4章3話:開戦!

 体育館に入った瞬間、ガンガンとメガホンが打ち鳴らされ始めた。

「行け行けサンショー!押せ押せサンショー!」

 繰り返される掛け声に、北雷高校の面々は驚いて開いた口が塞がらない。

「まだ試合開始前なのに……⁈」

 瑞貴の言葉に、海堂は涼しい顔で答えた。

「学校にもよりますけど、強豪校はこういうことしますよ」

「マジで?」

「ウチもこうでした。相手をビビらせて萎縮させるんです。異様な空気感を作り相手呑み込み、流れを寄せようとする……。応援一つでもそういう効果を作り出せるわけですね」

「……さすがは県四天王ってところか」

「でも逆に言えば、これを必要だと認識されるほどウチは警戒されているんです。四天王が買ってくれてるんですよ。ご期待にはしっかりとお応えして、勝ち逃げしましょう」

 荷物や着替えの類は全て置いて来た。あとはアップを済ませて試合開始時刻を待つだけである。

「アップ入るぞ!スパイク練から!」

「おえ〜い!」

 神嶋の指示に従い、十二人がコートに入る。アップの間も応援は止まない。

「くそ、うるせえな!」

「気にすんな。それが相手の狙いだ」

「でも、さすがに弱るよな……」

 一年生がそう言ったとき、一本めのスパイクを打って着地した川村が声を張り上げた。

「ッシャァア〜〜〜〜〜!もういっぽォ〜〜ん!」

 度肝を抜かれたらしいサンショー側の応援が止む。川村に続き、野島も叫ぶ。

「エクスタシィ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」

 ギョッとしたらしいサンショー側のセッター——東堂——はボールを手から落とした。もちろん、北雷のメンバーも絶句している。普段声を張らない野島が大声を出したこともそうだが、それよりも言っていることに度肝を抜かれ、ついでに川村の普段よりも割増で大きい声に度肝を抜かれたのだ。

 二人は一年生のほうを見てからニンマリと笑う。

「しっかりしやがれ!一年坊主!」

「普段の元気な様子はどうしたのサ」

「出先だからって大人しくしてんじゃねえ!借りられて来た猫かお前らは!」

 するとまず二年生が噴き出した。能登が身体を二つに折って笑っている。

「あっはははははは!無理!無理!」

「え、エクスタシィってホント、マジ!」

「ひぃ〜〜〜〜!腹筋が割れる〜〜〜!」

 ついで久我山と瑞貴がゲラゲラと笑い、それを見た神嶋もつられて肩を震わせている。寡黙な箸山ですら唇を歪めて笑っていた。会場は静まり返り、笑い声だけが響いている。

「下手に緊張すんな。お前たちもやることはちゃんとやってきた」

「そうそう。ここまで来たらビビっちゃダメだってば」

「今から焦っても何も出来ねえ。諦めて、やってきたこと全部ちゃんとやるしかねえんだよ」

 その言葉に、火野は二マッと笑った。

「そっすね!」

「だろ?っしゃ、スパイク練続けるぞ!」

 周りが唖然としたままの状態でスパイク練を再開する。

(さすがはあの二人。頼んどいてよかった)

