第32話 拷問

『うーん、きついな。きつい。とばりになにかを遺したいけど、思い浮かぶそばからやっていったらとてもじゃないけど時間が足りないもんね。だからといって取捨選択がそんなに得意じゃないものだから、ほんと、困っちゃう。今こうやって未来に種をまいているわけだけど、もしかしたらそんなことしないで一緒に遊んであげた方が後々プラスに働くかもしれないし。……迷いがね、ずっと心の奥底でくすぶるの。正解がわからないし、そもそも存在しないかもしれなくて、だからといって悩んでる時間がなにより無駄なのは明らかで』


 画面の入江母は、そこですーっと大きく息を吐き。


『本当に大切な思いなら、わざわざ言葉なんて野暮ったいものに頼らずとも伝わらなくちゃいけないよね。後ろ姿で語るのが一番かっこよかったよね。……でも、恥を承知できちんと言います。ママはとばりのことがなにより大切だったし、それは死のうが灰になろうが揺らがないことだから。大変な人生の中でようやく手にした一番の宝物。ママの、全部。あー……言ってること重たいなぁ』


 死の際に立ってする発言というのが、その価値を大きく押し上げている。冗談めかした口調には確かな芯があって、見る側の疑心を欠片も喚起しない。明け透けな本心が飾らない言葉に乗って、ダイレクトに叩きつけられる。


『愛してるし、大好きだよ。親の責任も果たさないでさっさと死んじゃったママのことをとばりは嫌いになったかもしれないけど、それならそれで全然オッケー。自分の心には正直に、変に取り繕わないのが一番』

 

 けほけほと数度咳き込む。弱りは顕著で、咳だけで体力を大きく消費してしまっている。本当は起きているだけで辛いはずなのに、それでも撮影を続けるのは愛がゆえか。

 

 けれど、表情には徐々に翳りが見え始めていて。


『忘れられたくないなぁ。死んじゃった相手のこと、ずっと思い続けるなんてできないから。声とか顔とかがどんどんおぼろげになっていって、最後には消えちゃうんだろうなぁ。……やだなぁ』


 そんなわけ、と入江が言った。過去の母親に向かって、意味のない反抗をしてみせた。……たぶん、それは救いだ。母の意思は、子に一定以上継承されている。未だ鮮烈な記憶として息づいて、入江とばりという個人の人格形成に大きな影響を及ぼしている。

 

 ただ、いくらなんでも大きすぎた。……それこそ、そのときを境に価値観がまるっきりひっくりかえるほど。


『中学校の制服を着てるとばり、高校の制服を着てるとばり、ウェディングドレスを着てるとばり……。見たいもの、本当にたくさんあるんだ。最近だと夢にまで出てくるくらい、たくさん。子どもの成長を見届けられないのって、こんなに無念なんだなぁって、自分でもびっくりしてる。……って、ちょっとネガティブ過ぎたか。どうせだったら前向きな姿でいたいもんね』


 たははと笑って、なにかを指折り数え始める入江母。それが一通り済んだあと――彼女はぐっと身を前に乗り出した。


『恋バナしよっか、恋バナ。とばりはママに似て美人さんだから、恋多き女になってる? それとも、同世代の男の子は子どもっぽくて好きになれない? そうじゃなかったら――』


 そこで、入江母はゆっくりと腕を持ち上げ、カメラレンズを指さして。


『――ずっと一途に、同じ人が好きなまま?』


 視線と指さしの方向がイマイチ重ならない。それがおそらく意図してのものであることを俺が直感的に理解するのも束の間、横から伸びた入江の手が、俺の頭をぐいっと押しやって。


『葵くんともうチューくらいはしたかな?』

「待って!」


 それは誰への呼びかけか。入江はそこから苦し紛れに俺の両耳を手で塞ぐが、悲しいことに機密性などあってないようなものだ。


『最近、なにをするにしても葵が葵が~って大変だもんね。いっぱい撮った写真を見せに来てくれるのが、日々の楽しみです。バレバレなのに、好きなの? って聞いたら誤魔化すのが可愛くて可愛くて。ママはあんまりたくさん葵くんとお話できてないけど、優しくて落ち着いた子だよね。彼もきっと、かっこいい子に育つんだろうなぁ』


 急な飛び火だ。身構えてはいたものの、実名を名指しされると体が強張る。残念ながらちょっとばかりひねくれた成長を遂げてしまったため、期待に添えず心が痛い。


『でも、そうなってくると大変か。ライバルが美愛ちゃんになるんだもんね。いくらとばりでも、そうなったら五分五分だ』

「あーーー! あーーーーー!!!」


 かき消そうと騒ぐ入江。だけれど、メッセージをきちんと聞き届けたい思いが捨てられないのか、妨害は成立しきらない。


『大丈夫よ夜葉ちゃん。こないだ葵にそれとな~く聞いてみたら、とばりちゃんの方に傾いてる感じだったから。目を離せない感じの子が好みなのかも』

『本当? じゃあ両思いだ。ちょっと早いけど青春してるね』


 いやちょっとなんだそれ異議申し立てしたいんですがそこのところいかがでしょうか? 母さんも母さんでなに自分のガキを試すような真似してくれてんだ。

 絶対に秘しておきたかっただろうプライバシーを大公開されてしまい、普通に死にたい。いつもだったら「死のっかなー」と騒いで牽制するところだが、死人からのメッセージを受け取っている最中にそれをする度胸は俺になかった。

 だが、俺が受けたダメージなど、入江に比べれば微かなもののようで。


「あぁ…………ああぅ」


 言葉にならないうめき声を漏らしながら、延々俺の脇腹を殴っている。目撃者を殺してしまえば全てなかったことにできると勘付かれる前に、退散した方が良さそうだ。


『……これ、未来の葵くんにも見てもらいたいな。できれば、とばりと一緒に。二人で照れくさくなって欲しい。そうすれば、辛気臭さもなくなるよね』

『そうしましょうか。どんな反応するかは、私がちゃんと目に焼き付けておくから』

『いいね。そうしよ。――おーい、葵くん』


 手をぱたぱた振られる。それが俺に向けたものであることは明白。


『とばりのこと、好きなままでいてあげてね。それで、できることならそのままもらってくれると安心です。ウェディングドレスはおばさんが着たおさがりがあるから。……って、勝手に言ってるけど良い?』

『大丈夫よ。私から見て、二人がずっと仲良しだったときだけこれを届けるから』

『あ、妙案。……じゃあ、とばりのことよろしく。ちょっと抜けてるところがある子だけど、頑張り屋でかわいくて、自慢の娘です。どうかお幸せに……それと、できればいつか二人でお墓参りに来てね』


 その後にも動画は続いたが、とてもじゃないが内容が頭に入ってこない。胃もたれ、胸焼け、その他にも無限の症状が体に現れている。顔は熱いし、さっきまでしんみりしていた雰囲気が一転したあまりの緩急で、感情がぐちゃぐちゃだ。ほんわかホームビデオかと思っていたのに、今振り返れば完全な拷問。俺も入江も、損するだけしきったという感じ。



 っていうか、なにより。

 


 許嫁、ダブルブッキングしてませんか……?

 

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