第16話 起きてる
粥の出来栄えは上々だった。健康体の俺が味見する分には少々薄味だが、病人であればこれくらいでちょうどいいはず。椀に取り分け、味変用の調味料と一緒に盆に載せて、慎重な足取りで部屋へと運ぶ。体温計を懐に忍ばせてあるので、食事が終わったら検温して今後の対応を決めよう。
熱を測るなら食前の方がいいかもしれないななどと思案しつつ、行儀が悪いのを承知で足を上手く使ってドアを開けた。「飯だぞー」と呼びかけながら盆を室内中央のテーブルに置いたが、どうにも奴からの反応がない。
「寝てるし」
ベッドに近付き、顔を覗き込む。ぴったり閉じられたまぶたに、ほんのりと上気した頬。心なしか呼吸は苦しそうで、息を吸って吐くたびに布団が上下へ小さく揺れる。黙っていればマジで人形もかくやって感じなんだけど……とどうしようもない思いを巡らせ、ベッドの余剰スペースに腰を下ろした。
「なんだかなぁ……」
本来、この女とは中学限りでおさらばするはずだったものを。……それがどうして、こんなことになっているのやら。合縁奇縁と言えば聞こえはいいが、俺はそんな縁を望んだ記憶がない。それどころか、すっぱり切ろうとしたというのに。
思えば、二人きりで会話をしたのはずいぶん久しぶりな気がする。中学生の頃はずっと遠ざけていたから長い時間話すことなんてあり得なかった。……なのに、高校に入ってからはどうだ。やれ風呂がどうのやれジョギングがどうのと、気づかない内にほぼ毎日顔を突き合わせている。そして、それに順応しつつある自分が怖い。きっと俺はこのまま三年間なし崩しで高校生活を送って、最後には「まあまあ良かったな」という思いを抱きながら卒業していくのだろう。……そこには当然こいつとドタバタ過ごした日々も含まれるわけで、本当に厄介。なにもよくないんだよ、離れようと思って実家を脱出してきたんだから。
「相変わらず、静かにさえしてりゃ腹立つくらい……」
熱はどんなものかと、ぐいっと体を伸ばしながら額に触れた。汗でしっとりしているせいではっきりとはわからないが、高熱とは言わないまでも微熱でないことは確か。もしかすると解熱剤の出番があるかもしれない。乱用はよくないと聞くが、こんな危なっかしい状態で置いておくくらいなら使った方がいい。
ただ、それも起きていればの話。寝ている人間に錠剤は飲ませられないから、気休め程度に濡れタオルを折りたたんで頭に載せた。
ため息まじりに、先ほども座った椅子に腰かける。なにかすることがあるわけではないが、だからといってなにもしないでいるのも苦しい。そういう心理的な袋小路に追い込まれてしまった。……このままでは息苦しいから本でも持ってこようと立ち上がったそのとき。
ふと、一枚の写真が視界に入った。
「……まだ持ってたのかよ、これ」
古い写真だ。ところどころ日に焼けて、色合いが損なわれている。左から順に男、女、女の順で並んだちびっこたちは、中央の鮮やかな髪色の少女が他二人を引っ張る形で画角ギリギリに収まっていた。
小学校入学前だか後だかは忘れたが、それくらいの時期に撮ってもらったものだ。家に遊びに来ていた文月入江両名を呼びつけて、俺含めて記念にと。写真をそこまで好いていなかった俺と入江を文月が強引に丸め込んだから、こんな構図になったんだっけか。
「…………」
プライバシーを侵してしまった。それを察して、写真立てを倒す。綺麗に片付いた勉強机にたった一つだけ飾られていたその写真こそが、控えめな文月がする最大限の自己主張なのだろう。たぶん、俺たちの仲が一番よかった頃。彼女たちが、文月でも入江でもなかった頃。
「とばり」
なんとなく、当時の感覚で名前を呼ぶ。確かに俺たちには、下の名前で互いを呼び合っていた時期があったのだ。それが、成長の過程でだんだん歪んで濁って、今の形に落ち着いてしまった。現在の俺たちは、バッドエンドのその後を演じている。
「起きたらそれ食って体力つけろよ……なんて、寝てる相手に言っても意味ねえか」
昨晩同様に、布団からはみ出していた彼女の小さな手を握りつつ呟く。らしくないことをし過ぎて痒くなってきた後頭部に触れながら、静かに退室。移されたら困るから……というのは、建前に過ぎないかもしれない。
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「……起きてるっての」
「…………」
「……………………」
「………………………………心臓、止まっちゃうかと思ったぁ……」
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