3章1話:ナメんなよ

 タイムアウト前の位置に付いた久我山の前に来た平山学園の選手が、ニヤニヤと感じの悪い笑い方をしながら言った。

「おいおい、女子マネが指揮してなかった?ヤバくね?それで勝てると思ってるとかマジで舐めすぎっしょ!悪いけど、ウチ、そんなに甘くないから⁈」

 明らかに聞こえるような大声。しかも目線は海堂のほうを見ている。露骨な安い挑発に久我山は乗らない。黙ってそれを受け流す。しかし次の瞬間。

「んっだテメエコラァ!」

 凄まじい怒号が響く。その場の全員がギョッとして怒号が聞こえたほうを見ると、そこには額に青筋を立てた川村がいた。

「ウチの後輩バカにしてんじゃねえぞ!この野郎!アイツバカにするたァ、良〜い度胸だなァ?あ?オレのスパイク止められなかったくせによォ⁈テメエなんかぶっ潰して!さっさと上に行ってやんよ!」

 その場が一気に静まり返ってようやく川村はしまったという顔になる。

「そうだそうだ!ウチの一年バカにすんな!俺たちもお前たちも誰もアイツのことバカに出来ねえんだよ!ど〜せ女子マネがいないひがみだろ⁈男の嫉妬は醜いなァ⁈平山学園さんよォ⁈」

 能登の言葉に海堂は呆れた顔をした。

(審判のこっちの印象最悪だ……)

 困ったと言わんばかりの渋い表情である。しかし審判がサーブの合図を出したので試合は中断されなかった。

 神嶋は手に持ったボールを空中に放り上げる。それを追うように走り、三歩助走。バックスイング。

「ジャンプサーブだ!」

「レシーブしっかり!」

 そんな言葉が聞こえ、北雷側の選手たちは皆揃ってニンマリと笑う。

 ——甘いぜ。コイツのジャンプサーブは、そう簡単には取れねえぞ。

 綺麗なスパイクの姿勢から振り下ろされた右腕から放たれたボールは平山学園側のコートに飛んでいく。

「アウトアウト!触るな!」

 そしてその言葉にも北雷側の選手たちは笑う。かかったな、と。

 ダン!と床に叩きつけられたボールはコートのラインぎりぎりに落ちる。そして主審の旗は北雷側に上がった。

「ええ⁈今の入ってたの⁈」

「絶対出てただろ!」

 平山学園側の主将はラインズマンに訴えるが、それは受け付けられない。

(神嶋さんの主な仕事はブロック。だが、それに劣らないサーブの技術が彼にはある)

 海堂もまた、ニヤリと笑う。

 一九六センチというチーム内でも群を抜く身長を持つ彼は、打点の高さを生かした強烈なジャンプサーブと経験に裏打ちされた確かなブロックを武器とする。しかし威力だけではない。

(ラインぎりぎりを狙う、恐るべきコントロール……!彼のサーブの真骨頂だ!)

 ラインズマンと呼ばれるコートのラインを見る役割の審判たちも判断に迷うほどの恐るべき精度を誇るサーブは、彼が中学生の頃から磨き続けて来たものだ。

 例えレシーブされたとしても、その回転とスピードを殺すのは至難の技。調子が良ければ、相手を弾いてしまうほどの威力を誇る。 

 正しく鍛えられた身体と泥臭いほどの努力で磨かれた技術、持って生まれた身長。この三つが噛み合い生まれたそのサーブは、間違いなく北雷高校の武器の一つである。

「いいぞ、神嶋〜!」

「神嶋さん、もう一本ナイッサー!」

 再び神嶋にボールが回ってくる。

「下がれ、下がれ!」

「ライン狙って来んぞ!」

 その言葉に神嶋は内心ニヤリと笑う。

(バカだな。同じことをするわけないだろうが。次は、パワー全開だ)

 ボールを空中に上げてそれを追って走る。教科書通りのステップ。完璧なバックスイング。脚の筋肉が軋み、力強く床を蹴って跳ぶ。

 矢のように空を切ったボールを、相手レシーバーがレシーブしようとする。しかし、そのボールをレシーブすることは出来ず、バチン!という痛々しい音ともにレシーバーはよろめき、ボールは誰も拾えずコート内に落ちる。

