4章2話:勝利の方程式

「対パターンCのフォーメーション練習入るぞ!」

「おえ〜い!」」

 体育館に神嶋の鋭い指示が飛び、散らばっていた部員が掛け声とともにコート周りに集まる。

「まずサンショー役は、能登、高尾、火野、箸山、瑞貴、俺。北雷役は残りのメンバーだ。サーバーは北雷役。適当に決めてくれ」

 指示を飛ばす神嶋の横で海堂はビブスを回す。サンショー役が水色、北雷役は黒のビブスだ。

「しっかしお前ホントにすごいよな」

「何が?」

「だって相手のフォーメーション全部パターン化して対処法考えたんだろ?普通のヤツには絶対出来ないから。こんなの」

 ホワイトボードに貼ったプリントを見た火野にそう言われた海堂は、何でもなさげに肩をすくめる。

「これが私の仕事でしょ」

「いや、そうじゃなくて。お前はすごいよねってオレは褒めてんの。素直に褒められろよ」

「……どうも」

 回って来たビブスを来た火野はコートに入る。対三浦商業高校の練習は、主にフォーメーションを工夫することだった。


「正直なことを言うと、サンショーとの実力差はとても大きい。今までみたいにガンガン打つだけじゃ、負けます。確実に」

 ホワイトボードの前に立った海堂は、いつもの顔でそう言った。

「さらに言えば、個人技で勝つのはもっと無理です。向こうにちゃんとしたコーチや監督がついているのもありますが、何よりノウハウが違う。強豪としてのノウハウのあるサンショーに、ウチは真っ正面からぶつかれない」

 だから……、と言いながらホワイトボードに貼り付けた紙を海堂はバンバンと叩く。

「相手の行動に合わせてこちらも形を変える。私たちのような新チームの強みは、チームの持つ『勝利の方程式』が無いこと。サンショーは、圧倒的な攻撃力で相手の守備を崩すことが『勝利の方程式』。というわけで、真っ向勝負を仕掛けるならば、守備の練度が鍵になる」

 青いペンで「守備」と書き付けた後、海堂はそれに取り消し線を入れた。

「しかし、北雷の守備の練度は最悪。標準レベルではありますが、県四天王にとっては濡れた紙を破るくらいの容易さのはずです。さあ、まずいですね」

 それからその横に赤いペンでさらに何か書き足す。

「だから、対サンショーのフォーメーション練習をするんです。最低限の自衛として、フォーメーションを工夫する。そして皆さんには、ブロック決勝までにこのフォーメーションパターン全てを身体に染み込ませてもらいます」

 ホワイトボードに貼られたプリントの数はおよそ十五枚。恐ろしいことにこれを全て覚えろと言う。それを見た一年生は首をフルフルと横に振った。しかし海堂の目はそれを見逃さない。

「……勝ちたいなら努力しろって、かなり前に言ったよね。私の協力はそっちの血を吐くような努力があることが前提だって」

 凍てつかせるような目つきと声音で紡がれた言葉に凉は必死で首を縦に振る。

「いや、うん、分かってます」

「本当に?」

「とてもよく理解しております」

 火野がそう続ける。

「……ま、いいや。真面目にやらなかったらその場で叩き出すから」

 あっさりとそう言ってから海堂は二年生に目線を投げた。

「先輩方でも容赦しませんよ。本気で体育館から叩き出します」

 私のやり方は分かっていますよね?と冷たい目線で問いかけられ、能登は内心身震いする。全く、体育会系の厳しい縦社会の部活にこんな高圧的な後輩とは世も末である。

「勝つためだ。何でもするさ」

 川村がニマッと笑う。

「みんなお前と同じだ。肩肘張るな、海堂。脅し役は神嶋なんだから、お前はやらないでいい」

「それじゃあ、本業の脅し役さんに一年生を脅してもらいますかね」

 すると一年生は揃って首を横に振る。本業でないほうも怖いのにこれで本業が出て来たら多分しばらく夢に出る、と高尾は思った。

「さあ、やるぞ。時間が無いんだ。テキパキな!」

 神嶋の指示に、いつも通りガラの悪い掛け声が上がった。


「いよいよ、今日っすね!」

「おう。そうだな」

「やっべえ〜〜ッ!超〜絶ッ!アガル!」

「トモ、うるせえ」

 インターハイ予選ブロック決勝会場は三浦商業高校の体育館である。その近くの部室棟で着替えながら騒ぐ少年がいた。

「だってだって〜!クソ生意気なダークホースをぼこぼこにブン殴れるんっすよ⁈最ッ高じゃないすか!真田さん!」

 目をキラキラさせながら、少年は近くに置いていた服に手を伸ばす。水色の布地の胸元にプリントされた「三浦商業」の四文字。そして、背中と腹にプリントされているのは七番という番号。

