我が人生最大の盟友。ただ、奴はいつまで経っても身を固める気配がなくてな」
分かりづらいが、親父の言う文月とは文月美愛の父にあたる人物だ。長く親父の腹心的立場に収まって、今日に至るまで長く支え続けている名バイプレイヤー。私生活でも関係は良好で、彼が飲みに出かけるとしたらまず確実にそこには文月父がいる。実家に出入りすることもしょっちゅうで、俺も会うたび言葉を交わす。
「そんな文月だが、二十年ほど前、当時偶然日本に訪れていた後の奥方に一目ぼれしてな。歳の差や文化の違いを理由に当初は見向きもされなかったが、猛アタックの末にようやっと根負けさせたんだ」
「だからアイラさんに頭上がんないのかあの人……」
アイラとは文月母の名前。昔はモデルをやっていたとかなんとかで、アラフォーの今でもかなりの美人。文月の原型なのだから当たり前といえば当たり前か。歳の差カップルだなぁと思ってはいたものの、詳しい結婚事情を訊くのは初めてで、妙な生々しさがある。
「その頃はなにかと暗い話題が多くてな。だから、文月の結婚は私にとって一種の清涼剤だったよ」
「ああ、まあ、うん」
その暗い話題とやらに察しはついているが、口にするのはためらわれた。まだ踏み込んで親父から話を聞いたことはない。
「それから数年して、奥方は美愛くんを授かってな。そしてその年、導かれるようにお前も産まれた。連日祝杯をかわしながら、お互いの子どもの将来について語り合ったものだ」
「おじさんがアイラさんの尻に敷かれてる理由、そっちが本命だろ。一番忙しい時期におっさんどうしで酒ばっか飲んで」
「…………」
「否定をしてくれ否定を」
今気づきましたみたいな顔をされても困る。抱えた負債をまだ完済しきれていないことに恐怖を覚えるが、話の本質はそこじゃない。
「で、親父はほろ酔い気分でその場任せに言うわけだ。『美愛くんにウチの息子はどうだ?』って」
「…………」
「言ったのか……」
「酒の席、だったから……」
「その失言癖が公の場で発揮されなくてよかったよ」
皮肉る。既に彼から父親の威厳は失われていて、大きく見えた背中はすっかり縮こまっている。
「おじさんもおじさんでどうして乗っかってんだよ。普通、父親は娘を死守するもんじゃないのか?」
「いや、言っていた。『ウチの娘はやらんよ』と冗談混じりに」
「じゃあなんで」
「……小さい頃のお前たちの仲があまりにも良好だったのを見て、思いを改めたらしい。小学校入学前には、初孫は男の子がいいなぁと笑っていた」
「俺のあずかり知らぬところでなんてことを……」
庭で遊びまわる俺たちを見ながら談笑していた記憶はあるが、内容があまりにもあまりにもだ。第二次性徴迎える前に終わってる話題で会話を弾ませないでくれ。
「ただ、私はあくまでジョークの延長戦だと思っていたんだ。確かにそれが達成されればめでたいことだが、あくまで最後は当人の意思に委ねるべきだとも」
「今日イチ父親っぽい発言」
「……だが」
今聞きたくない接続詞ランキング怒涛の第一位だ。絶対にロクでもない言葉が続くという確信がある。
「昨年の夏ごろだったか。『美愛も来年で十六になる』と真剣な面持ちで文月が語り出したのは」
「それ、女性の結婚可能年齢が十六歳からなのと関係あります?」
法改正で男女問わず十八になるらしいけれど。ただ、現行法に則ればギリギリセーフのラインだ。
「…………」
「あるんだ……」
「これまでを見てきて、ぜひ葵くんに美愛を娶ってもらいたいと」
「当人の意思はどこに……」
「美愛くんがそれを望んでいると言ったら?」
「は?」
再びの衝撃。それはつまり、文月がこの荒唐無稽な話を知っていたという事実にほかならず。さらにそれを受諾するからには、それ相応の動機が……。
「いや、ないないない。そんな色っぽい関係じゃないぞ俺たち」
「しかし、葵が一般の高校に進学することが本決まりした頃、世話役として仕えることを申し出たのは彼女自身だ」
「そりゃあ小中とやってきて、家どうしの付き合いだってあるんだから仕方なく……。って、まさか親父、その環境で勝手に俺らがくっつくことを期待してたのか?」
「……当人の意思だ」
「いや無理無理。それはちょっと無理な言い訳」
どうにもとんとん拍子で話が進むなとは思っていたが、裏で思惑が蠢いていたらしい。親父の不始末のツケを俺が払わせられる形なのが納得いかず、「だいたい」と切り出す。
「あんたの見栄や面子以外にかかってるものなんかないんだから、おじさんに頭下げて取り消してもらえばいいじゃん。そりゃあ口約束にだって法的拘束力はあるけど、その他全てに優先される絶対のものってわけじゃないんだから」
