2章3話:背負うべきモノ

 その日の夜、海堂は一人で机の前で眉根を寄せて唸っていた。

(……スタメン、どうしよう……)

 実は海堂は神嶋と能登とともにスタメンについて考えることになっている。テスト明けにはスタメンと一年生の背番号を決定する予定なのだが。

(二年生が主体の安定感のあるチームで行くか、それとも……)

 今候補に上がっている組み合わせは「二年生を主体とした安定感のあるチーム」と「二年生と一年生を半々で入れた不安定さは否めないが攻撃力が高いチーム」の二つだ。この二つの間で海堂は究極の選択を迫られていたのである。

(トーナメント戦は、一度負ければそこでお終い。初戦が強豪でないことが分かったから賭けに出る手もある。途中まで半々で、ヤバくなったら二年生を投入するのは……)

 そこまで考えて頭をガシガシとかいた。

(いや、対戦相手のデータが無い以上、賭けに出るのは危険か⁈もし成績を上げることを目的にして腕の良いコーチとかつけていたら大変なことになる!)

 今現在、北雷高校には試合において不利な点がいくつかある。そのうちの一つが、深刻なデータ不足だ。

 創部一年目ということもあり、直近で出場した公式戦は三月の新人戦のみ。そこではベスト八入りを果たしたようだが、今回のトーナメント戦で当たる学校とはどことも試合をしていないのである。これが、今の海堂の判断を鈍らせる最大の原因となっていた。

(しかもデータが一切無いということは、本来試合前に出来るはずの情報収集も対戦相手のフォーメーションも予測出来ない)

 まさに、一寸先は闇である。

(絶対に外せないのは、川村・野島コンビ。ここの連携は絶対に欲しいし、エースを温存出来るほどの余裕は無い。あとは神嶋さん。この人のバックアタックもサーブもブロックも、必ずいる。この時点で三人が二年生。あとをどうするか……)

 机の上に広げた資料を睨みつける。スマートフォンで作ったものをプリントしただけのものだが、そこには一人一人の細かいデータが書かれている。

 身長とポジション、得意とするプレースタイルや弱点などが全て書いてあるそれはここ一ヶ月近くで海堂がかき集めた情報だった。

(野島さんのスタミナも心配だ。他のメンバーに比べて体力が無い。ここ最近、走ってもらったりはしているけど、持久力はすぐには育たないし……。高尾との交代も視野に入れる必要がある。そうなると、二年生アタッカーとの連携も心配だな。信頼関係もすぐに育つものじゃない……)

 バレーのプレースタイルには大きく分けて二種類ある。オープンバレーとコンビバレーだ。

 オープンバレーは、簡単に言えば「絶対的エースがチームを引っ張る」スタイルだ。こちらを選択出来るチームは限られる。なぜならば、絶対的かつ圧倒的な実力を持つエースに頼るバレーだからだ。エースにそれだけの実力が無ければ選択出来ないプレースタイルである。

 そしてもう一つのコンビバレーは「速攻を中心に試合を展開する」スタイル。多くのチームがこちらを選択する。絶対的なエースがいなくとも、速攻のコンビネーションがはまれば必ず点が入る。北雷を含む多くのチームがこちらを選ぶことになる。

 そしてコンビバレーにおいて大切なのは、やはりプレーヤー同士の信頼関係だ。相手からのボールをレシーバーはきっちりとセッターに送り、そのセッターはアタッカーにトスを上げる。アタッカーはセッターのトスを信じ、セッターはアタッカーを信じる。強固な信頼関係と、練り上げられた連携を必要とする。

(いっそオープンバレーでも出来れば楽なのに……)

 そこまで考えて、海堂は机に突っ伏した。どう思ってもオープンバレーを選択することは不可能なのだ。ならば諦めて、賭けに出るか出ないのかをさっさと決めねばならない。

(難しい……。ただ試合に勝つより、こっちのほうがずっと難しい……)

 背中にズンと重いものが貼りついている気がして、身体を起こせない。初めは何なのか意識していなかったそれの正体はきっと「責任」なのだ。コートにいたときは六人で一緒に背負っていたものを、自分一人で背負わなければいけない。

 重いため息をついてから机の上の時計を見る。もう、午前〇時を回っている。

(お風呂に入って寝よう……。さすがに明日は勉強しないとまずい。土曜日を一日ムダ遣いするわけにもいかないし……)

 電気スタンドのスイッチを消して床に出しっぱなしになっているリュックや教科書を踏まないようにしながら着替えを回収して、海堂は風呂場に向かった。


 翌朝、九時を少し過ぎた頃に海堂は目を覚ました。弟たちが塾の定期テスト対策講座に行くときの騒ぎで目が覚めたのだ。眠い身体を引きずって二階のリビングに行くと、同じように起きてきたばかりと思われる兄の姿があった。

「兄さん、おはよう。珍しく遅いね」

「始発で帰って来てさっきまで寝てたんだ」

「始発?何してたの?」

「ん……、仕事で少し、な。悪いが、詳しくはちょっと言えない」

「そう。……朝ご飯まだ食べてない?」

「うん。何か作ろうとも思えなくてな」

「じゃあ適当に作るよ。トーストでいい?」

「頼む」

 兄にしては珍しいこともある、と思いながら食パンをトースターに入れてスイッチを押す。朝のワイドショーの騒がしい音が他に人のいないリビングに響く。兄はどうやら疲れているようで、椅子に座ったまま目を閉じていた。心なしかいつもより覇気が無い。

(やっぱり、警察の仕事って大変なのかな)

 綺麗なキツネ色になったトーストを皿に乗せてテーブルに置くと、小さくカタン、と音がする。それを聞いた兄がビクッとして目を開けた。

「兄さん、もしかして寝てた?」

「寝ていた。あとで寝直すか……。トーストありがとうな」

 海堂がトーストを齧りながらチャンネルを回していると、土曜の朝にやっているスポーツ番組が目に止まる。派手な赤いテロップには「インターハイ・甲子園特集!」と書いてあった。

「もうそんな時期か」

「……はあ」

 昨日の夜に蓋をしたはずの問題がその番組のせいでうっかり浮上してしまい、海堂は何度目かの重いため息をつく。

「どうした?」

「……いや、責任が重いのって嫌だなって」

 その言葉に吟介は無言で首を傾げ、目線で続きを促した。

「実は、……スタメン選考を任されてる」

 全てを洗いざらい話すと、吟介はなるほどなあと言ってから軽く笑った。

「そういう進退の責任というものは、普通は頭を張ってるヤツが背負うモンだ。お前は、一体いつ主将になったんだ?」

 同じ形の眉をいたずらっぽく歪め、ん?と海堂に問いかける。

「でも、選考を任された以上は」

「一人一人の背中の広さは違う。その大きさの分のものだけを背負えばいい。自分の背中より大きなものを背負って行けるのは、ごく僅かな特別な人間だ」

 その言葉に思わず顔を上げた。

「他に十人以上部員がいるんだろう?進退の責任なんて全員に分散されるさ。聖は聖の思ったことを提案すればいい。少なくとも、お前はそれほど主将に信用されているんだ。自分の出す案には、自信を持っていいと思う」

 あくまで俺個人の意見だけどな。と言い、吟介は皿を持って椅子から立ち上がる。

「俺は寝直す。後で洗うから皿は洗わなくていいぞ」

 そう言った兄が三階に消えて行くのを見送ってからトーストを食べ終えた海堂は、皿をシンクに入れる。それから一階の自分の部屋に戻り、ルーズリーフを一枚引き摺り出して何かを書きつけた。それを見直した海堂は、一人満足気にうなずいたのであった。

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