第一関門・インターハイ

3章1話:開幕!インターハイ予選

 六月第一週の土曜日、三浦の平山学園の体育館に、北雷高校男子バレー部の面々はやって来ていた。

「着替え終わったらその場で待機。荷物は他校の邪魔にならないようにまとめて置いておくこと。それから、体調不良かと思ったら早めに申し出ること。水分補給も忘れるなよ。俺からはこれだけだ!」

 公式戦の会場である平山学園の体育館の側の広いスペースに神嶋の声が響く。それに対する返事もあってさらに騒がしさが増した。

 そう、ついに、ようやく、待ちに待ったインターハイ予選の開幕である。

「気合入れてくぞ!」

「今から?早くない?」

「元気なのはいいけどエネルギー使うなよ」

 ユニフォームに着替え終わった部員たちがゾロゾロと待機場所に集合する。

「しかしこのユニフォーム、何ていうか蜂みたいだな……」

 北雷高校のユニフォームは、黒地に白で背番号がプリントされ、上着とズボンの袖口、上着とズボンの両脇には黄色いラインがプリントされているシンプルなデザインだ。

「でも久我山さんだけ色違いだ」

「リベロだからな」

 各チームにはユニフォームが二種類ある。久我山が着ているのは、北雷高校のセカンドユニフォームだ。白地に黒で背番号がプリントされている以外はファーストユニフォームと同じである。

「アップ開始!」

 北雷高校は、平山学園を会場とする試合の中では一番初めの第一試合。午前九時半が試合開始時刻となる。それに合わせてアップが始まるのだ。

「軽く動かしたらスパイク練入るぞ!」

「程々にな!エネルギー使い果たすなよ!」

「声出し、しっかり!」

 北雷高校と会場提供校の平山学園が体育館のコートに足を踏み入れる。北雷高校側は気合バッチリと言った様子でいつも以上に活気に溢れていた。そしてそれを見た海堂は、内心とても安心していた。

(一番怖かったのは、公式戦の空気感に圧倒されて普段通りの実力が出せないこと。硬くなってしまうこと。特に、まだ未完成で未熟なチームほど、それが怖い)

