4章12話:顔面ブロック
叫ぶ神嶋の背中を野島が叩き、川村もそれに便乗する。盛り上がるそちら側とは対照的に、真田は唖然としていた。
「何なんだ、あの一番!」
右頬がジンジンしている。神嶋のスパイクが真田と柳原の間を抜けたとき、顔のすれすれのところを掠っていったのだ。
「痛え……」
「真田、どうした」
「あ、いや、ここ……」
「……!」
指し示された箇所を見た柳原は、僅かに目を見開く。そこだけ、薄く皮がむけていた。
「俺、中学ンときからずっとバレーやってますけど、こんなん初めてっすわ。ブロッカー二人の顔の真横を通す精度のスパイクも、スパイクで顔にこんな怪我すんのも」
苦々しげに舌打ちをした真田は、軽く自分の頬を叩いてから短く息を吐いた。
「とりあえず、あの一番は只者じゃないっことは分かりましたね。こんな精度のスパイクとあのレベルのサーブがあって、しかもブロックも人並み以上。北雷の連中がそれに気がついてるかどうか分からないけど、あれはちょっとレベルが違う。少なくとも、創部一年目の無名校にいていいヤツじゃねえ……」
「俺もそう思っていた。正直、ウチや秦野、ニシハコや緋欧でスタメン張っててもおかしくない。俺のスパイクこそ防げないが、古湊のフェイントなんかには絶対に引っかからない。どうしてあんなヤツが、無名校に」
柳原の低い声に真田は頷き、サンショーの強面代表二人は唸る。すると、その肩を東堂が叩いた。
「でも、勝つのはこっちですよ」
それに真田は吠えるように返す。
「分かってらあ!」
「うわ、不良みたい」
北雷が現在四点であるのに対し、サンショーは現在無得点。じんわりとした焦りが彼らに迫る。そのとき、サンショーのベンチから声が上がった。
「落ち着いて!みんな!」
そちらには、ベンチから立ち上がった水無がいる。
「まだ四点!全然巻き返せるよ!大丈夫!」
響く声援に押し負けない芯のある声が、コートに届いた。
「大丈夫!君たちは!強い!」
それから、水無は笑う。その一言に、じんわりと迫っていた焦りが引いていく。それから高階はパンパンと手を叩いて声を張った。
「点取るぞ!そんでこの夏で汚名返上だ!」
「おおお!」
「ッシャァ!北雷潰す!」
「覚悟しろやァア!」
高階の後に続いたいきなりの怒号に北雷側は一瞬怯むが、能登が声を上げる。
「神嶋一本ナイッサー!」
「サンショー潰す!」
能登に続いた川村の言葉に海堂は渋い顔を見せた。
「ああ、もう……。ガラ悪いなあ」
「いや、お前が言うか?」
長谷川にそう言われ、海堂は短く返す。
「は?」
「あ、いや、何でもないです……」
圧に怯んだ長谷川に同情するように高尾が首を横に振った。
再び神嶋のサーブが上がるが、これは高階が上げた。それを追って東堂が走る。その間に真田、柳原、古湊が助走に入った。
「シンクロ来るぞ!」
「ブロックフォロー!」
サンショーの三人が跳び、トスが上がる。
ブロックに跳ぶのは神嶋と川村、能登。
(トスが早くて高い。これは恐らく二番に行く!)
瞬時に判断した神嶋は突然走ってガラ空きになっていたコート右側へ向かう。
(マジか!)
古湊はギョッとするが、そのときには既に目の前に神嶋が跳んでいた。打ち込んだスパイクが弾かれ、サンショー側コートにボールが返される。
「チャンスボール!」
咄嗟の判断で神嶋の指先に当てて跳ね返した古湊は、叫んでから再びスパイクのために助走に入った。小平が視界の端でボールを弾き上げたのを確認し、東堂をチラリと見る。僅かに目線がかち合っただけで、後輩は小さく頷いた。
(OK、跳んでいいのな)
そして、古湊の視界の中に、全身に闘志をまとわせた男が一人。
(次はヤナが本命か)
分厚い胸板が目に入る。太い腕も脚も、あの寡黙な男のひたむきな努力の賜物だった。
柳原は、努力の男である。いっそ泥臭くも見えるような努力を長く長く続けられる人間だ。周りが気が遠くなるような長い目でものを見て、果てしなく遠くにあるような目標でも挫けずに目指せる人間なのだった。
『俺はプロになりたい』
あるとき、部室で柳原はそう言った。着替えながらの会話だったことを覚えている。
『小さい頃偶然プロバレーの試合を見て、そのときにバレーの存在を知った。あの試合の興奮はまだ覚えてる。俺も、そうやって人の記憶に残れるような試合をしたい』
寡黙な男が珍しくよく喋るので驚いて顔をまじまじと見てしまった。
『古湊、お前、俺がプロになったら試合観に来いよ』
『ん?おお、行くわ』
『お前がいつまでバレーをやるかは知らないけど、もしそのときにバレーを辞めていてもまたやりたいくらいのことを思わせる試合をしてやる』
