4章8話:反則なんかじゃない
プレーが再開され、それから攻防は一進一退の膠着状態に陥った。
真田の前で川村が跳び、指先を掠めたボールがコートに突き刺さる。
「ナイスキー!」
「いいぞエース!」
(追いつかれた……!)
得点板を見ると三浦商業二十点に対し北雷高校二十と数字が増えた。軽く舌打ちして前を見ると、川村と目が合う。
「いや〜、ブロックしんどいわ〜」
にやにやと笑いながらもそう言うので、だろうな、と思う。競争率の激しい強豪で生き残り、二年生でスタメン入りしたのだ。そこらのブロッカーと自分では訳が違うと、真田は自信を持っていた。
「んでも、まあ、ウチの一番に比べりゃァ大したことないねえわな!」
そう続けられた言葉に、体内の血液全てが逆流する。カッとなった頭はなかなか冷えない。マズいのは分かっているが、プライドに傷をつけられたことが我慢ならなかった。
そうこうしている間に、東堂がサーバーになる。そのサーブを能登が上げ野島に送る。
(来る……!)
ブロックにおいて大切なのは、真っ直ぐ上に跳ぶこと。横っ跳びは良くない。
後衛の神嶋にトスが上がり、鋭いバックアタックが襲って来る。それを真田が両腕で弾き返すが、ギリギリでコート隅に走り込んだ瑞貴が上げた。
「もう一回!」
北雷のベンチからそう声が上がり、瑞貴が野島に送ったボールが今度は能登にトスとして上がる。能登が打ったスパイクを今度は両手で弾くが、叩き落とすことは出来なかった。ネット際で久我山が拾った。
「チャンスボール!」
「もう一回!」
野島が両手に収めたボールが上がる頃には川村が助走を終えてスパイクの体勢で待機していた。
(しまった……!)
目にも止まらぬ必殺速攻が一閃。小平も真田も反応出来ずに点が入る。
「ッシャァアァア!」
川村が右腕を突き上げて叫び、野島と肩を叩き合った。
「二十一点だ!」
「ナイスキー!」
これで北雷が一点リードしたことになる。マッチポイントは二十四点。デュースが無ければ第一セットは二十五点でお終いだ。
真田が謝ろうと思って後ろを見ると、三年生が恐ろしいほど落ち着いた顔つきで立っている。
「……」
「真田!気にすんな!」
古湊の言葉に小さく頷く。
「今のはムリだ!ドンマイ!」
高階がそう言い、顎を伝う汗を手で拭う。
「切り替えろ!」
柳原の一際低くて重い声が腹の底に響く。
「はいッ!」
それに応えて声を上げれば、三年生は満足そうに頷いた。
「響!ドンマイ!しっかり切り替えて!」
ベンチからの声に目線を向け一つ頷く。
ここに来て、冷静な頭で試合をすると言う当たり前のことが出来なくなっていた。普段なら出来ていることが、相手に振り回されて出来なくなっている。
勝つために特別なことはいらない。普段やっていることをしっかり出来れば勝てる。少なくとも、ここではそう教わった。真田はその言葉を疑ったことはない。嘘でないことを知っているからだ。
(突拍子もねえことしてくるヤツらに、負けてたまるかよ!)
