3章3話:無二の絆

 主審の合図で倉橋第一の六番がサーブを打つ。久我山はそれをドムっという音ともに跳ね上げ、内心舌打ちした。

(何じゃこりゃ……。すっげえ重い……!)

「ごめん!短い!」

 自分のコントロールの失敗が分かり声を張り上げるが、野島から声は返って来ない。そちらを見ると、普段柔らかく笑っている目が大きく見開かれてボールを凝視していた。

 ふわりと白い両手に収まったボールはすぐさま放たれたと思うと、野島の反対側から走り込んで来た川村が、その動きを捉える暇もなく相手コートに突き刺した。エースコンビ必殺速攻が一閃したのである。

 ピピ!という音ともに得点板がめくられる。北雷側の先制点だ。

「朱ちゃんナイス!」

「うぇい!」

 目を合わせずにタッチした二人はすぐに目線を相手コートに戻した。

「今のは取れなくても仕方ない!」

「切り替えてくぞ!」

 倉橋第一側の掛け声に川村は密かに感心する。

(さすが強豪。メンタルもレベルが違え)

 しかし次のサーブ権は北雷。こちらには、ミスタージャンプサーブこと神嶋直志が控えている。そう思いながら後ろを見ると、凄まじい気迫を背負った神嶋がボールをコートに何回か叩きつけているところであった。

「神嶋、一本ナイッサー!」

「神嶋さん!頼んます!」

「ガッツリかませェ!」

 神嶋は長く息を吐き出してからボールを宙に放り上げる。次の瞬間、ダパン!と重い音をさせてサービスエースが決まる。今回も、主将は調子が良いらしい。

 次のサーブはアウトになり、サーブ権が移った相手がローテーションする。

「レシーブしっかり!」

「さっこーい!」

 バン!と乾いた音ともに飛んで来たボールを後衛の神嶋が丁寧にレシーブした。回転の殺されたボールは再び野島のところへ。

(朱ちゃんはまだ使わない……!)

 細身がふっと浮かんだ後に、ボールは見事な弧を描いて凉の手元へ。

(あ、やばい。捕まる)

 スパイクを打とうとして相手ブロッカーの様子に気がついた凉は、その指先にボールを当ててコートに戻す。

「チャンスボール!」

 そう叫ぶと同時に川村が助走に入る。

(だよネ、来るよネ……!相手ブロッカー三人いるけど……⁈)

 心中そう言った野島は川村にトスを上げた。しなやかな筋肉に覆われた川村の背中がしなる。

「ブロック三枚!」

 そのフレーズに、川村は怯まなかった。

(力一杯当てて破ってやる!)

 肩には自信がある。昨日までの自分を信じて振り切った腕から放たれたスパイクは、ブロックをドガッ!という音をさせながら突き破った。

「ワンタッチ!」

 相手の声に舌打ちする。それでも集中は切らさない。辛い戦況、手強い相手、それに太刀打ちするならエースは不可欠。

 相手のスパイクを能登がレシーブした。そのボールを追って助走に入る。

(集中切らすな、助走しっかり……)

 手本通りの三歩助走。

(バックスイングちゃんとやる……)

 腕を振って跳び上がる。

(最後の仕上げはミコトを信じる……!)

 目の前に来たボール。打つべきコースはもう見えた。

 ドゴガッ!と人の手とボールがさせたとは思えない鈍い音がしてボールはブロックを突き破る。そのままコートに落ちて笛が鳴る。北雷側の得点板を見ると「三」という数字が見えた。

「朱ちゃん、今の良かったヨ」

 野島の言葉に答えながら川村は大きく息を吸う。どうやら息を忘れていたらしい。酸欠で視界の隅が霞んでいた。

「ナイス、川村さん!」

「いいぞ!川村〜!」

「ナイスキー!」

 激しいラリーを制したエースに称賛が送られる。しかし川村はまだ笑わない。

「まだ三点取っただけだ!気抜くな!」

 川村はそう叫ぶ。その背中を見た凉は、一人感嘆した。

(これが、川村朱臣)

 普段のふざけた様子はどこにも無い。前回の試合も見事だったが、今回の気合とは比べ物にならない。一種の殺気すら纏っているように思える。ベンチで見ていた海堂も、密かに感心していた。

(激しいラリーを制し、エースとしての貫禄を見せつけた。——敵にも、味方にも)

 川村は、圧倒的な才能を持つ絶対的なエースではない。しかし彼はその代わりに、個人の才能よりもある種得難い物を持っている。それを海堂は、以前に得ることが出来なかった。

