3章1話:主将の役目

 交代して入った選手のボールがコートに向かって飛んでくる。後衛の川村と久我山がレシーブの体勢で待ち構えている。コートの真ん中辺りに落ちると思われたボールは、そこで急激に軌道を変えた。

「フローターサーブだ!」

 長谷川はそう言って軽く腰を浮かせる。

 フローターサーブとは、ボールに回転をかけないことで軌道が不規則に変化しそれによって相手にボールを取らせないサーブだ。

 拾えないかと思ったボールを、何とかギリギリで追いついた北雷の守護神、久我山が跳ね上げる。

「ごめん!短い!」

「大丈夫!神嶋!」

 野島がその落下地点に入り、ボールをライトにいた神嶋に向かって上げた。ジャンプサーブ同様、神嶋は打点の高さと回転にモノを言わせたスパイクを打ち込む。

 ピピ!とホイッスルが鳴り、北雷側に一点が入った。

「ナイスキー、神嶋!」

「ナイスキー!」

 コートの内外からの声に神嶋は身振りで答えてみせる。

「あと四点!」

「いけ〜!」

「いいぞ!ぶちかましたれぁ!」

 北雷側のベンチだけが異様に騒がしい。どうしてこうガラが悪くなるのだろうと海堂はため息をついた。

 次のサーブはローテーションをした北雷側である。

「やばい!一番神嶋だ!」

「うわ……。平山かわいそう……」

「ここで一番とかマジきっついわ……」

 ボールを持った神嶋は、海堂に負けない凶悪な笑みを浮かべた。

(ああやって言われるのは、悪い気はしないな)

 荒れた薄い唇を歪め、青と黄色のボールを放り投げる。完璧なステップの助走と、翼のようなバックスイング。跳んだ直後、蒸し暑い体育館に雷鳴のような音が響く。

 それから少し遅れて鳴るピピっ!というホイッスルの鋭い音。

「神嶋ナイッサー!」

「あと三点!」

「いいぞ〜ッ!」

 北雷側の歓声に混ざって、悲鳴にも近い声がいくつも聞こえた。

「またサービスエース!」

「どうなってんだよ、あの一番!サーブもブロックもえげつねえよ……!」

「交代した十二番火野も相当だったし、三番川村も半端ねえ……。特に四番野島との連携が凄すぎるって!何なんだよ、あの速攻!止められないって!」

 聞こえてくるその声に北雷側のベンチメンバーはニヤニヤと笑う。これだけ言われるともう悪い気はしない。むしろ、もっと言ってくれとすら思う。

 三回目のサーブも北雷側である。神嶋は今度もジャンプサーブと見せかけてジャンプフローターサーブをお見舞いする。威力と不規則な軌道に平山学園は翻弄される。

「おおお!神嶋さんすげえ!」

「いけいけ〜!」

「あと二点!ぶちかませェェ!」

 ベンチメンバーも腕を振り回し声を張り上げる。試合会場全体の視線がそのコートに集まっている。

 だが、熱狂するコート外とは対照的に、神嶋の頭は恐ろしいほど冷え切っていた。目はコートに釘付け。どんな隙間も見逃さず、丁寧なボールコントロールで得点に繋げるためだ。

(多分、これでフローターのほうは完全に警戒されたはず。また普通のジャンプサーブでいくか?……どうするかな)

 声援が聞こえるが、はっきりとした日本語としては捉えられない。

(ここで落とせない。相手を勢いづかせたらここまでの全部がムダになる。主将のプライドにかけて、そんなことは死んでもさせない)

 回って来たボールを手の中で回転させる。青と黄色のボールが手に馴染むように錯覚した。

 主審のホイッスルが鳴る。これが鳴ってから八秒以内に試合を再開させないと反則になってしまう。

 自分の少し前に向かってボールを上げる。落ちて行くのを見ながら走り、腕を振る。両脚で強く地面を蹴って跳ぶと、相手コートの中にぽっかりと空いているスペースが見えた。そこめがけて右腕を振り下ろす。

 落ちていきながらサーブが上手く行ったことを確信し、相手コートを凝視する。

 ピピっ!と鋭いホイッスルの音が冷たい思考の皮を破った。

「うおおおお!サービスエース!」

「北雷の一番止まんねえぞ!」

「あと一点!あと一点!」

 ベンチからの声はまだ遠い。集中の糸はまだほぐれない。

(あと一点。しっかり決めて、ここで確実に終わらせる)

 短く息を吐き、もう一度同じ動作を繰り返す。冷たい思考の皮に包まれ、頭はこれ以上にないくらい冷え切っていた。

 再び繰り返す同じ動作。自分のシューズが擦れるキュキュっという音がやけき大きく聞こえた。それ以外は何も聞こえない。何年も研ぎ続けたこれは自分の持つ武器。それを疑う必要は無い。

(悪いな!ここは俺たちがもらっていくぞ……!)

