第28話 なんだか致命的に食い違っている気がする
「旦那さまとのお話はもう?」
「終わった……ってよりは切り上げたって感じだけど」
肩を竦めながら答える。さっきの今ではまともに目を合わせられず、両目の焦点をぼやかすことで辛うじて対面での会話を成立させている状態。
そういえば、彼女はこの話をどこまで知っているのだろうか。親父の妙にもったいぶった話しぶりでは全容の理解ができず、それゆえに俺は置いてけぼりにされている感が強いのだが……。
「……お前は部屋で休んどかなくてよかったのか?」
「久しぶりなので、色々な人に挨拶をと。じっとしているのも性に合いませんし」
「そうか。うん。らしいな……」
あー、無理だ。直に『こうこうこういう話があって~』と言い出せる胆力は俺にない。それに、訊いてなにかが劇的に変化することもないだろうと思われる。仮に知っていたとしたらなんで黙っていたかという疑問が生まれ、仮に知らなかったとしたらこちらに説明責任が生まれる。どっちにしたってやることが連鎖的に嵩み、首が回らなくなること請け合い。
「……外、まだ雨だな」
「夕方には降りやむ予報でしたから帰りは心配ないかと」
「相変わらず抜かりない」
どうにか会話を回さないといけない。今この状況で、沈黙に耐えられる気がしないからだ。それで真っ先に口をついて出るのが天気の話題って時点で俺の機転はまあまあ終わっているが、黙りこくってへらへら笑うよりは幾分かマシだと己に言い聞かせよう。
この場をどうやってやり過ごそうか脳をフル回転させる。昨今のあれこれを想起し、なにかきっかけになり得る出来事がないか記憶の隅っこまで掘り返して。
そして、ぱっと思いついたのが。
「そういや、この前どうしておじさんに呼び出されてたんだ? すっかり今まで聞きそびれてたけど」
間に、鍵と財布を失った女に飯を食わせて挙句看病までしてやるという大事故が挟まったせいで、すっかりそちらのインパクトが薄れていた。電話連絡で済ませられない急な呼び出しであった以上、それなりに重要な話だったのは想像に難くない。
もしかしたら、と思う。もしかしたら、そこでなにかの取り決めがあったのではないかと。そして、そのなにかと言うのが――
「……気になりますか?」
「聞けたら嬉しい」
「いえ、ですが……」
俺からの問いかけに対して返答を渋る文月は相当レアだ。いつもなら、よほど踏み込んだ話題でもない限りはためらうことなく話し出すのに。
「……親子間の取るに足らない確認作業でして。わざわざ葵さまにお聞きいただくほどでは」
「あー、だな。悪い。忘れてくれ」
無理やり喋らせるのはズレている気がして、追及はやめた。これで本当に彼女が言う通りの内容だった場合、俺のデリカシーなし男具合に拍車がかかってしまう。話してもらえるならそれが一番だったが、上手くいかないなら仕方ないと諦めよう。――そんな風にすっぱり切り替えられるような思い切りの良い人間ならよかったのだが。
「なあ文月」
「なんでしょう」
「毎度言ってるけど、人が言うことをなんでもかんでも素直に受け取る必要はないからな。嫌なことは嫌って断ってもらえる方が、こっちとしても楽っていうか……」
核心を避けつつそれっぽく諭そうと思うと、どうにも遠回りで要領を得ない言い分になってしまう。こんなポエミーな物言いが人の心に響くとは到底考えられず、「わり、今のもなし」と頭を掻いた。
「私、葵さまが思うほど従順ではないですよ?」
「拾わなくていいって。……いやほら、文月は文月が思っている以上にまっさらだから。それが災いして誰かの企みごとにあっさり引っかかりそうで、ちょっと怖い」
「葵さまは私を騙す予定がおありで?」
「あるんだったら黙ってる。でも、これから先に関わりを持つ人間全員が善人である保証も、これまで付き合いのあった人たちが善人だったって確証も、さらに言っちまうと元は善人だった人が向こう死ぬまでずっと悪人に転じない約束もないからな。こういう環境で生きてる以上、俺だってある日ころっと考えが変わるかもしんないし」
金とか地位とか名誉とか、そういうものに囚われがちな場所で生を受けた。ここ数年は一般的な感覚を養おうと躍起になっているが、それにしたって思想とは環境の影響を色濃く受けるもの。どんなに矯正を試みようと、一度張った根っこは抜けない。俺の当たり前は世間の当たり前ではないし、それを念頭に置いていてもギャップを痛感する日々だ。
