3章5話:幼馴染み

 その日の帰り、海堂を入れた一年生五人は正門から続く坂道を歩いていた。

「あっつい……。汗気持ち悪……」

「シャワーほしい、シャワー」

「そんな設備は強豪校じゃん」

 長谷川と水沼と高尾の言葉に海堂は真顔で返す。

「春高かインターハイで日本一にでもなったら、体育館の建て替えと設備新調は余裕じゃない?」

「いやいや、さらっと言わないで?それくっそ難しいから」

「でも、テッペンは獲るんでしょ?」

「そうだけどね?」

 いつも通りごちゃごちゃと話しながら坂を下った辺りで、海堂が手に持っていたスマートフォンが震えた。ディスプレイを見ると、そこには想像もしなかった名前が表示されている。通話のアイコンをタップし、恐る恐るスマートフォンを耳にあてがう。すると、ここ数ヶ月聞かなかった声が鼓膜を撫ぜた。

『よう、聖。今どこ?』

「いや、え?何で?」

 珍しく困惑した様子の海堂に、他の五人は歩みを止めた。

『学校は終わってんだろ?』

「近くにいるの?」

 凉と長谷川は顔を見合わせ、互いに首を横に振った。

『今、北雷の最寄駅。休みになったんだよ、練習。学校が体育祭の代休で明日休みでさ、学校終わってからこっちに戻って来てるんだ。親が顔見せろってうるさかったから。だからついでにお前の顔も見に来た』

 くつくつと喉の奥で笑う音が聞こえる。以前は当たり前のように聞いていた優しい声がまた鼓膜を撫ぜた。

「わざわざここまで?」

『ランニングついでだ』

「私ここから走って帰れない」

『帰りは電車に決まってるだろ。早く来いよ。こっちからそっち見えてるけどな』

 その言葉に海堂は勢いよく顔を上げた。緩やかなカーブを描く道の遠くの方を見る。しかし相手の姿は見えない。

「こっちからは見えない」

『あれ、道間違えたかな……。あ、後ろ見て』

 そう言われて背後を見ると、腕を振る人影があった。

「見えた!」

『そこで待ってろ。すぐ行くから』

 電話が切れて、海堂はそれをリュックのサイドポケットにねじ込む。隣にいた長谷川が不思議そうに尋ねた。

「誰と喋ってたの?」

 すると、話そうとした次の瞬間に海堂は凄まじい勢いで走って来た人影の勢いに押されて、半分倒れかけていた。

「よう、聖。久しぶり。あと、ただいま」

 薄い唇の口角を僅かに上げた人影に、海堂は呆れたように返す。

「……お帰り、雅治」


「幼馴染みィ⁈」

 火野の声が夜道に響き、隣にいた水沼は静かにしなよと注意する。一行は、さらに一人を加えた七人になっていた。

「結城雅治。みんなと同い年だ。横浜ホワイトウルフってサッカーのチーム知ってる?」

 結城の言葉に全員が首を横に振る。

「え、あ〜……。ホント?」

 予想外だったらしい反応にアレ?と言いながら首を傾げた。

「オレはあんまりサッカーには興味ねえ」

「うちは俺がバレー見るくらい」

「いや、サッカーは別に……」

「あ、そう……」

 口々に告げられた言葉に、急に元気のなくなった結城の肩を海堂は軽く叩く。

「バレー部に聞いてもJリーグに詳しい人の方が少ないと思うよ」

「で、その横浜ホワイトウルフって何?」

 火野の質問に結城の顔色がパッと明るくなる。相変わらず分かりやすい幼馴染みだと海堂は小さく笑う。

「J1のチームだ。俺はそこのクラブチームのユース生。ポジションはフォワードだ。生まれも育ちも横須賀だけど、高校は横浜の高校だし、住んでるのはユースの寮。だから三月からずっと向こうだったんだ」