「試合が楽しみなのは分かったけど、うるせえから黙れっつってんだ。今日は水無さんもいるんだから、無駄に負担かけんな」

「は〜い」

 トモ、と呼ばれた少年は膝のサポーターを身につけてから真田の背中を押す。

「先輩ッ、早く行こう!待ちきれねえよ!」

「あ〜、はいはいはい……」

 真田は刈り上げた後頭部をガシガシとかいてから部室の扉を開けた。するとそこには色白の細身の青年が立っている。

「やあ、二人とも」

「あ、水無さ……」

「水無さん⁈何してんすかアンタ!こんな暑いとこ来たらダメでしょ!まだ校舎にいて下さいって俺何回も!てかタカさんも言ってましたよね⁈」

「あはは、いやいや、大丈夫だから」

 焦ったような真田の言葉に水無はニコニコと笑って答える。二人の身長差は五センチも無いが、身体の厚みが全く違った。

「でも、この間も倒れたじゃないすか!今日の試合も長くなるんすよ⁈倒れられたら俺たち心配で……!」

 そう口にするのは真田響。神奈川県立三浦商業高校男子バレーボール部スタメンの一人だ。ポジションはミッドブロッカー。二人しかいない二年生レギュラーの片割れだ。

「響は優しいね。心配してくれてありがとう。でも大丈夫だ。今日に備えて体調管理は万全だから安心して」

 そう言ってふわりと笑い、その笑顔に真田はたじろぐ。まだ言いたいことがあると言わんばかりの顔だ。

「智樹、調子はどう?」

「もう最高っす!超絶技巧のハイパーレシーブ、今日も披露するっすよ〜⁈」

 智樹やトモ、と呼ばれているのは一年生の小平智樹。ポジションはリベロで唯一の一年生レギュラーである。

「よしよし、元気そうだね。良かった。みんな君には期待してるんだ。しっかり頼むよ、一年ルーキー」

「うっす!」

「さあ、二人ともおいで。そろそろ対戦校も到着する」

「今大会初出場にして市立倉橋第一を退けたダークホース、北雷高校。……ナメてかかったら食われますね」

 真田は険しい顔つきで体育館を睨む。その肩を、水無の薄い手が押した。


「お前たち!遅えぞコラ!」

 三人が体育館に入るとそんな声が飛んだ。真田と小平が鋭い叱責に首を縮めると水無がやんわりと二人を庇う。

「話し込んじゃったんだ。怒らないであげてよ、アッキー」

「……まあ、アッくんが言うなら……」

 そう言って渋い顔をして見せるのは古湊明紀。副主将だ。

「でも遅くなったのは事実だからね。二人とも謝りな」

 水無がそう促すと二人は小さく頭を下げる。

「遅れてすんませんっした」

「したァ!」

「トモ!挨拶は省略すんな!」

 再び飛んできた古湊の叱責に小平は悪びれる様子もない。

「まあまあ!今日も超絶技巧のハイパーレシーブ見せるから許して〜⁈」

「テメエ小平この野郎……、死にてえみたいだな……?あ"ぁ"ん"?」

 ふざけた挨拶にブチ切れ寸前という様子の古湊を止める者はいない。背に黒いオーラを背負う彼のあまりの恐ろしさについたあだ名は「鬼の古湊」である。

「アッキー、そこまで。もう人いっぱいいるし、そろそろ向こうさんも来るから。後にして」

「タカ!こいつそのまんまにしとくのか⁈まずいだろ!」

「……アッキー、話聞いてた?」

 不機嫌そうに腕を組んでそう言った高階に古湊は不満そうな顔で押し黙る。

「……分かったよ。悪かった」

「アッキーは別に悪くないんだけどさ、こういうときはちょっと控えめによろしくね」

「分かったよ」

 高階は体育館の入り口のほうを見やり、一瞬わずかに目を見開いた。

「どうした?タカ」

「ん、赤いジャージがあってさ。アイツらかなって」

「赤いジャージか。そりゃ間違いねえな、緋欧のあの二人だ」

 古湊はそう答えて肘のサポーターの位置を直す。

「こっちに顔出すくらいには余裕ありますってか?ムカつくヤツらですね」