「二点連続サービスエース!」

「さすが神嶋!」

「うおおお!すげえ!」

(七点先取。点差は五点。順調だ。怖いくらいに順調だ)

 海堂は例の凶悪な笑みを浮かべ、ベンチで脚を組む。その膝に残った引きつったような傷痕を、今は隠すことなく晒していた。

 そのまま順調に第一セットは

 北雷高校二十五点ー平山学園二十点

 で北雷高校が取った。

「勝負の第二セットです。ここを取って試合を終わらせましょう。速攻とサーブで畳みかけて下さい。全体的にブロックが雑になりがちな印象を受けます。もっと丁寧に。スパイクのときはもっとフロア全体を見て、レシーブの穴を見つけそこに突き刺すイメージ。無理そうならブロックに当てて跳ね返すなど、臨機応変に対応して下さい」

 二年生は海堂の指示に水分補給をしながら頷く。そのとき、凉が遠慮がちに手を上げた。

「海堂、ボク、ちょっと限界かも。意外と消耗してる。集中力が続かない。みんなに迷惑をかける前に、火野と交代したほうがいいと思う」

 その言葉に海堂は黙って考えこむ。

「……分かった。第二セットからは火野を使う。火野、アップは?」

「完璧!いつでもいけるぜ!」

「よし。じゃあ交代だ。早めの自己申告、ありがとう」

 それから周りが何か話しているのを聞きながら海堂は頭を回す。

(予想が当たった。凉はテクニックで言えば一年生の中で群を抜くけど、スタミナの心配がある。限界が来るのは見えていた。精密なプレーをする分、消耗は大きい。不確実な要素の一つだった)

 凉のテクニックは一年生の中では一番だ。丁寧でテクニックをフル活用するプレースタイルを持つ。しかしその分、集中力に体力を使われるという欠点もあるのだ。海堂は、それを事前に見越していた。

(二年生を使うのもアリだけど、ここで消耗させたくない。最後の手段は二年生のみのチームに組み替えること。一年生の実戦での度合いが分からないのは、これから先を勝ち抜くために一番避けたい状況だ)

 そして、一番使える度合いが気になっていたのが火野だった。目覚しい進歩を遂げた火野は、果たしてどこまで通用するのか。それだけで言えば初めから火野を使うということも考えられたが、凉以上に不確実な要素である火野を初めから使うのは避けたかった。

「しかしアレだな、暑くなってきた」

 そう言った能登はユニフォームの襟元をパタパタと動かして小さく風を起こした。六月上旬とは言え、今日は雨が降っていて蒸し暑い。日本の夏特有の篭るような暑さが体育館にも充満していた。

「暑くなると、その分体力も持ってかれる」

「塩分チャージのとか持ってますけどいります?」

「お、サンキュー」

 バリボリと塩分チャージのラムネを噛み砕く音が北雷側のベンチに満ちる。食べていた能登がモグモグしながら話し出した。

「これさあ、意外と美味いけど食べすぎると気持ち悪くなるんだよな」

「分かる。俺一回中学のとき食べ過ぎて試合中に吐いたもん」

「何個食べたんですか……」

 下らない話をしている間に、試合が再開となる。

「よっしゃ!最後もサクッと取るぞ!」

「気合入れてけ〜!」

 そう言いながらコートに戻る姿を見送った海堂の耳に、体育館の中にいる他のチームの選手たちの声が聞こえた。

「北雷ヤバくね?」

「それな。あの一番神嶋のサーブヤベエぞ……」

「さっき腕弾かれてなかった?」

「あと下がっちゃったけど九番。アイツも上手い」

「初出場なのにちゃんと強い……」

「怖いな、北雷」

 それを聞いた海堂は内心高笑いした。

(当たり前だ。誰が指揮してると思ってる。いいぞ、ビビって萎縮しろ)

 歴戦の勘が告げる。この試合は恐らく勝てると。そして周りが慄いていることは肌で分かる。前はコートの中で何度も味わったあの感覚が蘇り、その快感に海堂は一人身震いする。

