第35話 後悔、およびそれに伴う反省
「ひとまず、方針だけでも決めておかねえと。……クッソ、ここに来て仲良さげにふるまってきたのが災いするとは」
断ろうにも説得力に欠ける。母さんから見た俺たちは関係良好で、少なくとも即座に拒否感情を示す仲ではない。だとすると、順を追って納得させるくらいしか……。
「しばらく保留して、時代錯誤がどうのこうの言って突っぱねるっきゃないか。いや、でもなぁ」
特定の相手がいるわけでもないのに、それは心証が悪い。もっと穏便に片づけられる方法の一つや二つ、世界には転がっているはずだ。もう少し検討してから答えを出した方が後に尾を引かない気がする。
だが、俺一人で出せる知恵には限界がある。となれば誰かの頭を借りる必要が出てきて、そしてこの場合において、もっとも情報共有が円滑に行えるのは――
「…………わっかんね」
事情を全て理解している人間は俺しかいない。もしここで入江が良い解決案を出せたとしても、それは彼女から見た最善策。それが俺から見ても納得のいくものである確証はない。……むしろ、客観的に見て優れている案を否定する必要性が生まれ、厄介になるかも。
「わたしの考えは聞かないんだ」
ジャストのタイミングだった。手痛い指摘に言い返す言葉はなく、俺は沈黙でもって解答とした。
「……それ、数あるあんたの嫌いなとこの中でも、特別一番嫌い」
「それってなんだよ」
「教えてあげる義理なんかないもん」
「頼むからはっきり言ってくれ。俺は察しが悪いんだ」
ツーカーの関係じゃない。指示語一つで心を通じ合わせられるほど、気安くなんてない。相手の判断能力に依存したコミュニケーションは俺に向いていない。
とぼけているわけでもなんでもなく、彼女が言った『それ』に思い当たりがなかった。でも、入江は教えるつもりなんかないようで、こちらの声に耳を貸さずにぼーっと曇り空を見上げている。
「言い逃げかよ」
「わたしのことポンコツ扱いしてるけど、あんたもよっぽどよ。普通の人なら絶対とっくに気づいてるのに」
「普通じゃねえよ俺もお前も。ちょっと見てわかれ」
生まれも育ちも普通じゃない。世で言う普通と交わった機会の方が少ない。ただ、そういう環境に置かれてきた以上、互いに互いのことだけは理解できるはずだったのに。
「自分は察しが悪いって言ったくせに、わたしにはなにもなくてもわかってもらおうとするんだ。甘えよ甘え。甘ちゃん」
「……悪いかよ、それくらい」
「…………」
ごく近しい存在として、こいつのことを認識していた。結果としてそれは誤りだったわけだが、少なくとも子どもの頃はこいつなら俺を理解してくれるものだと信じて疑わなかった。一人一人異なる人間の中で、入江とばりだけは特別だと大いなる勘違いをしていた。
その名残が、今も俺の胸中に澱となって残留している。いつまでたっても消化も昇華もできやしない。それどころか摘出だってできなくて、どうしようもなさに拍車がかかる。
「……わたしにわかってもらいたいのに、わたしのことは全然わからないの、アンフェアよ。そんなのただの押し付けじゃん。受け止めてもらえるって無責任な期待じゃん。言葉にする努力を放棄してるだけじゃん」
「言葉を尽くそうが行動を尽くそうが、それ全部払いのけた奴がいたからな」
「…………ッ」
脱力から放った一撃は、思いのほか深々と入江の心に刺さったようだった。俺の諦め癖も、中途半端なニヒリズムも、元を辿ればどこへ行きつくかは明らかだから。……別に、責めるつもりはない。どっちが良いとか悪いとか、そういう葛藤は既に自分の中で出し尽くしてある。でも、だからこそ、膿の出きったフラットな思考から繰り出された一言は、剥き身のナイフにも似た威力を持っていたようで。
「……ごめ――」
「謝んなよ馬鹿馬鹿しい。これもそれもなにもかも、ぜーんぶ時効だ。今さらなにも変わらんし、変えられん。お前が自分で言ったことだろ。……だから、今はこれからのことだけ考えるんだよ。差し当たって、例のメッセージをどうやって受け止めるかをな」
過去を振り返れるほどの心の余裕はなかった。喫緊の課題とやらは、既に眼前まで迫ってきている。
「……まあ、なんか上手いこと考えとく。一晩寝かせりゃ多少は気分も落ち着いていい案も浮かぶだろ」
「ちょっ、待っ――」
「――今一緒に話しても昔話と大反省会にしかならんだろ……」
伸びてきた手を払う。意図したものではなかったが、それはまるで、いつかの意趣返しを思わせた。
振り返りざま、顔だけは見ないように強く意識した。なんでか、意思が揺らいでしまいそうな気がしたから。
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「……もう、もうもうもうもう!」
「…………なんでこんなこともわかってくれないの、あのばか」
「………………なんでちゃんと言えないの」
「………………………………………………………………わたしの、ばか」
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