 海堂は内心笑い、ボール出しをしながら戻って来た川村に頭を下げた。

「ありがとうございました」

「けっこう恥ずかしかったから、これっきりで頼むわ」

「また機会があればお願いします」

「いや、これっきりで」

 密かに交わした会話は、おそらく誰も聞いていなかっただろう。


 試合開始時刻数分前に北雷高校の面々はベンチ前に集まった。毎回恒例の円陣である。

「ブロック決勝で、相手はサンショーだ。緊張や焦り、ビビリもあるとは思う。だから忘れてはいけないことだけ覚えておこう。一つ、絶対に勝つこと」

 神嶋の言葉に全員が頷く。

「そしてもう一つ。——バレーを、とことこん楽しむこと。余裕が無くても、この二つだけは忘れるな」

 薄く開いた口で息を吸った神嶋は、腹の底に響く声を上げた。

「北雷ッ!勝つぞッ!」

「おえ〜い!」

「っしゃコラァァァア!」

「ダラッシャァァア!」

「やったるぁぁぁあ!」

 このガラの悪い声にもすっかり慣れた海堂は、それでもわずかにため息をついた。


「さて、みんな。今回は予想外の相手がやって来たわけだけど、やることは変わらない」

 北雷ベンチに対して、サンショーのベンチは至って落ち着いていた。

「俺たちは県立三浦商業高校。栄えある県四天王の一つ。生意気なダークホースに、格の違いを教えてやろう」

 高階はフッと息を吸う。

「サンショ〜〜〜〜〜〜ッ!ファァイッ!」「オ〜〜〜!」

 六人が足を踏み込む音が揃い、それに合わせて掛け声が揃った。

 高階はベンチに座った水無に声をかける。

「アッくん、俺たち勝って来るから、いつもの頼む」

「……いいよ」

 水無は立ち上がってスコアノートを置いてから腕を回し、三人いる三年生の肩を抱く。

「大丈夫、大丈夫だよ。勝てるから。今日も絶対に勝てる」

 穏やかな声がセミの声に重なった。

「三人のやってきたことは僕が一番よく知っている。だから大丈夫」

 顔を上げて柔らかく笑う。

「頑張って」

 次に二年生二人の肩をそっと腕で包んだ。

「二人しかいない二年生レギュラーなんだ。自信持って。誰が何を言っても、僕ら三年生は信じてるから。だから大丈夫。今日も頼むよ、響、麟太郎」

 まるで、儀式のように厳かなそれを北雷メンバーは凝視していた。

「智樹、おいで」

 そう呼ばれて歩み寄った小平の頭を水無は掻き回す。

「二年生を退けてコートに入った君なら出来る。みんな期待しているよ。頑張ってね」

 あまりにも穏やかなその声は、体育館には不似合いだった。


 両校がエンドラインに整列する。

 三浦商業高校のスターティングメンバーは

 一番 高階幸太郎 MB

 二番 古湊明人  WS

 四番 柳原将司  WS

 五番 東堂麟太郎 S

 六番 真田響   MB

 七番 小平友樹  Li

 対する北雷高校は

 一番 神嶋直志 MB

 二番 能登朝陽 MB

 三番 川村朱臣 WS

 四番 野島尊  S

 五番久我山則人 Li

 九番 鈴懸凉  WS

 である。

 審判の合図に従って一礼し、コート内に入る。

 サーバーはサンショーの柳原将司。初っ端から、パワー型スパイカーの全力のジャンプサーブがコートに飛来する。重い音をさせながら凉が野島にボールを送る。

「野島さんッ!」

「はいヨッ!」

 ふわりと両手に収めたそれを野島は神嶋に向けて放つ。強烈なスパイクがサンショー側のコートに入るが……。

「ほいさッ!リン!」

 素早くボールの下に走り込んだ小平がそれを上げて東堂に送る。

「ヤナ!」

 コート左側、レフトに待機していた柳原が全身の筋肉を唸らせるような豪速のスパイクを放つ。辛うじて能登が追いつきレシーブしたが、その勢いで床に倒れ込む。

「すまん!長い!」

 焦って声を上げるが、位置から考えて野島のフォローは間に合わない。

(あれはアウトだな……)

 真田がそう思った次の瞬間、凄まじい速さで久我山が走って行く。途中でジャンプしたかと思うと、何と空中でトスを上げた!

「かァわむらァァア〜!」

 もちろん、精度は野島のトスの足元にも及ばない。しかし川村にはそれで十分だった。油断していたサンショー側のブロックは間に合わず、ダパンッ!と破裂音をさせてスパイクが突き刺さる。北雷側の先制点である。

「やるなあ、あのリベロ」

 体育館二階で見物していた堅志はそう言った。

「あの姿勢からトスを上げるなんて、普通は思わねえな」

「アレは完全に油断したね、サンショー」

「油断しても仕方ねえよ。初見じゃ防げねえ」

「オレの思うに、アレは柳原のスパイクの威力を初めから想定してたんじゃないかな」

 ざわめく会場の中でも、堅志の柔らかい声はよく通る。

「多分だけど、攻撃パターンの徹底的な分析をして、おおよその傾向を割り出したんだ。サンショーは一発目のスパイクは必ず柳原。そして上手く処理出来ないことも予想済みだった。だからリベロが走って追いつき、トスを上げられた」

「結果的に、あの三番川村は得点出来たと?」

「うん。でも、すぐに出来ることじゃないだろ?リベロがジャンプトスを上げられ、なおかつスパイカーが合わせられることが前提なんだ。それが、徹底した分析があったとオレが予想する理由」