 吐き捨てるようにそう続けたのは二年生レギュラーの一人、東堂麟太郎。昨年秋の国体の神奈川県代表にセッターとして選抜された、チーム内随一の実力者である。

「そう言うなよ、去年二人とは一緒にやったんだろ?」

「……それとこれとは、話が違います。確かにあの二人はすごい。緋欧の中でも一、二を争う実力を持つ才能あるプレーヤーではありますけど、俺は好きになれない」

「そんなにアイツ嫌い?上手いじゃん」

「……傲慢なんですよ。あの人のバレーはすごく傲慢で自分本位。セッターとしての価値観が俺とは真逆なんです。高校No. 1セッターにこんなこと言えない立場なのは理解してるんですが、……あの人はセッターとしての本分を間違えている。俺は勝手にそう思っています」

 普段物静かな東堂の激しい言葉に、珍しいと思った高階はわずかに目を細める。赤いジャージの二人組は体育館の二階に上がって行く。赤いジャージに灰色で染め抜かれた「緋欧学院」の四文字が、視界に重々しく残像を残した。


「なあ、和也。今日の試合はさ、どっちが勝つかな」

 二階に上がった赤いジャージの二人組が言葉を交わしていた。

「……下馬評じゃあやっぱりサンショーが堅いって話だが、俺は下克上も十分ありえると思ってる」

 黒髪をスポーツ刈りにしたほう——和也と呼ばれたほう——が腕を組んでそう言う。それを聞いたもう片方は楽しそうに笑った。

「なるほど、和也は、そう思ってんのね」

「お前はどうなんだよ、堅志」

 そう問うてから、和也はその横顔を見た。若手俳優のように整った顔には一種の気品すらある。

「そうだな。オレはね、無理だと思うよ。北雷は負けるさ」

 薄い唇を歪めての一言に和也は吐き捨てるようにため息をついた。

「……お前が負けちまえと思ってんだろ」

「まさか。そんなこと無いよ」

 形の良いアーモンド型の目が笑う。

「わざわざ観に来たあたり、お前の性格の悪さが見えてる」

「そんなことのために三浦まで来ないさ」

「なら何のために来たんだよ。今日は滅多に無いオフで、午後から自主練入ってんのに、わざわざ家の遠い俺まで呼び出してよ」

 その言葉に、堅志は瞳に冷たい光を浮かべながら答えた。

「だってほら、答え合わせの時間だから」

「……は?」

「オレはね、問題を出したんだ。一年前の三月に、お前の選んだ道が間違いか、正解か。次の年の夏に答え合わせをしようって」

「テメエ……。純然たるクソ野郎だな」

 呆れたように言葉を投げ捨てる隣の人間に構わず堅志は言葉を紡ぐ。

「オレからしたらバカにしか思えない。わざわざ緋欧への道を捨てて、アイツは違う道を選んだ。それに、答え合わせには解答解説が必要だろ?」

 冷たい光を宿したままに言葉を紡ぎ、指を動かす。

 爪は桜色でつやつやと光り、適度な長さに切りそろえられている。手には傷も荒れも無い。筋張り硬いとは言え丁寧に手入れの施されたその両の指は、とても男のそれとは思えなかった。

「自分が解答解説だって自信があるのか?大した野郎だな、おい」

「オレは正解だ。間違ってる訳がない。だってオレは、バレーの神様に愛されてるから」

 ふふふ、と笑う。若手俳優も顔負けしそうな柔らかな笑顔の下には、ヒヤリとするほどのプライドと自信が隠れている。和也は、それを誰よりもよく知っていた。

「ああ、ほら、来たよ」

 体育館の入り口を指差す。

「ダークホースのお出ましだな」

 黒いユニフォームに身を包んだ北雷高校の面々が、硬い表情で現れたところだった。堅志はさらに言葉を繋ぐ。

「さあ、一年越しの答え合わせの時間だ。オレに見せろよ、お前の答えを」

 両端が吊り上げられた唇が、美しく弧を描いた。

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