 このチームに安心感を与えているのは何を隠そう、二年生の落ち着き具合だった。

 個性的で癖のあるメンバーを生来のキャプテンシーでまとめる神嶋と、その下で彼と部員との間で潤滑剤となる能登。二人は今この瞬間、誰よりも落ち着いて構えている。

 リーダーの動揺は、それ以上に他のメンバーに伝わる。チーム内の実力者が焦れば焦るほど、他も焦る。そのことを神嶋を初めとした二年生の大半が理解しているようだ。


 試合開始数分前になり、使わないボールを片付けてからベンチ周りに全員が集まった。

「海堂、何かあるか?」

 神嶋にそう振られ、海堂は小さく頷いてから話し出した。

「野島さんはなるべくツーアタックは使わないでください。こちらのセッターが両利きだという手札は、ギリギリまで隠したいと思っています」

「OK。善処するネ」

 その言葉に野島は軽く笑って返す。

「サーブはこちらからなので、神嶋さんは一発目の相手のスパイクを、なるべくキルブロックで落としてスパイカーの心を折ってください」

「任せろ。それが俺の仕事だ」

 一番という背番号の下に一本線の入っている主将のユニフォームの胸元を軽く叩く。

「川村さんはいつも通り、エースの仕事を果たしてください」

「任せとけ!キッチリやるぜ!」

 自信満々と言った表情での返事に海堂は短く頷く。

「久我山さんはスパイカーの助走を妨げない配慮を忘れずに」

「分かってる。俺の本分だ」

「能登さんは後衛にいる間は守備寄りでお願いします」

「ウチは守備が薄いから、だろ?久我山と二人で守ってやるさ」

 そして最後に海堂が目線を向けたのは。

「凉、無理そうだったら火野との交代も出来ることを忘れないで。まだ身体が出来上がってない以上、無理は避けるように」

 その言葉に、凉は静かに頷いた。

 北雷高校のスターティングメンバーは

 一番 神嶋直志 ポジションMB

 二番 能登朝陽 ポジションMB

 三番 川村朱臣 ポジションWS

 四番 野島尊  ポジションS

 五番 久我山則人 ポジションLi

 九番 鈴懸凉  ポジションWS

 の六名である。

 海堂が選択したのは、安定感のある二年生主体のチームに未知数の一年生を入れるという折衷案だった。

 これならば一年生の試合での実力も見ることが出来る。加えて二年生が主体なので、彼らがこれまで鍛えたコンビネーションも完璧に生きる。さらには一年生のカバーも可能という優れ物の布陣だ。

「円陣組むか?」

「あ、やっとく?一発気合入れとく?」

 能登と神嶋がそんな相談を始め、あっという間に話がつく。

「そんじゃ、北雷勝つぞ!って神嶋が言うから、お〜!でよろしく。はい、全員集合〜。海堂もな」

「え」

 半ば強引に円陣に組み込まれた海堂は困惑したが、試合前の僅かな時間をかき乱すわけにもいかないので大人しく諦める。

「大事な初戦だ。ここを踏み台にして勢いつける。やることはやってきた。あとは、コートの中で積んで来たモノを信じて出し切るだけだ」

 神嶋は言葉を繋ぐ。その芯には、穏やかだがうっかり触れば火傷をしそうなほどの熱さがあった。

「北雷!勝つぞ!」

「おっしゃ〜!」

「やったらァ!」

「首洗って待っとけやゴルァ!」

「だらっしゃぁぁあ!」

 当初の予定通りの掛け声は上がらない。体育館に響いた(主に二年生の)ドスの効いた声に、平山学園の選手たちがビクッとして振り返った。

「ガラ悪い……」

 海堂がそう呟いたのを聞いた高尾は苦笑いした。

 試合開始時刻になり、エンドラインに沿って整列した選手たちが主審の合図に従い互いに一礼する。

「よろしくお願いします!」

 その後、事前に決めた場所にそれぞれが待機する。この試合のサーバーは北雷高校。よって、コートの一番右隅にいる凉がサーブを打つことになる。

 主審の鋭い笛の音が体育館に響く。

「凉!ナイッサー!」

「落ち着いてけ!」

 空中に放り上げたボールが綺麗な弧を描いて相手コートに打ち込まれた。

「レシーブ乱した!」

 ベンチにいる瑞貴が右手をぐっと握りしめていいぞ!と小さく言う。

 打ち込まれたボールは平山学園のセッターと思しき八番の選手に返され、彼から見て左側の選手にボールが飛ぶ。

 それを確認した神嶋が相手スパイカーの真正面を塞ぐように動く。

「ブロック一枚!」

「行けるぞ!」

 平谷学園の選手たちが明るい声でそう言った次の瞬間、そのスパイクは神嶋の掌に弾かれた。

 笛の音とともに主審が北雷高校側に旗を上げ、得点板が一枚めくられた。これで一点先取となる。次も北雷側のサーブだ。

(相手のセッターが誰か分かった。次からはそこをサーブで狙える)

 セッターは全ての攻撃の要となるコートの中の司令塔。サーブでセッターを狙えば、ルール上の問題で二回めにボールを触るのは必然的にセッター以外。最大で三回しかボールに触れないというルールが、次の選択肢を厳しくする。

 実はこの試合、というよりもこれからの試合ほとんど全てにおいて、北雷高校は賭けに出ることを求められている。創部一年という短さによる圧倒的なデータ不足が、その状況を作っていた。