持っている側の人間は往々にして保守的になりがちで、己の立場を守るためならある程度ダーティなことも許容してしまう傾向にある。そうはなりたくないなと思っていても、俺の心のどこかには確実に、その思想が育つ種が植えられているわけで。
「反発しろとまでは言えない。でも、自分が利用されている気配をそこはかとなく感じたら、身近の頼れる人間に相談してみて欲しい。……まあ、頼りがいはないだろうが、俺だって話くらいは聞けるし」
親の意向がとか、家どうしの関係がとか、そんなのは今どき流行らない。そのことをもう知っているにしろ知らないにしろ、嫌なことを嫌と言える雰囲気を作っておきたい。
俺がそこまで信用のおける人間でないことをしっかり匂わせ、さらには家族や友人が絶対でないこともそれとなく暗示。彼女がそれを理解していないような愚者だとは思っていないが、一度きちんと言葉にしておきたかった。
誰かに唆されるまま、意図しない方に流されて欲しくない。単なる友人としての、ありきたりな願いだ。
それに対し、文月は。
「……そう言ってくださるあなただから、ずっと信頼しているんです」
瞑目し、その長い髪を梳く文月。何度見てもつくづく美人で、こんな狭い箱の中に収まって欲しくないなぁとぼんやり考える。栞さんが言ったように、モデルでも始めてみればいいところまで行くのではないか。
「つっても、最終手段が親の権力っていう空前絶後の七光り野郎なんだけどな」
立ち姿があまりに綺麗すぎて、思わず圧倒されてしまった。次元の異なる美しさを前にしたらこちらは卑屈にならざるを得ず、片頬を吊り上げたしょうもない自虐でしか応えられない。自己評価と他者から見た自分の像が重ならないことが多くて参る。
「……お世辞じゃないですよ?」
「知ってる。世辞言うような奴じゃないもんな、お前は」
だからこそ、余計に刺さるものがある。コミュニケーションに嘘が介在しない相手だから、こちらもできるだけで真摯でいたいのだ。……にしたって、自分が信じるに足る器だとは思えないけど。
でも、そう言われてしまったからには奮起せねばなるまい。
「うん。腹決まった。……変なことばっかり言って悪いな」
業腹だが、親の不始末は子の不始末。現実をきちんと飲み下したうえで、後日きちんと断りを入れに行こう。さすがに文月のおじさんだって、当事者の意向を完全無視するわけにはいくまい。
と、いうわけで。
「文月、おじさんの予定って把握してるか?」
「……父のことで合っていますか」
「合ってる合ってる。今度どうしても面と向かって話したいことがあるから、どっか空けといてもらえないかなと思って」
「不躾ですが、どんな話をするか聞いても?」
「割と大事な話じゃねえかな。俺らの将来にも関わってくる。……同席してもらう可能性が無きにしも非ずだから、それも頭に入れておいてもらえると助かる」
「……わ、私としては願ったり叶ったりですけど、葵さまは本当にそれで?」
「願ったり叶ったり……?」
「い、いえ。父も久しぶりに葵さまの顔を見たいなと言っていたので」
「ああそういうこと。……長い話になるだろうけど、俺は譲るつもりないから、そのことを遠回しに伝えといてもらえると」
「ゆ、ゆず……」
文月は急にこちらに背中を見せたかと思えば、毛先をくるくる指で巻き始めた。せっかく手入れが行き届いた髪なのに、傷んでしまわないものか。
とにかく、腰は重いがやるしかない。「じゃあ、俺ちょっと母さんに用事あるから」と言ったはいいが、文月から反応はなかった。まあいい。しばらくは親父がなんでも言うことを聞いてくれそうだし、どう脛をかじるか考えて気を紛らわそう。……そうだな、手始めに家電の強化でもねだるか。
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「譲るつもりって……」
「……それはつまり、そういうことで」
「…………お父さんの冗談だと思ってたけど」
「……………………お母さんに連絡しなきゃ」
「………………………………そんな素振り全然なかったのに、あおくんってば」
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