4章5話:誓い
県立三浦商業高校は、もう何年も強豪として神奈川県の男子バレー界に君臨していた。黄色の生地に水色の明るい鮮やかなユニフォームへの憧れを抱くバレー少年は数知れず、その分、部員に乗せられる期待は大きい。毎年大学からスポーツ推薦枠をもらって進学する部員もいれば、卒業生の中には、日本のバレーの最前線で戦う選手もいる。
水無、高階、柳原、古湊が入部した年は、特に期待が大きかった。その前年、インターハイ、春高ともに出場枠を手に入れ全国ベスト八入りを果たしたからだ。
「もう一度、同じところへ」
OBも、一つ上の代も、二つ上の代も、みんながそう意気込む中の入部であった。部の力となって役に立つことが証明されれば、全国大会の舞台で戦うことが出来る。
その夏は二年生と三年生を中心としたチームで勝ち抜いた。しかし、秋の春高予選前に正セッターが故障した。当時ベンチメンバーだった水無は正セッターに昇格。一年生唯一のスタメンだった。しかし春高予選は惨敗に終わった。
新戦力を手にした緋欧学院の圧倒的な実力の前に、黄色と水色のユニフォームに包まれた誇りは砕け散ったのである。
「悔しい……、悔しい……!まだやりたかった!全国大会、行きたかった!」
帰り道、柳原と高階と、古湊の肩にすがって泣いた。恥も外聞も投げ捨てて、子どものように駅のホームで大泣きした。周りの視線など、気にもならない。
やっと手にした、強豪校の正セッターの立場。しかし、自分ではあの天才の前に太刀打ちは出来なかった。
「アッくん、俺たちも悔しいよ」
高階の声に、水無は頷いた。
「明日から、また頑張ろうぜ。自主練付き合うよ」
古湊の言葉に、水無は喘ぐように息を吸う。
「次の大会は、絶対に勝とう。俺もスタメンになれるように頑張る」
柳原の背中を撫でる手つきに、水無はその手を掴んだ。
「将司」
「うん?」
「僕が、将司を神奈川で一番のエースにする。だから将司は、僕を神奈川で一番のセッターにしてくれ」
そう言ったときの柳原の顔は多分、一生忘れない。普段仏頂面の男は信じられないくらい良い笑顔だった。
しかし、悲劇が水無篤樹を襲う。
「アッくん!」
「水無!」
「アッくん⁈アッくん⁈しっかりして!」
ボンヤリとそんな声が聞こえる。だが、視界は赤い膜で覆われてハッキリしない。高階の顔も、古湊の顔も、先輩の顔も見えない。
「水無!水無!」
それでも、身体を揺する手の持ち主だけは分かった。
(みんな、ごめん……)
意識を手放した後、目が覚めると病院だった。頭に違和感を感じて触ってみると、髪の毛ではなく包帯の感触があった。
(そうだ、落ちたんだ)
ボンヤリと思い出す。体育館の二階から古びた柵が折れて落下した。その真下にあった得点板に直撃し、気を失ったのである。
(何日、経ったんだろう)
そうこうしている内に医者と親がやって来て、説明を受ける。
結果としては、右目を強打したことによる視力の低下。そして、下敷きになった右手首の複雑骨折。それを聞いて絶望した。
「先生、何か、後遺症とかは……?」
その言葉に、母が顔を歪めて答えた。
「右手はね、今までみたいにはね、使えないって」
息が出来なかった。
「日常生活に支障は出ない程度には回復するけど、重いものは持てないし、細かい動きも難しくなるって」
手首は、いや、手は生命線だ。今までのように上手く使えないとなると、セッターとしての復帰は絶望的。水無篤樹の夢は、ここで破れた。
それから数日が経ち、柳原と高階と古湊がやって来た。
「アッくん!良かった、起きてる」
「ああ〜!死ななくて良かった……!」
「良かった、死ななくて、本当に」
それぞれがそんな反応を示してから、辛そうに顔を歪める。
「ねえ、アッくん。おばさんから聞いたんだけど、さ」
高階の言葉に、水無は作り笑いで頷いた。
「手首のことでしょ?」
「その、さ。俺たち」
「踏ん切りは着いたよ。これからは、マネージャーやる」
「アッくん、そうじゃなくて」
今にも泣き出しそうな高階を、柳原が押し退けた。
「水無、お前、バレー出来ないんだよな」
「ヤナ!」
咎めるような声に、水無は首を振った。
「……ごめんね、将司」
作り笑いを保とうとする。
「約束、僕が破ったね」
ダメだ、ダメだ。笑え、と自分に言う。
「水無……!」
顔を上げると、柳原は泣いていた。
「泣けよ。辛くないわけないだろ!」
古湊のその言葉に、限界が来た。目の前が滲んで何も見えない。喉の奥が熱くなって、目も熱くなる。身体の内側から迫り上がってくるものに、水無は勝てなかった。
「バレー、したかった!まだしたい!」
「アッくん……!」
高階が思いっきり抱きしめてくる。冬だと言うのに、制服からは制汗剤の匂いがした。
「嫌だ!嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!終わりたくない!」
「アッくん、いいよ、いっぱい泣きなよ。俺たちは今日、そのために来たんだから」
高階が背中を撫でる。その温かい体温にさらに涙が流れた。
「正セッター、やっとなったのに!何で!どうして!今!」
「辛いよな、苦しいよな」
古湊の声だった。いつも口が悪くて厳しい古湊はその実、情に厚いことを知っていた。
「認めたくない!まだやれる!マネージャーなんて!やりたくない!」