 数日前、北雷高校旧体育館にて。

『皆さんに、一つお伝えしたいことがあります』

 スターティングメンバーを発表した後の体育館に、海堂の淡々とした声が響いた。

『皆さんも薄々分かっていると思いますが、私たち北雷高校には、過去の試合データがほとんどありません。なのでその場その場で何とか凌いでいくしか無いわけですが……。コートの中で対応しきれないと私が判断した場合、タイムアウトを取ります。そして、そこで私から指示を出すと思います』

 その話をしている間、自分の顔が強張っていることを海堂は自覚していた。そこまで話したはいいものの、次の一言を言うのにとてつもない勇気が必要だった。

『……試合中、一番余裕が無くなるのはコートの中の皆さんですが、私も同じように余裕が無くなると思います。余裕が無くなって、言葉がキツくなることもあると思います。……そうなったらすいません。勝つためだと思って、許してください』

 口の中がカラカラに乾いていた。この言葉を許してもらえる保証はない。一年が何を、と言われるかもしれない。出る杭は打たれ、生意気な後輩は嫌われる。それが上下関係の世界だ。

 体育館の沈黙が怖くなったとき、神嶋の声がそれを粉々に砕いた。

『それはみんな同じだ。俺もそうだ。だから安心してくれ』

 たったそれだけの言葉に、思わず泣きそうなくらい安心した。

『勝たせてほしいと言ったのは俺たちだ。そのために力を貸してくれと言った。だから俺はお前に何を言われても文句は言わない。怒りもしない。少なくとも、俺の知る限りウチの二年の器はそんなに小さくない。——だから安心して、思う存分やってくれ』

 危うくその場に膝から崩れ落ちてため息をつくところだった。プライドにかけてそんなことは出来ないが、心持ちとしてはそれほどだったのだ。

『頼むぞ、海堂』

 ただその一言が、嬉しい重さを持って背中に乗った気がした。

『コートの中で対応出来そうな間は、おれに一任って形だよネ?』

 野島の言葉に頷く。

『もちろん。野島さんはセッターですから』

 セッターは様々なスキルを要求される。高いゲームメイク能力に加え、いくつもの要素を同時に処理する力も必要だ。最も重要であり、最も難しいと言っても過言ではない。

 それを数年間務め上げてきた野島は、十分信用に値する。海堂はそう踏んでいた。


 再び凉のサーブで試合が再開する。青と黄色のボールは確実に相手セッターを狙った。上がったボールは、今度は後衛の相手スパイカーに。北雷側は、後衛の能登と久我山がレシーブに備えスパイクの落下点を見極める。

「野島ッ」

 短く名前を呼びながら久我山がボールを上げた。それを受け取った野島は——。

「朱ちゃん!」

「おう!」

 次の瞬間、北雷エースコンビの必殺速攻が一閃。ボールは目にも止まらぬ速さで床に叩きつけられる。あまりの速さに、審判、平山学園側の選手はともに唖然とするばかり。

(二点先取。良い流れだ。断ち切らずに行きたい)

 それから三点——合計で五点——を先取したところで、平山学園がタイムアウトを取った。北雷の選手たちもゾロゾロとベンチに戻って来る。

「良い流れです。このままこの勢いで第一セットを取りましょう。二セット先取で終わらせたいです」

 その言葉にコート内から戻って来た選手たちは頷いた。

「そうだな。野島と凉はスタミナが心配だ」

 神嶋の発言に二年生は一様に頷く。

「ちょっと前まで中学生だったからな。まだ身体も完璧には追いついちゃいねえし、ミコトに倒れられたら死活問題だ」

 川村がそう言った後に、海堂はニヤリと凶悪な顔で笑った。

「……でも、可哀想ですね。平山学園の人たち相当ビビってるのに、この後の北雷のサーブは神嶋さんなんて」

 それに釣られて何人かが笑う。

「まあ、勝負だからネ。致し方なしってやつデショ」

 野島がそう言うと、次のサーバーである神嶋は不敵に笑う。

「俺のサーブで切り開いてやる……!」

「さっすが主将。その調子で頼むヨ〜?」

 その言葉に、全員がニヤリと笑った。

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