3章3話:エースだったら背中で語れ!

 第一セットが終了した後の倉橋第一のベンチの空気は重かった。

「……ウチは去年ベスト八に入った。そして今回の相手は、今大会初出場の無名校」

 監督の苛立ちを隠せない声が太田と久保と、その後ろのプレーヤーたちの耳に刺さる。

「この結果は無いだろ。なあ、太田?久保?お前たち三年間何やって来たんだ?」

 何も言えずにうなだれ、歯軋りする。そうだ、こんなことあってはならない。まさか第一セット終盤、デュースに持ち込むことすら出来ずに得点を許してしまったなんて。

「流れが向こうに行ったのはあの十二番火野を本命にしたシンクロ攻撃からだ。ブロックもレシーブもまだ下手なところを見るに初心者だろう。でもあの十二番には、流れを呼ぶ何かがある。第二セット頭でアイツを叩け。それが出来なかったら勝てないと思っていい」

「はい!」

「分かったな?」

「はい!」

「なら第二セット、倉橋第一のプライドを見せて来い!」

「はい!」


「相手は次、確実に火野を狙って来ます。火野を使うのは無理の無いときにするべきでしょう。なので、スパイクは川村さんと神嶋さんを中心に使ってください」

「OK。あとツーアタックもガンガン出してくけどいい?」

「はい。もう何でもいいから点を取ってください」

 北雷のベンチではそんな会話が交わされていた。目をギラつかせた川村と、その隣で怖いほど落ち着いている野島。それと話す海堂の声しかない。

「美しくないですが、なり振り構わずいきましょう。向こうは多分、強豪のプライドをかけて今まで以上に本気で来ますから」

 そう語る海堂の目は冷たい。

「これから話すことは全体に向けてです。聞いてください」

 野島との会話を切った海堂は自分に注意が向いたのを感じてから話し出した。

「何とか点を取らせずに済みましたが、神嶋さんのサーブに頼り切ったからです。こうなると、もう総力戦とかそんな言葉では割が合わない。第二セットはさらに辛くなります。これだけは断言できる」

 火野はぐっと右手を握りしめる。さらに辛くなる。そんなことは分かっていた。だが、それ以上に自分が役に立たないことが辛い。

「スパイカー陣の使い分けが上手いのでブロックも散らせていますが、それでも限界はいずれ来る。そうなったときにボールが集まるのはエースだ。川村さんには、どれだけ辛くても踏ん張ってもらわないといけない。大丈夫ですか?」

「……生意気言ってんじゃねえぞ、一年が」

 川村の低い声が落ちる。あまりの低さに周りはギョッとしたが、海堂はフッと笑った。

「心配無いようですね。すいませんでした」

「何があってもオレが決めてやる。オレがこのチームを勝たせる」

 タオルでこめかみを伝う汗を拭う。

「それがオレの仕事だからな」


 さかのぼること一週間前、一回戦の終わった後のことである。

『勝ててよかったネ。火野も凉も調子良かったシ?』

 野島はそう言ったが、隣にいる相棒はどうやら素直に喜べないらしい。顔が曇っていた。

『……何、朱ちゃん。不満なことでもある?』

 そう言うと、川村は驚いたように顔を上げた。それから自分の頭をガシガシとかき唸ってから言葉を発した。

『いや、まあ勝てたのは良かった。それは素直に良いことだと思うし、目標達成には必要なことだけど、オレ的には今日の試合はダメダメだった』

 自分の両手を開けたり閉じたりしている川村は若干決まりが悪そうだ。

『自分のチームの勝利は喜ぶべきなんだろうしそれが普通なんだろ。でも、今回オレは見せ場なかったろ?』

『最後は神嶋に持ってかれちゃったもんネ』

『そう。だからダメ』

 商店街の雑踏を抜けながら、川村は短くそうとだけ言う。白いスポーツバッグを背負い直して息を吐いた。

『オレはエースの自分に誇りを持ってる。自信もある。みんなからエースとして信頼されてるってことが、まだ不安定なオレを支えてくれてるんだ』

 制服の胸元をぐっと掴んだせいで、袖口に校章の入っているシャツにシワが寄る。

 川村はプライドが高い。誰かに弱みを見せるのも、弱ったところを見せるのも嫌う。見せていいと決めた相手は、きっと少ない。そんな幼馴染みがわざわざここでこう言っているのだ。よほど悔しかったに違いない。