「そのユースって何?」

「簡単に言うと、そのクラブチームの未来の選手候補。サッカーでプロになるなら、強豪校に進学するか有力クラブチームのジュニアユースやユースに所属するのが近道なんだ」

 その言葉に、凉はふと感じた疑問を口にした。

「結城君はプロになりたいってこと?」

 凉の質問を受けて、切れ長の垂れ目がさらに柔らかくなった。

「ああ。そうなるかな。でも、一つ間違いがある」

 夏の蒸し暑い風が途端に強く吹き付ける。まるでぬるま湯のようなそれは、結城が纏った瞬間に灼熱の熱風に変わる。

「プロに"なりたい"んじゃない。——なるんだ、俺は」

 覇気すら伴うその声に、海堂は一人クスクスと笑う。

(変わらない。昔っから、そういうとこは)

 どちらかと言えば柔和な印象を他人に与えるこの幼馴染みは、その印象ゆえに舐められる。だが、ピッチに立てば誰よりも速い脚で道筋を切り拓く。そして、一度決めたことは何があっても曲げない。

 この強さが身近にあることが、鬼才を生んだ要因の一つだと言っても過言ではないだろう。ブレそうなとき、揺れそうなとき、傍にあったこの強さに何度も何度も救われた。

(いいときに帰って来てくれた)