「人数が少ないからスカウティング専門の部員なんざいねえだろ。柳原が一発目を打つと分かっても、パワーまで予測は出来ねえ」

「問題はそこだ。映像では分かりにくいことまで完璧に対応している。部員が掛け持ちでやるには難しい。過労死するよ」

「……顧問か?」

「あの顧問、ルールブック持ってる。ズブの素人の可能性はなくもない」

「なら部員の誰か?」

「……あ、ちょっと待って」

 そう言った堅志はスマートフォンをジャージのポケットから引きずり出して、ベンチの方にカメラを向ける。パシャ、といういささか間抜けた音をさせ、撮った写真を拡大した。

「何してんだよ、北雷のマネの写真なんか撮って……。きめえことすんな」

 渋い顔をした和也に構わず、堅志は写真を見てニヤリと笑う。

「あ〜……、なるほどね。そういうこと」

「は?何が?」

「……和也、この試合、下馬評はひっくり返るかもよ」

「さっきは負けるって言ってたくせに」

「北雷は武器を手に入れたみたいだ」

「はあ?」

 和也の不機嫌な響きを孕んだ声を無視した堅志は、ふわりと笑ってからコートに目を落とした。

(そこそこ上手くやってるみたいじゃんか)


 それから数分後、野島の放ったフローターサーブは綺麗な弧を描いて相手コートに落ちて行く。

「リン!」

 小平が丁寧に処理して上げ、東堂に送る。

「ヒビキッ!」

 鋭い声ともに速攻が決まる。真田と東堂は軽くタッチして頷き合った。

「なあ、海堂。さっきからサンショーの人たち、互いのことを短い名前で呼んでるよな。アレには何か意味があるのか?」

 火野の質問に海堂は頷いて答えた。

「アレは多分、コートネームだ」

「コートネーム?」

「そう。コートの中で短い名前で呼び合うことで、パスミスやトスワークのミスが減る。例えば神楽坂って名前の人がいたとして、それにトスを上げるとする」

「名前長えな」

「そこがポイント。長い名前をいちいち呼んでいたら不便でしょ?だから名前を縮めるんだ」

「へえ〜」

「サンショーは数種類の速攻を使いこなす超攻撃的バレーをするチーム。速攻に頼り、スピードを重視する分、チームワークやコミュニケーション、そう言った対人的な要素は普通にバレーをやるより大切になる。その強化のためにコートネームを採用したんだろう。合理的な考え方だ」

 海堂の解説に頷いた火野はコートに視線を戻す。試合のスピードは確かに早い。強烈なスパイクを何本も打ち込みつつ、相手からのボールはリベロが完璧に拾っている。しかし。

「……両チーム速攻などで得点しようとしている割には、ペースが遅い。……まだ、どちらも五点だ」

 箸山の一言に長谷川が頷く。

「こっちの守備も上手くハマってる証拠ですね」

 北雷も攻撃に比重が偏るチームだ。これまでの試合では、多彩な特徴を持つスパイカー達を野島が状況に応じて使い分けることで得点してきた。しかし今回の試合相手は超攻撃型バレーを得意とする。それに対応するべく様々なパターン練習を行い、身体に焼き付けた。その守備がガッチリとハマっている。

「……ウチは個人の能力値では圧倒的に負ける。……個人技のみで勝ちに行くには、時間が足りなすぎた」

「でも、それを海堂の作戦が補ってる」

 箸山と瑞貴の会話に火野はぞわりとした。

『アナリストと連携した、緻密な戦略的バレーを編み上げればいい』

 海堂のセリフが鼓膜の奥に蘇る。

(海堂が目指したバレーの形が、だんだんと完成してるんだ)

 火野は決してバレーに詳しいわけではない。五月に入る前にルールをようやく暗記したばかりで、知識も少ない。先輩達が話している「Aクイック」などの専門用語も思い出すには時間がかかる。それでも、海堂のすごさだけは肌で分かるのだ。

(本当にすごいヤツって、もしかしたらこういうヤツなのかもしれない)

 隣に座りコートを睨む海堂の横顔は静かだが、その頭の中では何面ものコートが展開して様々なパターンを予測している。一見しただけでは分からない深いモノを、海堂はその身のうちに抱えているのだ。

 あまりの底知れなさに身体が震える。隣に、未知の生き物がいる。鋭い刃のように燦然と輝く才能を持つ、未知の生き物が。

(……怖えな)

 ふと思ったことを内心呟いてから、火野はその考えを振り切って声出しに努めることにした。

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