『それに、エースはコートの王様キングだ。コートに入れる六人の中で、一番強いヤツだ。誰かにその立場を奪われちゃいけないし、そんなことあっちゃいけない』

 普段は快活な横顔が険しくなる。

(相当な不完全燃焼って感じ?)

『だから、次の試合で敵にも味方にも示す』

 人でごった返す土曜の商店街。その中でも低い声はしっかりと野島の耳に届いた。

『——北雷のエースは川村朱臣だってな。身の程知らずなルーキーどもの骨身に刻んでやる……!』


 第二セットは倉橋第一のサーブからスタート。割れんばかりの応援が体育館に響く。

「行け行け太田!押せ押せ太田!」

「まずは一点!しっかり入れろよ!」

「主将!やってください!」

「太田〜!頼むぞ!」

「これ以上勢いづかせるな!」

「やれえ〜〜〜〜!!」

 それに負けじと北雷も声を上げる。

「さっこ〜〜〜い!」

「来いやゴラァ!」

「上げてやんよ!」

 太田のジャンプサーブが炸裂。火野は重さに驚きながらも何とか野島に返す。

「すいません!長い!」

 思っていたよりも少し遠くまで行ってしまったことに焦り声を上げるが、野島は黙ってボールを追った。

(ここはおれがもらってこうか……!)

 トスを上げると見せかけ、野島は左手でボールを叩く。ネットすれすれを落ちたボールには誰も触れられない。

 北雷高校、第二セットの初得点である。

「くそ!あのセッター両利きかよ!」

 そんな声が聞こえ、川村は唇を歪めて笑った。ここまで野島はツーアタックには右手しか使わなかった。両利きである野島は、左右どちらの手でもほとんど同じ威力と精度でツーアタックが出来る。左手は暗器代わりだったということだ。

(オレの相棒ナメんな)

 内心そう吐き捨てるように言った川村は、斜め前にいる野島の肩を軽く叩く。

「ん?何?」

「今のツー、最ッ高にしびれたぜ」

「ンフフ、ありがと」

 目を合わせない一瞬の会話。しかしそれだけで十分だった。


 その後北雷高校は順調に得点し、十九点を獲得した。その得点のほとんどを叩き出したのは川村である。何回も何回も跳び、力で相手ブロッカーを押し退ける。いつもの何倍もの気迫に、周りは驚きを通り越して最早ゾクゾクしてすらいた。

(さすがに……、キツい……)

 額を伝う汗を拭う。もう全身汗だくだ。息も上がっている。スタミナには自信があるが、さすがの川村も限界が近いことに気がついていた。

(無茶して動けなくなるのはまずい……。でもダメだ)

 顔を上げて相手コートを睨む。

(オレがここで折れたらダメだ……!)

 審判の笛が鳴り、火野のサーブで試合再開。怒涛のラリーが始まる。

 相手がドパン!と音をさせボールを上げる。向こうの一番太田が助走に入り、こちらはブロックとレシーブの陣形を整える。神嶋がネット際で跳び、長い腕で柵を作った。腕の腹にスパイクを当てて跳ね返す。

「チャンスボール!」

 倉橋第一のその声に後衛のレシーブ要員は再び身構える。相手セッターがボールを拾い、後衛に上げる。

(このままバックアタックか⁈)

 真っ直ぐ真ん中めがけて打たれたスパイクに向かって神嶋は真っ直ぐ上に跳ぶ。

(ナメるな!コースが甘い!)