「朱ちゃん、次も頼むネ」

「任せとけ。何たって、オレが北雷のエースだからな」

 ニマッと笑い、野島と同時に互いの肩を強く叩く。

「最高の試合にしようぜ」


 市立倉橋第一戦は白熱していた。

「ブロック二枚!」

 キュキュッというシューズの擦れる音にドゴガッやドガッという音。

「ワンチ!」

 ブロッカーの張り上げる声と重いレシーブの音。攻防は一進一退。付かず離れずの一点差のまま、第一セットは両校二十点代に乗り上げる一歩手前であった。

 ラリーが途切れたとき、北雷側がタイムアウトを取る。ベンチに戻って来た北雷のプレーヤーたちは、皆隠しようの無い苛立ちと疲れを顔に滲ませていた。

「皆さん、お疲れ様です。相手が市立倉橋第一ではありますが、想像以上に上手くやれています。少なくとも、二点以上突き放されることがない」

 海堂の冷静なコメントに神嶋は頷く。高尾に渡されたタオルで側頭部を伝う汗を拭った。

「今、こちらが十八点であちらが十七点。勝負どころです。なので、やり方を変えます」

 その一言に川村が口を開く。

「第二段階か?」

「はい。今、私たちはプランAの第一段階に差し掛かりました」

 海堂はつ、と目線を火野に向けた。

「これから、久我山さんとの交代要員を長谷川から火野にチェンジ。これが第二段階だということは覚えていますよね?ですので、第一セットは火野を入れた時点から第三段階に移行します」

 全員が黙って頷き、火野はその場で二、三回ジャンプする。

「それでは第一セット終盤、しっかり取ってきてください」

 

 市立倉橋第一高校男子バレーボール部主将は背番号一番の太田である。そして彼は、今大変不機嫌であった。

 強豪校のプレーヤーとして、今まで様々な試合を経験して来た。しかし、彼が今やっている試合はそのどれとも違う。

 倉橋第一のバレーは、セオリー通りのバレーである。なぜなら、昔から形が作られたものは確実だからだ。堅実でしっかりとしたバレーに、奇抜なものはいらない。基礎のしっかりとしたスタメンと、練り上げて来た連携を武器にここまでやってきた。県ベスト八入りを果たしたチームを率いるプライドが彼にはある。

 北雷のエースコンビが繰り出す速攻が得点源になっていることは間違いないから、それを止めさえすれば勝てるはずだった。それなのにそれを止めてもまだ勝てない。北雷の四番は、何度スパイクを止められても食いついてくる。

(いや、違う。アイツが食いついてるんじゃない)

 北雷の攻撃を支えているセッター。あの生白い細身で女顔の優男が、エースの道筋を切り拓いているのだ。さっきスパイクが当たったばかりの掌が熱く痺れている。

 ふと、目が合う。泣き黒子のある目が僅かに細められた。

(ホント、向こうの一番よく食いつくナ〜。って当たり前か。三年生だもんネ)

 野島は心の中でそう言いながら膝のサポーターをずり上げる。両手を閉じたり開けたりした野島は太田と目が合い、思わず目を細めた。

(でも早いとこ、道空けてもらわなきゃ。——ウチのエースの邪魔だから、サ)

 ピピ!と笛が鳴り、試合再開。

 相手サーバーが準備をしている間に野島はコートのおおよその状態を把握し直す。

『次の向こうのブロックは、一番高さのあるローテーションになります』

 海堂の声が頭に蘇る。

『真正面からブチ抜きに行っても何とかなるでしょうけど、成功率が低い。なので、アレ使ってください。こっちも成功率は低めですが、相手をビビらせる効果があるだけまだマシだ。そして、より威力のあるスパイクを打てる火野を入れます。かなり大雑把ですがここは勢いで押し切りましょう』

 サーブを能登が丁寧に上げた次の瞬間、スパイカー全員が助走に入った。野島の目はボールとスパイカーしか見ていないが、相手チームの動揺は確かに伝わる。

 野島の手を離れた青と黄色のボールが宙を舞い、火野の手に収まった。

「ッらぁあ!」

 コートの空白にダパン!という破裂音にも近い音をさせながらスパイクが刺さる。審判の笛が鳴り、北雷の得点。

「シンクロ攻撃……⁈」

 太田は歯軋りした。まさか、そんな隠し玉を持っていたとは。

 シンクロ攻撃とは、コート内のスパイカー全員が助走に入り誰がスパイクを打つのかを分からなくさせ、本命のスパイカーが得点しやすくするという攻撃方法だ。これだとブロッカーを分散させることが出来るので本命がブロックされにくい。倉橋第一がこの試合でも数回取った攻撃法だ。