胸の中でマグマのように闘志が煮えたぎる。自分のプライドのためにも、サンショーの雪辱のためにも、この戦いには絶対に負けられない。否、負けてはいけないのである。
北雷と戦って真田が把握したことが幾つかあった。そのうちの一つが、一人一人のスパイカーに強い特色があることだ。
一番のバックアタックは打点が高く、ブロックで捉えにくい。二番はフェイントの本命として使われ、軟打で決めることが多い。三番はパワーで強引に押し入って来る印象だ。四番のツーアタックは右でも左でも精度とパワーが変わらない。
個性の光るスパイカーがいて、加えてその個性を潰さずに使い分けている。単独での速攻やブロードなどもあるが、シンクロ攻撃をかまされると厄介だ。
(あのセッター、かなりの切れ者と見た。これだけの特徴を持つヤツらを完璧に使いこなすゲームメイク能力は相当だ)
流れが切れて、今度のサーバーは北雷の野島。他の部員に比べて細い腕から放たれたサーブが、サーバーの体型に見合わぬ重さを持って飛来する。
「リンッ!」
小平の鋭い声と回転と勢いが殺されたボールが上がり、東堂がそれを追って走る。真田の背後で古湊が動く気配がした。それから東堂は見事なトスを上げる。
ギュキュッとシューズの擦れる音をさせてから高階が跳んだ。
「フッ……!」
鋭い力み声と同時に鋭利な軌跡を残してスパイクが熱狂を切り裂く。北雷のブロッカーもそれに合わせて跳んだ。すると、バシィ!と乾いた音をさせてボールが弾かれた。
ギョッとしてそちらを見た真田の目に、異様に落ち着いている瑞貴の姿が映る。高階の渾身のスパイクを止めたのは、瑞貴だった。
(こいつ……!)
「瑞貴、ナイスブロック!これで二十二点!ブレイクだ!」
「さっき失敗したからな!位置は変わったけど次は絶対に外さないつもりだったし?」
先程とは打って変わったその様子を見た高階は、思わず歯軋りする。
(あんなに冷静だったのは執念からってか⁈クッソムカつくなぁ〜〜〜!)
イライラするが、顔には出さない。試合はイレギュラーの連続。刻一刻と変化する状況の中で「絶対」は無い。「絶対」の無い空間ではちょっとしたことでも勝敗に直結する。心の乱れはプレーに繋がる。勝ちたければ、常に冷静であれ。
この数年で味わい学んだその教訓を、静かに再び噛み締める。苦味と渋味でいっぱいで、お世辞にも美味いとは言えない。だが、高階はそれが自分を育てると信じている。なぜなら、それが高階幸太郎の三年間だからだ。
「タカ、大丈夫か?」
古湊の言葉に頷き、頭を横に振る。
「おう。ただ、ちょっと、ホントに少しだけ、今のブロッカーに腹立っただけ」
「そうかよ」
「次は潰す」
「ハイハイ」
軽い返事に小さく笑う。その程度の余裕が無くては、冷えた頭で試合は出来ない。
試合が再開となり、引き続き野島がサーブを上げる。フローターサーブが白帯に絶妙に引っかかりギリギリでコートに入り、それを何とか古湊が上げた。
「リン!カバー!」
鋭い指示が飛び、東堂はそれに短く返す。
東堂の目が北雷コートの前衛の顔ぶれを見る。ローテーションが無かったので先ほどと変わらない。
視界の端の柳原と目が合って、間に小さく火花が散るような錯覚を覚える。それで東堂は、腹を決めた。
(さあ、ヤナさん、ガッツリ行っちゃってください……!)