「…………」
立ち上がる親父。当初は俺のド正論に怯んだものかと思ったが、どうにも様子が違う。彼は机の引き出しからなにやら取り出すと、それを俺に提示した。
「誓約書の写しだ。原本は文月の手元にある」
「やりやがったこのクソ親父!」
つらつらと契約条項が連ねられ、最後にきっちり拇印が捺されている。甲だとか乙だとかややこしいが、要約すれば俺と文月の縁談を書面でまとめたよという感じで。
当然、初めて見る文書だ。存在することを知らなかったのだから当たり前だが、ここまでの会話全てがジョークだったという一縷の望みに賭けていた俺とすると、その紙っぺら一枚が決定的な最後通牒。
「いやいやおかしいって。なんで書面で契約かわしちゃってんのさ」
「……飲みの席で」
「オーケー。前言撤回。死ぬまで二度と酒飲むな」
余生とか知らん。酒癖が悪いにもほどがある。茶目っ気で済ませられるような事態じゃない。……しかし参った。これだけやってくるってことは、文月父は本気でこの話を成立させるつもりなのだ。なにがどうしてそこまで俺に執着するのかは知らないが、状況がかなりまずくなっているというのだけはまちがいない。
形式に則って約束を結んだとなると、一介の学生にすぎない俺程度ではそれを覆せない。さてどうしたものかと、ない頭を悩ませる。
「まあ待て葵。この件に関しては百パーセント私に非があるのを認めるが、一度冷静になって考えなおして欲しい」
「なんだよ……」
「そもそも、お前は美愛くんが嫌いだからこの話を渋っているのか?」
「ちげーよ。親どうしのいざこざに巻き込まれたから腹立ってんだよ」
今日を境に明確な反抗期を迎えてやろうと思う。こればかりはさすがに看過できない。そこに文月が好きだとか嫌いだとか、そういった要素は加味されない。
「だとしたら、なおのこと頭を冷ますべきだ。美愛くんの気立てのよさも器量のよさも、お前自身が自分の目で確認してきただろう?」
「そりゃそうだが……」
容姿には年々磨きがかかり、高校では瞬く間に学園のマドンナとしての地位を手にした。家事の類は一切合切彼女に丸投げで、俺の人生を語るうえで欠かせない相手であることにちがいはない。ほとんど文句のつけようがないよくできた人間で、そんな彼女を半強制的に拘束していることに、俺は後ろめたさすら感じるほどだ。
「今日明日にでも話をまとめろと言っているわけではないんだ。ただ、お前がこれから先の人生を歩いていくうえで、美愛くんを凌駕するような素敵な女性に巡り合えるか考えて欲しい」
「それ言ったら、文月が後々の人生で俺よかマシな男に巡り合う確率はほぼ十割なわけだが」
「…………」
「息子に一瞬で論破される親父なんて見たくなかったよ……」
広い視点で客観的に物事を見ろと俺に説いていたあんたはどこに行ったんだ。穴が、理論に穴が多すぎる。それに、今はなにを言ったところで言い訳しているようにしか聞こえない。
「……この話、母さんは知ってんの?」
「まだ伝えていない……」
「あーはい。了解。一旦持ち帰って前向きな回答ができるよう誠心誠意努める所存でーす」
「待て、葵、待ってくれ」
「いいや待たないね。後から母さんにこってり絞られてくれ」
慌てふためく親父。母さんの名前を出しただけでこの反応なことからもわかる通り、家庭内での序列は明確。俺ではもうどうしようもないから、大人の問題は大人の間で解決してもらおう。変に関わると、余計に話が混みあいそうで嫌だ。
父の追走を避けるべく、例の書類をテーブル上で滑らせて遠くに飛ばす。彼が反射的にそれを追いかけたところで、とっとと部屋を後にした。
「はぁ……」
どっと疲れが襲ってくる。面倒ごとの気配は感じ取っていたが、さすがにここまでだとは思うまいて。今後の人生設計に大きく関わる話なんだから、もっと早いうちから教えてもらいたかった。そうしてもらえれば、「ふざけんな」と最初から伝えられたのに。
しかし、どうしても誓約書がネックになる。最悪の場合は、俺が頭下げて取り下げてもらうしか……。
「葵さま?」
「……おお!」
どうも、今日は間が悪い。……よりにもよって今一番顔を合わせづらい相手と、こんな状況でエンカウントすることになろうとは。
「どうされました? お顔がほんのり赤らんでいるような……」
「あー……。お前は一切悪くない最悪の責任転嫁だって自覚したうえで言うんだけど……文月のせいだな」
「…………?」
きょとんと首を傾げる。そんな文月は、今日も今日とて絶賛美少女だった。
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