 ここまでそんな素振りなど微塵も見せず、セッターのツーアタックと一番と十番を使ったブロード、そして四番と二番のスパイクを使い分けていたというのにいきなりのシンクロ攻撃。突然の隠し玉に倉橋第一は対応しきれなかった。

 ベンチにいる海堂は内心ほっとしていた。

(成功して良かった……。まだ未完成だから失敗するかしないか五分五分だったし)

 シンクロ攻撃を提案したのは一回戦の前。まだ未完成のため実戦では使わないと話していたが、二回戦の相手が判明してから海堂は方針を変更した。

 絶対的なエースがいないチームである以上、連携で勝つしかない。とは言え相手も同じスタイルを取る強豪。基礎戦力でも実戦経験でも明らかにこちらが劣る。ならば。

(何でもいい。少しでも勝ちの確率が上がるなら、何でもやる。例えリスキーな賭けであろうと……!)

 そしてこの作戦、肝はタイミングである。

『ここまでで倉橋第一は六回シンクロ攻撃をしました。対して、こちらは一度もやっていません』

 先ほどのタイムアウト時の会話を、火野は頭の中で反芻した。

『一回戦でも使わなかったので、間違いなくあちらはシンクロ攻撃を持っているとは思わないはず。使うならタイムアウト後すぐ。そうすれば』

(相手は確実にビビる……か)

 火野は背筋にゾクゾクとしたものが走るのを感じる。

(ホンット、アイツマジで怖えわ……!)


 今度は北雷がローテーションをし、神嶋が前衛に上がってくる。それを見た倉橋第一のセッターである久保は太田にそっと耳打ちした。

「見たら分かるかもだけど、今のローテは左側が狙い目だ。十二番火野、ブロックがめちゃくちゃザルだから」

 その言葉に頷き、北雷側のサーブで試合再開。太田にトスが上がる。いつも通りスパイクを打った。はずだった。

「は……⁈」

 なぜかボールが弾かれて落とされる。ブロックがザルの十二番火野は狙い目。そのはずだったのに。

(何で……!一番神嶋が!)

 ボールを弾いたのは神嶋だった。

(そうか!入れ替わったんだ!こっちの狙いはバレていた……⁈)

 神嶋は着地してから唖然としている太田を見る。

「ウチの十二番はブロックがまだ下手でしてね。俺より小さいしブロックが下手なのはさっきバレたから、狙われるだろうと思って入れ替わったんです」

 太田はその得体の知れなさに背中に嫌な汗が伝うのを感じた。

「一番高さのあるローテーションが来た場合に、あなたは必ず自分から見て左側をクロスで狙う。この第一セットの間にそれは読めていた。もしブロックに失敗しても俺の後ろにはブロックフォローのためにリベロが控えている。俺はさっき、ちょっと頭を使ったバレーをやったんです。でもまあ、逆に言えばそれだけですよ」

 淡々とした話し方と、何でもなさそうな表情。しかし太田を見る目には名状しがたい強い光がある。

「火野、ブロックの鉄則は教えたな?」

「はい。確か……、自分がやられたら嫌なブロックをすること」

「そうだ。今の俺がやったのはまさにそれ。要は嫌がらせだな。覚えておけよ」

「ッス!」

 涼しい顔で後輩にアドバイスを与えるほどの余裕。

 その全てが太田の怒りを煽る。しかしすぐにその怒りの炎は消えた。自分に纏わり付くような視線を感じたからだ。

(何だ、何なんだよ、この視線……)

 コート周りを見ると、太田をひたと見つめる姿があった。何を隠そう、海堂である。

 コートの奥のさらに外に、何かがいる。そんな不気味な感覚。(海堂のことだが、太田はそれを知るよしもない)。その視線が離れずに絡みつき、太田を拘束する。得体の知れないブロッカーに、何をしてくるのか全く分からないセッター。そしてそのセッターに支えられ、食いつくのを止めないエース。

(こんな試合……、こんな試合……)

 ——今まで味わったことがない。

 言いようのない恐怖が背中を舐める。太田は直感していた。そして、認めたくない事実をも直感する。

(しかも北雷には、多分とんでもない規格外のヤツがいる)

 今まで何度もコートに立ち、部員を率いて来た。そのいくつもの激戦の中で格上の強者と渡り合った。だから分かる。

(北雷の真の強みはコートの外だ。しかも多分、あのマネージャー!)

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