北雷男バレ本格始動

2章1話:鬼才のメソッド

 海堂が正式に入部すると、彼女の身の回りは一気に騒がしくなった。それと言うのも九割は確実に火野のせいである。

「おっす、海堂!」

 朝に昇降口で顔を見かけるだけでタックルに近い勢いで走って来るし、しかもそのままぶつかってくるのだ。体幹トレーニングが抜けていないおかげで転ばないで済んでいるものの、さすがにこういうコミュニケーション方法は何とかしてほしいと思っている。

「おはよう」

「テンション低いな〜!」

 お前ちゃんと朝飯食った?と言いながら上履きに履き替える。

「朝にちゃんと食べるのは基本でしょ。うちは朝ごはん食べないで家を出るのは禁止ってルールがあるし」

「マジか、すげえな!」

 火野はとてもフレンドリーだ。フレンドリーで明るくて、誰とでも話すことが出来る。そのせいで火野と一緒にいると火野の周りに人が集まる。おかげで、最近学校で人と話す機会が増えていた。

「あ、今日の英語の課題やってきた……?」

「自由英作のやつ?やったけど」

「悪い!見せて!」

「はあ?」

 両手を合わせて申し訳なさそうに目を細める火野の頭を、通りすがりの誰かがバシン!と音がするほど強く叩いた。

「痛え!」

 と廊下で叫んだ火野の肩にするりと腕が回される。

「よう、火野ォ〜」

「川村さん⁈」

「先輩に向かって痛えと言うたァ、い〜い度胸だなァ?あ?」

「ぎゃああ、すいません!」

 川村が火野の頭をぐしゃぐしゃと掻き回していると、その横からさらにもう一本腕が伸びてきた。川村のそれより細い腕は川村の手を火野から引き剥がす。

「やめときなヨ、朱ちゃん。火野がかわいそうデショ」

「野島さん、おはようございます!」

「テメエ火野!オレとミコトで態度違いすぎだろうが!」

「朱ちゃん、恥ずかしいからやめて。ほら、行くよ。二人も早く行きなよ?ホームルーム開始まで、あと十分も無いからね」

 川村を引きずって野島が立ち去るのを見届けた海堂は階段を上りながら疑問を口にする。

「川村さんと野島さんって一緒に来てるのかな……?」

「らしいぜ。家が近いんだって。幼馴染みだっつってたな。もう七年くらいの付き合いだってさ」

「七年……」

「すげえよな。しかもそのうち五年はバレーやってんだぜ?そりゃ、あんなめちゃくちゃな連携も出来るわけだ」

 火野のその言葉に、この間の練習で見たあの二人の連携が脳裏に蘇った。


「長谷川!一本ナイッサー!」

「ナイッサー!」

「さっこ〜い!」

「打って来いや〜!」

 毎日練習の最後に必ず紅白戦をするメニューになっている。この日はたまたま川村・野島ペアが同じチームだった。

 赤チームの長谷川のサーブが相手コートに入る。火野がレシーブしたボールが野島に向けて綺麗な放物線を描く。

「すいません!短い!」

「いいよ、いいよ!」

(これはツーアタックかな……)

 それを審判役で入っていた海堂はそう思って見ていた。赤チームのブロッカー達も野島をマークしている。

「朱ちゃん!」

 ボールを受け取ったその途端、振り向きざまに凄まじい速さのAクイックを放つ。その先には、既に空中でスパイクの姿勢を取っている川村がいたのだ。

(……⁈)

 そのトスは気がついたときには次の瞬間赤チーム側のコートに叩きつけられていた。あまりのことに呆然としていた海堂はハッとしてホイッスルを吹く。

「入ってます。白チームの得点です」

「うわあ〜!マジか!止められなかった!」

「やっぱやべえよ、この速攻!」

「また騙された!攻略出来ねえ〜!」

 チーム分けに関係なく二年生たちはそう言って苦々しい顔をした。一年生に至っては理解が追いついておらず、呆然としている。

(……あの速さで合わせられている⁈)