無言で誰かの手が頭をかき回した。きっと柳原だ。人一倍大きな手が、彼の度量を表している。
大部屋の病室だと言うのに大声で泣いたせいで、看護師が呼ばれてしまった。そのときに看護師たちが見たのは、大柄な男子高校生四人が抱き合って泣いている姿だった。
「俺たち、アッくんの分までやるよ!」
看護師に病室から追い出されながら、高階は叫んだ。
「お前の分まで、俺たちが戦う!」
古湊が腹の底から声を出した。
「水無!俺が!お前を春高のオレンジコートまで連れて行く!」
柳原は必死にそう叫んだ。
「だから!バレー部絶対に辞めるな!」
自分も看護師に宥められながら、水無は叫び返す。
「絶対辞めない!四人で!オレンジコートに立とう!」
病院で誓いを立てた数ヶ月後、新入生が入った。水無はマネージャーとして、スカウティング用の動画編集や備品の管理など強豪校の裏側を支える役割を果たしていた。
そして夏のインターハイ前に、その年の一年生であった東堂がスタメンに抜擢された。もらった背番号は、かつて水無のものであった十三番。それをもらった東堂は、コートの中でひたすらチームに尽くした。
ところがその年のインターハイ予選は県予選決勝で敗退。柳原が調子を崩したことによる連続失点が、その要因だった。
次いで秋に古湊が故障。幸い重いものではなく回復も早かった。
しかし、春高予選ではスランプから抜け出せていなかった柳原、試合中の接触での高階の交代と様々な事態に見舞われ、結果として県立西箱根高校に出場枠を奪われた。
「今の二年は不作の世代」
そんな言葉がOBの間で言われてると知ったのは、その年の冬だった。
実力不足、相次ぐ主力選手のスランプと故障。
不作と言われても反論は出来ない。そう思っていた。プライドはズタズタに引き裂かれ、唇を噛み締めて屈辱に耐えた。俯くことしか出来なかった彼らは、同じ年にそれを破る声があることを知る。
「不作じゃねえ!」
四人が体育館に行こうとして一年生のフロアを通ったときに、その叫びは聞こえた。そちらを見ると、教室の中で怒りのあまり立ち上がったらしい人影が見えた。
「不作の世代なんかじゃねえ!先輩たちはみんな立派だ!そんなこと言うヤツらに!見る目が無えだけだ!」
そう叫んだのは、真田響だった。このときはスタメンの座を手にしたばかりで、当時二年生であった四人とはまだあまり馴染めていなかった。
「高階さんも柳原さんも古湊さんも、いっつも遅くまで残って、誰よりも一生懸命練習してる。あの人たちの努力を笑うヤツは、オレが許さねえ!」
それに反応する笑い声がたくさん聞こえる。だが、真田は声を上げるのを止めなかった。 四人は、歩みを止めた。後輩のその一言が、ズタボロのままだったプライドにじんわりと染み込んでいく。
「笑うならお前たちもバレーやってみろ!そんでもって、あの人たちがどんだけすごいか知ってみろ!」
心臓が痛いほど跳ねているのを感じた。
「水無さんのこともバカにすんな!あの人は二年生の中で一番すげえ人だ!」
その言葉に、水無は息をするのを忘れた。
「手首の故障でバレー出来なくなって、ホントは自分が一番悔しいはずなのに!自分は練習しないのに、朝練も自主練も来てくれる!困ったことがあったらすぐに助けてくれるし、誰よりも部のことを思ってる!」
喉の奥から、何かが迫り上げてくる。それが何かは知っていた。
「そんな先輩たちのことバカにすんな!オレはあの人たちのバレーを見て、ここに来るって決めたんだ!」
ぐ、と喉を閉める。声を上げれば、一年生に聞こえてしまうから。唇を噛み締めて、迫り上がるモノを抑えて堪える。
「あの人たち四人は、オレの知る限り最高のバレーボール選手だ!」
高階の肩が大きく揺れた。その目には、こぼれ落ちそうなくらいに涙が浮かんでいる。
(一番悔しかったのは、幸太郎だ。主将を任されて、でも影で不作の世代とか言われて、辛くなかったわけがない)
柳原の胸がゆっくりと上下していた。
(将司も辛くなかったはずが無いんだ。自分の不調で連続失点して、しかもスランプにまでなって。本当に苦しんでる)
古湊の手は、白くなるほど握り締められていた。
(アッキーも辛かったんだよね。故障もあって、何とかギリギリ復帰したけど、結局はダメだった)
後輩の言葉は、四人の全てを肯定した。これまでの努力、苦しみ、悲しさ、虚しさ。それを全て認め、肯定した一言。そのときの思いは一生忘れない。
その日に彼らは再び誓いをたてた。
必ず自分たちの代で、もう一度全国に行くと。
(だから、負けられない)
体育館の蒸し暑さのせいで、水無の白い額に汗が伝う。目の前で繰り広げられる攻防の全てを、自分も一緒に背負うくらいの気持ちでいつもベンチにいる。
試合前の水無の「大丈夫」は、せめてもの励まし。ともにコートに立てないことへの謝罪。これまでやってきたことは間違っていないという肯定。白線の内側へと向かう戦士達への、最後の激励。
(大丈夫、君たちは間違ってない。その努力は僕が見てきた)
スコアノートの端を握りしめる。
(不作でもないし、無能でもない。君たちは、最高のバレーボール選手だ……!)
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