 今度のサーブは平山学園である。綺麗な弧を描いたそれを能登がレシーブした。

「ごめん、短い!」

「大丈夫!」

 野島は自分の立ち位置から少し後ろに動いてボールを手に一瞬収める。助走に入っていたスパイカー陣に向けて、野島は大きく背中を反らせてトスを放った。

「ッらァ!」

 火野は自分の右手に吸い付くようにやってきたボールを、弓のようにしならせた身体から放ち相手コートに叩きつける。

 主審の旗が上がり、北雷側の得点。第二セットの滑り出しも好調だ。

「いいぞ!火野!」

「あざっす!」

 川村にバシバシと背中を叩かれた火野は、そう言ってニッと笑う。

(文句なしに百点のスパイクだ。ま、調子に乗るから言わないけど)

 サーブ権が北雷側に移り、今度は川村のサーブとなる。鍛え上げた全身の筋肉をフル稼働させた川村のジャンプサーブは相手にレシーブされた。しかしそのあとの動きが乱れ、セッターのツーアタック。神嶋がドシャットをかまし北雷側の得点となる。

「ナイスブロック、神嶋!」

「川村、もう一本ナイッサー!」

「川村さん、ナイッサー!」

 川村は腕を振ってベンチに向かって笑って見せ、再び戻って来たボールを放り投げる。今度も強烈なサーブを決めるがまた拾われた。軽く舌打ちをしつつ、返球を待つ。平山学園のスパイクを能登が腕で弾き返し、野島に送る。

「火野!」

 今までの何倍も丁寧な助走に、腕を全力で振り切った見事なバックスイング。美しいフォームを支えるために、火野の全身の筋肉が唸る。

 ズダン!という重い音ともにスパイクは体育館の床に刺さった。

「おおお!いいぞ!火野〜!」

「調子良いじゃん!」

 ベンチの声援に満面の笑みを見せた火野は、それでもどこか落ち着いている。競技は違うが、それでも長くスポーツを続けてきた火野にはいくつか身についているものがあった。その一つが「試合中に一喜一憂しない」。一つ一つの状況に振り回されることなく集中出来る。凉や他の一年生に比べてメンタルがしっかりしているのが火野の強みの一つだ。

 この後も北雷側は順調に流れに乗り、川村と火野、能登と神嶋が中心となり二十点を取った。対する平山学園は十五点。あと五点を取れば、二セット先取で北雷高校の勝利である。

「こっからが正念場だ!気抜くなよ!」

 久我山の一言にコート内のメンバーは「おう!」と返す。今のサーブ権は平山学園にある。

(そう……。ここが正念場。相手が焦って、何か手を打ってくるかもしれない)

 窮鼠帰って猫を噛む。その言葉を、海堂はかつて何度も味わった。追い詰められたときの人間というのは、恐ろしいほどの力を出す。デュースに持ち込み、三十点台に乗り上げたこともあった。

 そう考えたときに、平山学園が選手交代を申請した。

「選手交代……?」

「どこと入れ替えるんだ?」

「もしかしてピンサー?」

 高尾の言葉に、海堂の背が冷えた。

 ピンサーというのはピンチサーバーの略語である。試合の流れを変えたいとき、リードしたいとき、サーブ権を持っている場合に新たに選手を投入する場合がある。その投入される選手のことをピンチサーバー、またはピンサーと呼ぶ。

「このタイミングでピンサーか。嫌だな」

「何が出て来るか、分かりませんもんね」

 長谷川と瑞貴の会話に内心で頷いた。

「でも、分かりませんよ。ただ試合慣れしていない人を慣れさせようとしているだけかもしれない」

 海堂の言葉に二人ともそれもあるかもしれないと同意を示す。

「まあでも、ぶっちゃけそれしか考えられないよな」

 一見してそれが分かるほど、平山学園の選手たちは明らかに戦意を喪失していた。サーブもスパイクも威力が落ちている。恐らく、彼らにはもうほとんど戦意が無い。加えて彼らは北雷側の攻撃にすっかり翻弄されている。ここ何点か連続で、北雷側の攻撃を防ぐことが全く出来ていない。

 とは言え油断は禁物。コートの中の空気が一気に冷え固まったのがベンチにいても分かった。

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