 速攻はいくつも見てきたし、海堂自身も経験している。しかし、この二人の速攻は今まで見てきた速攻の中で一番奇妙だった。

 野島のトスはバスケットボールのパスに近い形で放たれていた。しかも、味方ですら攻略出来ていない。

「あ〜、あの速攻?」

 練習後、あまりに気になったので野島に話を聞きに行くと、彼はニヤニヤと笑った。

「種明かしをすると、事前に朱ちゃんにはサイン出してあるノ。って気になるのはそこじゃないよネ」

 そう言ってから倉庫に行こうとしていた川村の練習着の襟首を引っ掴んで引き寄せる。

「ぐえッ」

「あれはおれたちの二人の超絶連携技。とは言っても、完成したのは春先だけど」

 おれのブランクとかあったしネ。と言った野島を川村は肘でど突いた。

「完成に二年かかったのは、半分以上お前の身体のせいだろ〜が」

「ちょっと〜、それ言っちゃう〜?」

「コイツさ、バレーが出来るようになった直後に足首の捻挫したんだよ。なのに完治させた直後に、手首の捻挫と左手の指を三本まとめて亀裂骨折したんだ。しかも同時にだぜ?」

 お前ホントありえねえ。マジで無い。正セッターの自覚持てよ。と言いながら川村は野島の薄っぺらい胸板を叩く。

「朱ちゃんのエッチ!」

 胸触んないで!と明らかにふざけた野島の発言に川村はこれでもかと言わんばかりの嫌そうな顔をした。

「川村がセクハラした〜!」

 ここぞとばかりに能登が話に割って入る。

「いや、痴漢だろ」

「神嶋!テメエが乗るとストッパーいねえんだから止めろ!てかオレが好きなのはもっとこう……、アレだ、柔らかくてデカい!」

「いやいや、形デショ」

「川村はサイズ重視か〜。分かりやすいな」

「そういう顔してるしな」

「そういう顔って何だコラァ!」

 話が全く違う方向に脱線し始めて対応出来ずにいると、瑞貴が呆れた顔で彼らを叱り付けた。

「みんな止めなよ、一応女の子いるんだからさ……。更衣室でやりなってば」

 その言葉に四人はハッとした顔になって気まずそうに片付けを進める。

「それでこの速攻は、助走とトスのタイミングを何十回も合わせて身体に叩き込んだって訳。だからオレたち二人でしか出来ない。ウチで一番ブロックが上手いのは神嶋だけど、アイツでもまだ一度も止められてねえ。春休みの練習試合でも、対戦校は動きを見切れなかった」

「でもまだ失敗も多いんだ。だから完璧ではないんだよネ〜。初見とか二回三回見ただけじゃ止められないけど」

 まだまだ練度が足りないという話ではあったが、実際に練習試合の映像を見ると対戦校は動きについて行くことが出来ていない。

(……これは、極めたら確実に武器になる)

 もともと、この二人の連携が尋常ではないことは普段の練習でも分かっていた。中学三年間コンビを組み続け、そして今に至るという時点で普通ではない。

 特別レベルの高いプレーヤー同士の組み合わせではないが、最早超人的にも思える連携とそれを支える強固な信頼関係。それが、二人が北雷のエースコンビたる所以だとそのとき海堂は確信したのである。


「あれ、今日けっこうギリギリじゃん」

 正式に入部したことにより、必然的に隣の席の凉と話す機会も増えた。

「電車一本逃した」

「お疲れ様」

 大して長話もしないが、その程度の距離感が一番やりやすい。

「火野と一緒?」

「うん。下で会った。川村さんと野島さんに絡まれたから遅くなった」

「ああ……、あの二人。登校まで一緒なんだ……」

「色々普通じゃないよね」

(……お前が言うかよ)

 教室が教室に入ってきて学級委員の号令で起立する。海堂のその一言に心の中でそうコメントした凉は、数日前に見たネットニュースの記事を思い出した。

『最強のサウスポー現る』

『コートの女帝』

 派手な言葉で飾り立てられたその記事には、スパイクの姿勢を取っている海堂の写真が添えられていた。ちょうど全国優勝を果たした年の記事で、何と単独インタビューまで載っている。その中に「スポーツをどう捉えていますか?」という質問があった。