そう言って柳原は肩を揺らしたのであった。だがそのとき、古湊はこいつにはなれない、と確信した。
長く長く努力出来るような堪え性は無く、正反対に飽きっぽい。取り柄と言えば、せいぜい周りより少しばかり要領が良いくらい。だから、努力の男の隣に並ぶのには引目を感じていた。だが、古湊に水無はそれでいいのだと言ったのである。
『将司の場合は体質を利用してあそこまで鍛えたわけだろ?明人は体質が違うから、あんなに鍛えたらオーバーワークだ。でも頭に血が上りやすい将司に比べて、明人は試合中常に冷静でいられる。その上で素早い判断を下してブロックアウトを狙ったりも出来るから、それだけでも、本当に十分だと思うよ』
古湊はメインのポイントゲッターではあるが、役割としては囮に使われることの方が多い。それを、決定力が無いせいだと思っていた。だが、それに対しても水無はそれでいいのだと言った。
『なら明人は、その囮役を極めればいいんじゃない?立派な役割だよ。だって、それでチームが勝てるんだから。でも、囮って言葉を使わなければいいのかもね』
柳原と同じポジションであるものの、埋めようのなかったモノをその言葉が埋めてくれた。水無への感謝はいくらしても足りない。古湊には古湊の在り方があるということを教えてくれた。あの聡明な男の言葉は、いつも欲しいときに欲しいモノを与えてくれる。
東堂が、トスを上げる。北雷側のコートで声が上がった。
「二番マーク!」
それが目の前を素通りして古湊の右手が派手に空振る。古湊の前を塞ぎにきた能登がしまった、という顔をした。
(俺ァ、このチームのためなら囮でもいいんだよ!)
地面に落ちながらそう思っていると、ドパンッ!と派手な破裂音が聞こえる。審判の笛が鳴った。サンショーの一点目が入ったことを知らされる。
顔を上げて横を見れば、柳原がそこにいた。
「ヤナ!ナイスキー!」
そう言って右手をかざすと、力強いエースの手が打ちつけられた。
「ナイスフェイント。助かった」
「そりゃ、これが古湊明人の仕事ですからね!」
献身的なのはガラじゃ無い。でも、このエースを立てるためなら。誰よりも努力するこの男のためなら、慣れないことをしたっていいと思うのだ。
それから互いに何度か得点し得点されを繰り返し、両チーム十点という状況になる。マッチポイントは二十四点。あと少しのように思えて、永遠にも思える。
体育館は灼熱の熱気で満たされていた。
「ワンタ〜ッチ!」
能登のスパイクが真田の指先を掠ってサンショーのコートに入る。
「っしゃあ!」
小平が床に滑り込んで弾き上げ、東堂がそれを空中に放った。美しく弧を描いたそれを柳原の腕が打ち、神嶋の両腕が柵となって跳ね返す。
「チャンスボール!」
怒号が響き、同時にサンショー側の応援が圧を増した。
双方勝敗のかかった第二セット。これに勝てば県大会だ。サンショーは強豪のプライドと意地で厳然と立ちはだかり、北雷はチャレンジャーの心意気で喉元に食らいつこうと必死でもがく。
コートに返ったボールを、今度はエンドラインぎりぎりで高階が上げた。
「ナイスレシーブ!」
そう叫び、それから東堂は再びトスを柳原に上げる。剛腕が振り下ろされる速さは予想以上。そして柳原の位置は、神嶋の予想と大幅にズレていた。
(まずい!間に合わない!)
神嶋が焦り、肌で分かるほどコート内が緊張する。だが次の瞬間——。
「ッガァ!」
ドゴン!と凄まじい音をさせてボールが跳ね返る。サンショー側のコートにボールが落ち、北雷高校は十一点目を記録した。
「川村!」
「朱ちゃん⁈」
「すっげえ!ナイスブロック!」
弾いたのは川村だった。しかしどうやら手では間に合わなかったらしく、右頬が真っ赤になっている。
「お前、まさか顔面ブロック⁈」
神嶋の言葉に川村は軽く鼻を鳴らした。
「くっそ痛えしダセエし、口ン中ちょっと切ったけど、点取られるよかマシだろ」
右頬は真っ赤になり、目には涙が滲んでいる。キルブロックの通用しないあのスパイク相手に、川村は顔を当てに行ったのだ。最悪の選択肢の一つだが、なりふり構わず、勝つために川村はそれを選んだのである。それからいきなり川村の肩から力が抜け、ベンチに向かって笑って見せた。
その様子を見ていたサンショーのメンバーは唖然としていた。まさか、柳原のスパイクの恐ろしさを知って尚、こわな立ち向かい方をする人間がいるとは思わなかったからだ。しかしそのとき、北雷のコートを見ていた東堂が、あ、と小さく声を上げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます