第15話 がたがたキッチン

「まあ、そんな感じであいつがダウンした。今日一日は俺が面倒看て、どうにもならなそうだったら入江のおじさんに連絡する」

『でしたら私が今すぐ戻って――』

「あー大丈夫大丈夫。幸いそこまで重症ってわけでもなさそうだし、文月は出席日数ちゃんと確保しといてくれ。……それに、俺たち三人が一気に欠席したら色々とな?」


 電話口からは微弱ながら車のエンジン音が聞こえる。文月は現在通学の最中ということなのだろう。きちんと言っておかないと進路が学校からこの家に変更されてしまいかねないので、重ねて「今日の授業内容、後から話してくれる奴が必要だし」と釘差し。


『……承りました。授業が終わり次第、すぐに戻りますので』

「ああ、助かる。……それで話は戻るんだけど、粥ってどう作るんだと思ってさ。ネットで確認すればいいんだろうけど、どうせなら連絡がてらお前に聞いた方が確実かなと」

『お米はもう炊いてありますか? 炊きあがった白米があれば、それを煮込んでしまうのが一番楽なのですが』

「今日にはお前が戻ってくると読んでノータッチだった。夕飯のメニュー狭めても悪いから」

『でしたら――』


 文月の指示のまま、キッチンの棚から料理道具を次々取り出す。一つのまちがいもなくキッチンを完全に把握しているその様子は、さながら支配者といった具合だ。そのうえ、冷蔵庫の在庫状況まで余さず記憶しているのだからとんでもない。


「完璧過ぎて、嫁ぎ先で逆に姑から嫌われるパターンだな」

『……輿入れの予定は当面ありませんので』

「まあ、お前から見たら同年代の男連中なんか俺含めて全部ガキに見えて仕方ないだろうしなぁ」

『…………』


 ぎりっとなにかを強く握りしめる音が聞こえた。急カーブで踏ん張りでも利かせたんだろうなと適当に推測し、梅干しやら卵やらそれっぽい具材を適当に並べ終えた後で、通話をスピーカーモードにして米を研ぐ。


「何度やっても終わりどころがわかんねえんだよなこれ……。一生濁ったままだし、加減が謎過ぎる。…………文月?」


 米のとぎ汁をざばーっとシンクに流しながら名を呼ぶ。いつもだったら『そこはこれくらいで~』と補足説明してくれるはずのシーンなのだが、レスポンスがない。通話も終了されておらず、単に彼女が声を発していないだけだ。


「おーい、文月さんやい」

『……今日は、ずいぶんととばり様にお優しいんですね』

「お優しいって……」


 土鍋に米と水を入れ、中火と強火の中間くらいでぐつぐつ煮込み始める。片手間に溶き卵を作りつつ、文月に応じる形で。


「別に、普段意地悪してるつもりもねえけど」

『これはオフレコなんですが、昨晩、とばり様から電話がありまして。『あいつが優しい』『なんか変』と終始興奮したご様子で。……一体なにが起こっていたのか、お聞きしても?』

「あのバカ……」


 疲れた体で夜更かししたのが体調にトドメを刺したのではないか。よその友人間の付き合いにあれこれ言いたくはないが、それで体を壊していては世話ない。


「別に。俺は基本やられたぶんしかやり返さんし。昨日のあいつは大ポカこいてかなりしおらしかったから、それに見合った対応してただけだ」

『……本当にそれだけ、ですか? 他になにか、特別なことは?』

「あー……まあ、なかったと言ったら嘘になるが」


 スピーカーからガタガタっと鈍い音が。続けて『申し訳ありません。誤って落としてしまって……』と一言。急カーブであったりスマホを取り落とすほどの振動であったり、今朝は結構な悪路を走っているらしい。


「なんか手ぇつながれた。たいようの散歩してるみてえだなって言ったらキレられて」

『……どういう状況ですか?』

「ぶっちゃけ俺もよくわからん。曰く、わたしはたいようみたいな忠犬じゃないとかなんとか」

『……それだけ?』

「じゃねえかな。変わったことと言えば」

『……本当に?』

「思いつかないだけで、あいつ視点ではもっとヤバいことがあったのかもしれんけど。……どうしたよ文月、めっちゃ詰めてくるな?」


 尋問の様相を呈し始めている。そんなに引っかかることでもあったかと気になって聞くと、こほんという上品な咳ばらいをもって答えにされた。


『主の行動をきちんと把握しておくのは、傍仕えの基本ですので』

「精が出るな。……もしかして、栞さんに吹き込まれたこと気にしてんの?」

『……そんなことは』

「ま、昨日も言ったけど、どっかで肩の力は抜いてくれよ。お前は俺らの親の陰謀に巻き込まれたみたいなとこあるし、無理だなーってなったら直談判しに行くから途中棄権も熱烈歓迎だ」


 俺の方から職務怠慢だの性格の不一致だの適当な理由をつければ、面倒なメイド業とおさらばすることは難しくないと思う。十代の貴重な時間を俺なんかのために使わせる申し訳なさはいつもあって、リタイアへのライフラインが存在することは常々伝えていた。

 しかし。


『もし、もしもですよ。……私が自分の意思で名乗りを上げていたとしたら、いかがでしょう?』

「……ん、それは――」

『――すいません、学校に着きましたので一旦ここで。適宜確認しますから、困ったことがあればいつでもご連絡を』

「あ、ちょっと……。って、もう切れてるし」


 発言への理解が追い付かなかった。ただでさえ今は入江のことで脳のリソースが消費されているのもあって、受け取った言葉が上手いこと頭の中で形になっていかない。数学の難問にぶち当たったときと同様の感触に、俺はさっさと諸手と白旗をあげ、ひとまずは煮立ってきた土鍋に集中することにした……が、どうしようもないもやもや感は払えず。


「つまりどういう……?」


 腕を組み、自分に問う。それでもさっぱり意味はわからず、キッチンには土鍋が立てるコトコトという音だけが残った。




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