 跳び上がると、打つべきコースだけが浮き上がって見えた。ただそれに合わせて神嶋は腕を振り下ろす。

 ホイッスルの音は、今度こそ神嶋の集中の糸を断ち切った。

 得点板を見ると、北雷側には「二十五」という数字が見える。神嶋は、一人静かに胸を撫で下ろした。前を見ると平山学園のプレーヤーたちが呆然としている。

「勝った!」

 火野の声がコートに響き、川村に背中をバシバシ叩かれる。

「何だよ、神嶋〜〜!最後の良いとこ全部一人で持ってきやがって〜〜!」

「神嶋さん、めっちゃくちゃカッコ良かったっす!」

「さすがおれたちの主将だネ〜。お疲れ様」

「四点連続サービスエース!やるな〜!」

「調子良いじゃん!」

 口々にそう言われ、神嶋はニッと笑って見せた。

「まあ、俺は北雷の主将だからな。良いところくらい、丸ごともらってくさ」

 

「ありがとうございました!」

 両校の選手がエンドラインに整列し、そう言ってから一礼する。

 北雷高校二十五点ー平山学園十五点

 よって、二セット先取の北雷高校の勝利である。

「まずは初試合、乗り切ったな!」

 ベンチで待っていた瑞貴の言葉に能登は頷く。

「やっぱ試合、超楽しいわ!」

「お疲れ様」

 その横で一年生が火野の肩を叩く。

「一点目のスパイク良かった!」

「マジで⁈」

「マジ」

「やった〜!ヌマヌマに褒められた〜!」

「うるせえ、脳筋」

「あ?何だよ、凉〜!スタミナ不足でダウンしたくせに〜」

 おちょくったような火野の言葉に凉はイラッとしたものの、何も言わずに黙り込む。

「よし、次の試合があるからコートから撤収するぞ。そしたらクールダウンの後に着替えるからな」

 神嶋の言葉に全員が返事をして、ボトルとタオルを持って体育館から出て行く。空きスペースを見つけ、各々クールダウンのストレッチに入った。

 二階にあった体育館の下にある更衣スペースでジャージに着替えた面々が集まり、ミーティングを始める。

「今日はこのまま帰る。学校には寄らないから、明後日の練習でシューズとか普段は学校に置いているものを忘れないように。あと水分補給と塩分補給もしておくこと。家に帰ったら身体を休めること。この三つはしっかりしておいてくれ。俺からはこれだけだ。間宮先生、よろしくお願いします」

 連絡事項の伝達を終えた神嶋は、近くにいた間宮に話を振った。

「皆さん、初試合お疲れ様でした。無事に勝てましたね。おめでとう。明後日からもまた練習がありますから、怪我のないようにしっかり身体を休めてください。僕からはこのくらいですね。解散は横須賀中央駅ということになっていますので、この後荷物を持ったら正門前に集合して下さい。他校の生徒さんの邪魔にならないようにね」

 間宮の言葉に返事をしてから、揃いのスポーツバッグを肩にかけてゾロゾロと移動し始める。

「しかし神嶋、お前これで他の学校にめちゃくちゃ警戒されたぞ〜?」

「次からはやりにくいかもな」

 神嶋と久我山がそんな話をしていると、隣にいた海堂が口を開いた。

「いいじゃないですか。相手にガッチリ警戒されてるくらいのほうが、勝ったときに気持ち良いですよ」

 その一言に神嶋はニヤッと笑う。

「それもそうだな」

「はい。あと、次の対戦校になるかもしれないここの会場でやってる他の学校の試合映像もある程度入手出来ました。次からは、もう少しデータがあるのでフォーメーション決めは楽になるかもしれません」

 海堂の報告に久我山は首を傾げた。

「いつ撮ったんだ?」

「試合前に皆さんが着替えている間に、体育館のあちこちに仕掛けて回りました」

「そうなの⁈」

 意外な事実に久我山の声が裏返る。

「クールダウンのストレッチの間に全部回収しました」

「よくやるなぁ〜……。てか何で撮ったの?スマホ?」

「自分の一個前のスマホと兄の一個前のと弟二人の一個前のやつを使いました。Wi-Fiが無いとネットは使えないんですが、家に帰れば繋げるのでデータ送信には問題ありません。数に物を言わせました」

 ある種の人海戦術です、という一言に神嶋はその日本語の使い方は正解なのかと考えるが、一瞬でそれを止めた。何せこの後輩は、いつも人の考えないことをやるのだ。自分の物差しで測れるわけがない。

「何はともあれ、一歩全国制覇には近づきましたね」

 海堂の唇が緩む。

「……そうだな」

 曇り空の下、神嶋も唇を緩める。雨は、止んでいた。

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