 きっとこの一言に他の五人も何かを感じたはずだ。結城雅治とはそういう男だ。そう思った海堂は少し高い位置にある幼馴染みの肩に何かがついていることに気がついた。

「雅治、何かついてる」

「え、取って取って」

 よく見えないので顔を近づける。すると

「聖、息がくすぐったい」

 ついに堪え切れないと言わんばかりに、身体を二つに折って笑い出す。

「我慢してよ……」

「頼むよ」

 と言われ、海堂は諦めて息を止めて爪で引っ掻く。この幼馴染みにだけは甘くなってしまうと思い、自分にため息をついた。

「プロ志望ってことはやっぱサッカー超上手いんだよな……」

「当たり前だろ。何言ってんだ」

 凉に鋭く突っ込まれた長谷川はさらに言葉を繋げる。

「少女漫画に出て来ると絶対にモテまくってるポジションだ……」

「たっつー何言ってんの?」

 その会話を聞いたらしい結城は楽しそうに唇を歪めて二人に言った。

「それで言うと、俺は一途だ。だって俺、初恋の女の子忘れられてないし。俺の言うこと信じてくれないんだ」

 十年以上アタックし続けてるのに報われないよ、と言ってから結城は肩についていたものを剥がした海堂を見て笑う。

「だよな、聖」

「その子は言葉を信じてないんじゃない?」

「つれないなあ」

 流れるように交わされる二人のやりとりに、気になって仕方のない火野が恐る恐る踏み込んだ。

「あのさ、もしかしてその子って……」

「気がついた?」

 結城は晴れやかに笑って、その場に特大の爆弾発言を投下した。

「俺の初恋の子は海堂聖。隣の家の女の子」

 最早爆弾なんてレベルではない。超特大級のミサイルだ。一瞬の沈黙の後に、本日二回目の火野の大声が響き渡る。

「海堂!お前それマジ⁈」

「いつ言われたかなんてもう覚えてないよ。そのくらい前から言われてるの」

 めんどくさいと言わんばかりの声音でそう言った海堂の腰に結城は腕を回す。

「いつになったら信じてくれるんだ?俺、何年も待ってるんだけど」

「それまだ言ってんの?あと触んないで」

「またそうやって流すわけ?酷いなあ、ひーちゃんは」

 最後の単語だけわざと聞こえるように結城は言った。すると海堂は普段の様子はどこへやら、とんでもない勢いで慌て始めた。

「他に人いるときにそれで呼ばないで!」

「いいじゃん。ひーちゃんって可愛いし」

「保育園のときのあだ名でしょ⁈」

 からかわれて慌てる海堂の様子を、他の五人は呆然と見る。果たしてコイツは昼休みに食堂で暴れたのと同一人物なのだろうか。

「俺のことまーくんって呼んでたよね。ほら、まーくんて言ってみなよ」

 結城はぐっと顔を近づけてそう言い、ね?と言って笑う。

「やだ!呼ぶ理由が無い!」

 顔を赤くして慌てる海堂と、さらにからかう結城の様子を見た五人は珍しいモノ見たさに黙ってやりとりを見守る。

「じゃあ、ベッドの中なら呼んでくれる?」

 わざと遠回しない言い方をした結城を見た水沼は、凉にそっと耳打ちした。

「結城やばくね?」

「やばい……。アイツ死んだな……」

 止めるどころかやり取りの中に入ることすら出来ず、水沼は内心冷や冷やした。いくら幼馴染みでも海堂にセクハラなんぞしようものなら、間違いなく殺される。

 しかし。

「は?ベッドの中?」

 どうやら普段は恐ろしいアナリスト様は言葉の意味が分からないらしい。

「頭ぐちゃぐちゃにしたら恥ずかしさもないだろ?」

 程よく日に焼けた顔が街灯やコンビニの明かりで照らされ、くっきりとした陰影が浮かび上がる。その横顔に浮かぶ本気のオーラに高尾は思わず叫びたくなった。

「頭ぐちゃぐちゃって何……?」

「そりゃあ、指とか舌とかあとは俺の……」

 うっかりR指定のつきそうなことをサラッと言おうとする結城を、火野が腕を掴んで自分の側に近づける。

「頼む、結城。アイツの機嫌損ねると明日が怖いから止めて!」

 色々と必死な火野の言葉に結城は頷いた。

「ん、分かった」

 意外とあっさりひいた結城にホッとしつつも、さっきからのめちゃくちゃな言動に冷や汗が止まらない。

(幼馴染み、恐るべし……)


「上手くやれてるんだな」

 自宅の最寄駅で電車を降りた海堂と結城が歩いていると、結城は静かにそう言った。

「けっこう心配してたんだ。お前は人付き合いが下手だからさ」

 自分より少し高い位置にある幼馴染みの目線と自分のそれとがかち合って、海堂は小さく息を吐いた。

「毎日賑やかだよ。色々あるけどね」

「先輩とは?」

「それなりに上手くやってる。主将がすごくてさ、私のこと制御出来るんだ」

 それを聞いた結城は垂れ目を見開いて驚いたように言う。

「へえ。そんな人がお前んとこの親と吟介君と俺以外にいたんだな。驚いた」

「身体が大きいから、私が相手でも怖くないのかも」

 どこからか飛んで来た蚊を鬱陶しそうに払った海堂はそう言って軽く苦笑いした。

「お前はちゃんと良いヤツだよ。俺は知ってる。さっきのヤツら見てたら分かるさ。みんなしっかり鍛えられてる身体をしてるけど、怪我をしてる様子は無い。それだけお前がちゃんとアレコレ考えてるってことだろ」

 公園の横を通ったときに虫の声が一際高くなるが、それに押し負けない幼馴染みの声は前と変わらず優しい。

「……ありがとう」

「何で?」

「怪我した後とか、時間作って病院来てくれたりしてたじゃん。まだ、ちゃんと言えてなかったから」

「いいよ、別に。好きでやってたし」

「あと、さっきみたいに私のこと肯定してくれるの嬉しい」

「俺としては当たり前のことだ。お前はすごいヤツだよ。こんなところで終わらない。まだまだ上に行ける。日本には収まらない。そういうヤツだと俺は思ってる」

 はっきりとした声で告げられたその言葉に海堂は息を吐いた。

「それは言い過ぎ」

「信じろよ、神童・結城雅治の言葉だぜ?」

 一呼吸置いてから、結城は海堂の目を見てきっぱりと告げる。

「俺はこっちで日本一獲るから、お前もそっちで日本一獲れ」

「言われずとも」

「あ、そうだ。風呂入ったらお前ん家行く」

 また脈絡の無いことを言った結城は締まりのない顔で笑った。

「吟介君にも会いたいし、あとお前の仕事も見たい。九時半くらいに二階の窓から行くから、鍵開けといて」

「玄関から来てよ……」

 海堂の呆れたような声が夜道に落ちた。

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