ふわりと上がった東堂のトスに、エースの右手が食らいついた。次の瞬間には瑞貴のブロックを力で押し割りスパイクをコートに押し込む。
ドパンッ!と重い爆ぜる音がして、コートに突き刺したボールが跳ね返って天井の枠にはまった。
「おおおおお!」
柳原が吠え、それにコート内のメンバーが飛びつく。サンショー側のコートは歓喜に湧いたが、北雷側は沈黙していた。
「あんなスパイク、反則級だろ……」
ベンチにいる長谷川の唸った声に海堂の眉がぴくりと動く。
「馬鹿力にもほどがある!どう鍛えたらあんなモノ……」
「スポーツが進歩していく過程で、それぞれの競技において理想とされるフォームが形成された」
突然声を発した海堂はパソコンから目を上げずにそう言った。
「バレーでもサッカーでも水泳でも、そのフォームを完成させられれば成績が上がる。正しいフォームで泳げば、水の抵抗が減ってタイムが縮む。正しいフォームでシュートを打てば、不要な力を入れなくてもボールは勝手に飛んでいく。スパイクだってそれと全く同じ仕組み。いかに正しいフォームを作れるかが大事なポイントだ。だから長谷川、五月にフォームの矯正したでしょ?」
それに長谷川は小さく頷く。
「ただ、柳原の場合は別格。あれだけの身体を持っていてパワーが無い方がおかしい。でもあの強烈なスパイクを打たせているのは、半分以上は恐らく正しいフォームの力。ただ力任せに打つんじゃ強豪校のスタメンなんて獲れないだろうし、あれだけの身体があってフォームを形成出来ない訳がない」
海堂は近くにパソコンの画面を切り替えて柳原のスパイクフォームを映し出した。
「完璧な形だ。この人が積んできたモノがこの形に出ている。この姿勢を維持するために必要な背筋や体幹。きちんと鍛えたしなやかな身体があるからこそ、あの凄まじいパワーのスパイクが成立する」
それから海堂は、見慣れた三白眼をギラつかせて続けた。
「反則なんかじゃない。人の何倍も血の滲むような努力を重ねた人間に与えられる、当然の結果だよ」
どこか苛立つような響きを含む声に高尾は内心首を傾げる。
(何か、怒らせてる?)
「でも、確かにあれはキツい。こっちが上回っていたのに、ここで力の差を見せつけられた」
海堂の言葉に長谷川は頷く。もしも自分がコートの中で対峙していたら、到底戦おうとは思えない。もしかしたら棄権したくなっているかもしれない。
(すげえな、先輩たち)
緊張している表情を顔に貼り付かせているが、真っ直ぐ立っている。戦意は失っていないらしく、目には強い光があった。
(……あと一年したら、あんなになれんのかな)
そのとき、長谷川の隣から「いいなぁ〜」と声が聞こえた。
「いいなぁ〜……。オレもこの試合出たい」
そう言ったのは、火野だった。緩めの癖毛を揺らしながらそう言って、不満そうに唇を尖らせる。
「でもオレまだ下手だし、交代要員だし。練習頑張るしかないよなぁ」
何を言っているのかと思った。到底良いとは思えないような試合展開なのに、火野はあえてその中に入ることを望んでいる。不満そうな言い方ではあるが、目はキラキラしていた。
「レシーブもスパイクもブロックも素人だから今入っても迷惑かけるだけだし。ぶっちゃけ情けない……。あああ〜!でも出たい!」
「何で?」
思わず疑問が口から出た。それに火野はポカンとしてから笑って続ける。
「試合の相手が強けりゃ強いほど燃えンだろ。絶対に楽しいぞ、この試合」
火野はにししっと笑ってから、今度はソワソワし始めた。
「家帰ったら練習だな!」
それを聞いた海堂は火野に問いかける。
「この間渡したヤツ、ちゃんと続けてる?」
「おお!ジャンプ力強化と、ランニングとレシーブ練とオーバーハンド。ここ一ヶ月くらい、ずっと」
指折り数えた火野の言葉に海堂は少し考えてから口を開いた。
「そろそろ負荷に慣れてきた頃じゃない?」
「そうだな〜。ランニングはもうちょい距離延ばしてもいけるかも」
「なら一キロ増やしてみるといいかも。ジャンプの方は私が直接確認してから負荷を考えるから、勝手に増やさないで」
「了解で〜す」
そのやりとりに高尾が口を挟む。
「火野、お前、まさか追加でメニュー組んでるの……?」
「オレはみんながバレーやってる間にバスケやってたから遅れてるじゃん?だからただやってるだけじゃ無理ってことで、海堂にアレコレ教えてもらったってわけ」
走る距離を一キロ増やすというのは言葉以上に辛いことのはずだ。毎日部活の後に決められた量のメニューを追加でこなす火野の体力は一体どうなっているのだろうか。
「あ、ほら、試合再開だぜ」
火野はそう言ってコートを指差す。普段見慣れた横顔に、高尾は黙って頷いた。
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