 弾き返したボールはネット際に落ち北雷の得点になった。すぐにサーブとなり再びラリーが始まる。

(二十点。あと五点)

 川村の頭はいやに冷え切っている。体育館の中も身体も燃えるように熱いのに、頭だけは氷のようだ。

 相手のサーブを火野が野島に送り、野島がトスを放つ。自分に上げられたと信じて疑わずに走る。ボールに手が触れる。右腕を振り抜く。自分のいる場所から遙かに離れたところからスパイクがコートに刺さる音がした。

(二十一点。あと、四点)

 脚が重い。跳び続けたせいだ。それでも川村にトスは上がる。

 目の前にやってきた青と黄色のボールを渾身の力を込めて床めがけて叩きつける。ダパッ!という重い音が聞こえた。

(二十二点。あと三点)

 遠くから歓声が聞こえる。

(気持ちいい……)

 冷たく冷え切った熱狂の中にいるこの感覚が、気持ち良くて仕方ない。

 またトスが上がる。全身の筋肉を軋ませて、今の自分が出せる限りの力で打ち込む。

(二十三点)

 とうとう、周りの音が聞こえなくなってきた。それでもトスが上がる。ベストのタイミング、ベストのポジションに上がると信じ、あとは跳ぶだけ。皮の下で骨を覆うしなやかな筋肉が唸り、スパイクが突き刺さったのが見える。

(二十四点)

 視界の端にトスが上がる。重い音をさせて踏み切った後は、無心だった。

 ピピー!と長い笛の音が聞こえ、川村は我に返る。得点板には

北雷高校二十五点—市立倉橋第一高校二十点と刻まれていた。

「朱ちゃん!やったネ!」

 そう声が聞こえてそちらを振り向く。柔らかく笑う幼馴染みの肩に腕を回した。

「川村さん!超絶カッコ良かったっす!五点連続やばかった!」

「さすがウチのエース!」

 そう褒め言葉を口にするチームメイトたちに笑ってから、審判の合図で整列する。

「北雷高校二十五点、市立倉橋第一高校二十点。よって勝者、北雷高校!」

 その言葉に続き号令がかかる。

「ありがとうございました!」

 火野はコートから出ながら、少し前をゆっくり歩く川村の背を見ていた。

(川村さん、すごかった)

 身長で言えば、川村は火野よりも小さい。だが、その背は広い。

(先輩って、すげえんだ)

 二回戦、勝者北雷高校。ダークホースの破竹の勢いの快進撃は、始まったばかり。


 体育館から出て、一年生がボールなどの片づけにはけた後、急に川村が座り込んだ。

「朱ちゃん⁈大丈夫⁈」

「おう……。ちょっと疲れすぎただけ」

 風通しの良い窓際に座り込んだ川村は、両膝の間に頭を置いてゆっくりと息を吸う。

「頑張ったもんネ。お疲れ様」

「サンキュ。あのさ、オレの水筒取って」

「はい」

 手渡された水筒の蓋を開け、キンキンに冷えた緑茶を喉に流し込む。人心地着いたところで急に疲労の波に襲われ、ついに床に横になった。

「おい、川村。大丈夫か?」

「ん〜……、疲れた」

 神嶋の声にそう答え、肩に触れている手を掴む。

「神嶋」

「なんだ?」

「一年が帰って来る気配したら起こして。それまでこうしてる。もう動けねえや」

 汗で濡れたユニフォームが気持ち悪い。だが、それよりも今はこの疲労から抜け出したかった。片付けや海堂の設置したスマホの回収は一年生がやっている。戻ってくるには最低でも十分はかかるはずだ。


「エース様はお疲れだな」

 神嶋がそう言ったのを聞いて野島は笑う。

「前回は神嶋と火野に良いところ持ってかれちゃったから悔しかったんだってサ」

「自分のプライドにかけ、エースの貫禄を示したわけか」

「そう。意外とそういうとこあるんだヨ」

 ねえ、朱ちゃん。と続けた野島はその隣に座る。川村は微動だにしない。

「カゼ引かないかな、この格好で」

「平気だろ」

「そう。じゃあいいか」

 窓から入ってきた風が川村の髪を揺らす。とにもかくにもエースとしての実力を見せつけた彼は、満足そうに休んでいた。

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