第18話 あーもう

 餌やり。そう思うことにした。心境はついに涅槃へと至り、郵便物をポストに投函するような無機質さで入江の口内にスプーンを差しこんで、一拍置いて抜き取る。その繰り返し。


「ちょ、テンポ早い……」

「胃腸に速攻アクセスだ。体力回復にはこれしかない」

「絶対適当なこと言ってるし……。はむっ」

「おい……」


 俺の機械的動作が、入江にスプーンを咥えられたことで妨げられた。こちとらさっさと終わらせたくてうずうずしてるってのに、変なことをしないでいただきたい。

 無理に引き抜いて歯やら唇やらが傷つくのが怖い。そこまで計算してやっているなら大したものだが、まちがいなく行き当たりばったりだ。俺が思慮深い人間じゃなかったらどうするつもりだったんだか。


「食べ物で遊ぶなって習わんかったか?」

「ほれはひょっひ」

「なんて?」

「これは食器」

「ひでー屁理屈……」


 呆れながら、次から次へと粥の供給を続ける。空腹との物言いに偽りはなかったようで、この分だと取り分けた分は完食だ。その活力があってどうしてスプーンが持てないんだと問い質したいところではあるが、それは翻って俺の急所を晒す行為。触れない方が賢明だと判断して、完全に『無』のまま餌やり係の業務に戻る。


「……もうちょっと、サービス精神とかないの?」

「は?」

「ほら、無言だとタイミングの問題があるじゃない。もっと密な連携を取りたいじゃない」

「お前絶対それ言いたいだけだろ。……で、なにをしろと?」

「かけ声、足りないなーって」


 伏し目がちに言われ、俺はガチで死にそうな目をして言い返す。


「そこまでして俺を辱めたいか?」

「別にそういう……。いえ、そうね。この際だし、きっちり上下関係を明らかにしておくべきなのよ」

「じゃあ紐で縛って外に投げとくか……」

「待って。許して。今のはちょっと調子に乗りすぎました」

 

 まくしたてたせいで、言い切ってからけほけほと咳き込む入江。あまりにも美しい自爆に拍手の一つでも送ってやりたいが、ひゅうひゅう鳴る気管支からの異音を聞くとその気も萎む。背中をさすってやると少しは落ち着いたようで、「ん、ん」と照れくさそうに咳払い。


「も、もう大丈夫だから」

「あっそ」

「……どうしてまださすってるのよ」

「いや、上手いこと摩擦熱でお前が燃えつきやしないかと」

「……これ、優しさじゃなくて殺意だったの?」

「あわよくばとは思ってる」


 ならばこれ以上の施しは要らぬとばかりに、入江は背中とソファの背もたれとを使って俺の手を挟み込んだ。残念ながらこれでは動けず、当然彼女の願いを叶えることもできない。


「……あ」


 そのことに入江も気づいたらしく、いくらかの逡巡を挟んでから背中に隙間を作った。……ただ、こうなればまたさすって燃やそうと励むだけ。


「……どんだけ嫌なのよ」

「普通に末代までの恥かなぁと。死んでも付きまとってくる予感がする」

「わたしをなんだと思ってんの」

「逆にお前は自分をなんだと思ってんだ? 俯瞰して自分のこと眺めてみろよ。昨日今日のお前、相当ヤバいぞ」

「そんなこと……………………」


 あるらしい。表情はすっかり硬直して、現実逃避に走っているように見える。普段は馬鹿みたいに張り合ってくるくせに変なところでばかり甘ったれ根性を発揮するその気質、そろそろどうにかならないものか。


「全体的に情緒が不安定すぎる。刺激したくないから取説でもなんでも作っといてくれ」

「人を爆発物みたいに……」

「爆弾なんだよなぁ。俺なんか完全に処理班じゃん」

「…………」


 さすがに反論できないようだ。勝手に寄ってきて勝手に導火線に火を点けたのはほかならない入江自身。俺は完全に振り回される側。

 やれやれ、また論破してしまったぜと全然うれしくない勝利の味に酔いしれる……のも束の間。


「…………ごめん」


 入江は唇を真一文字に結んで、震える声でそれだけ言った。目じりには微かに雫が溜まっているようで、なんというか、居たたまれない。いくら相手がこいつとはいえ、体を壊して弱っている女を追い詰めて傷心させるのは、ちょっとやり過ぎた感じがある。


「……ま、まあ? 完全にお前が悪いのは揺らぎようのない事実だけど、冷える夜中に連れまわしたのは俺なわけだし、謝るようなことじゃ……」

「…………ぷっ」


 ――しくじった。俺としたことが、こんな単純な誘導尋問に……。

 入江の泣きは完全な演技で、それにまんまと引っかかった俺は見事に馬脚をあらわす形になる。


「……それで妙に優しかったんだ」

「……だったら悪いか。いくら相手がお前でも、自分のせいで壊すのは良い気がしない」

「…………別に、悪いなんて言ってないし」


 ふと、彼女の頭がこてっと俺の肩にもたれて。


「硬ぁ……。もうちょっと贅肉つけといてよ」

「関節まわりにわざわざ余計な肉付ける馬鹿がどこにいる」

「いてもいいじゃん。いないよりはさ」


 そんなことを言いつつも、どうしてか離れる気配はなく。


「……邪魔なんだが?」

「邪魔してるんだもん」


 徐々にかかる体重が増えてきて。


「病人は大人しく寝ておけばいいんでしょ?」

「ベッドでな」

「でもわたし、もう一歩も動けない」

「…………」


 暗に、抱き抱えるなりして連れて行けと命じられ。


 そして、そんなことを率先してできようはずもない。


「食ってすぐ寝ると牛になるぞ」

「豚よりは牛が好きだから我慢する」

「……油性ペンで顔に落書きしちまうぞ」

「やらないくせに」

「……寝顔、写真に残すぞ」

「かわいく撮ってね」

「……………」

「もうない?」

「……うっせ」

「……じゃあ、おやすみ、葵」

「…………………………………………あー、もう」


 好き放題言うだけ言って、あとはすやすや小気味いい寝息を立て始めた腐れ縁のバカに向かって、聞こえていないのを承知で一言。


「その名前で呼ぶなっての……」


 だって、卑怯だ。脳裏へ強制的に喚起される記憶に圧倒されながら、もしかしてこいつが起きるまでこのままの姿勢でいなくてはいけないのかと絶望。


「クソ……」


 ただ、隣にいるだけそわそわしなくて済むというのが、どうしようもなく悩ましいのだった。

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