『私はスポーツ選手をある種の人工物だと考えています。なぜなら、スポーツは科学です。効率的に身体を作り、技を磨き、積み上げられたデータを頭に叩き込む。そうしてスポーツのための頭脳を作り、身体が出来上がればプレーヤーの完成ですから』

(あんな凄まじいこと言ってたうえに、それをあんな形で示されると説得力もあるよね……)

 

 練習後の体育館で練習試合の映像を見ていたときの話である。

「次、多分オポジットだよ」

 一番遅く入部したくせに一番態度の大きい海堂は、パソコンの一番真ん中の見やすいポジションを陣取ってそう言った。

「ふ〜ん」

 適当に流した直後に、セッターの対角線上にいたプレーヤーからのスパイクが飛んだ。更にその次。

「多分センター」

 セッターの手から離れたトスは後衛真ん中のプレーヤーに向かって行き、スパイクは床に突き刺さる。そして更にその次。

「レフト」

 コート前衛左側のプレーヤーに向かってトスが上がる。ここまでくると、さすがに一年生は皆驚いていた。

(何で分かるんだ……?)

 しかも、これだけではなかった。

「次、多分ブロック二枚」

 対戦校のブロッカーが飛ぶ。ブロッカーは確かに二人。そして。

「次のバックアタックはリベロが拾うよ」

 後衛のプレーヤーの打ったスパイクは対戦校のリベロによって綺麗に拾われた。驚きを通り越し、最早異様にすら思える。

 映像を見終わったあと、我慢出来ないと言わんばかりの勢いで長谷川が海堂に問い詰めた。

「海堂、お前どうして分かったの?」

「何が?」

「ブロッカーの人数とか、攻撃の種類とか、拾われるとか。普通分かんねえよ。もしかして先にこれ見た?」

 その場にいた他の三人は、半ば祈るような気持ちだった。

 ——頼むから「この映像は、一度見た」と言ってくれと。

「いや。初見だけど」

 彼らの淡い希望は無惨にも打ち砕かれた。まるで当たり前のような顔で告げられたありえない言葉に、その場の空気が凍る。

「……何か変なこと言った?」

「いや……、だって、お前、一度も見てないのにアタックもブロックも拾われるのも分かったんだろ?」

 長谷川の顔は完全に引きつっていた。

「普通、分かるか……?」

 妙な雰囲気になったのに勘付いたらしい海堂は、再び当たり前のような顔で続けた。

「……これはあんまり分かってもらえないんだけどさ、私、頭の中にコートがいくつもあるんだよね」

 人気の少ない体育館で海堂は淡々と言葉を紡ぐ。

「コートがある?」

「うん。目の前にコートがあって、その状況をリアルタイムで頭の中のコートに映す」

「……うん」

「描いたほうがいいか」

 海堂はルーズリーフに線を引いてコートを一つ描く。

「こうやって目の前にコートがある」

「ほうほう」

「で、中に人がいる」

 十二人分の丸を描く。

「そのコートの状態を、リアルタイムかつ三次元の状態で頭の中のコートに投影する」

「……うん……?」

 火野の目が点になりだした。

「例えばセッターにボールが回ってきたとして、そのボールをどこに回すべきか考えるでしょ?そのときは自分のコートの状況と相手コートの状況を考える。だから、相手コートの状況も頭の中に一緒に投影する」

 その場の全員が訳も分からずポカンとしているのに気がついたらしい海堂はもう一度困ったような顔になる。そして

「テレビで試合中継を見てる感じ」

 と言う。それで全員が何となく腑に落ちて「あ〜」だの「なるほど……?」だのとこぼした。

「でも何でそれで全部分かるわけ?」

「可能性を絞る。相手コートの状況も一緒に投影してるからそれが出来る。次に相手がどう動くのか、どういう守備の形になっているのか、コートのどこに穴があるのか、自分のコートにいる人たちがどう動けるのか。まあ簡単に言うと」

 三白眼が、ギラリと光る。

「——プレーヤー全員の思考を読む、かな」

 その目を見たとき、凉は背筋がゾワリとした。

「でも、他人の思考を読むのは難しい。簡単に出来ることじゃないし限りがある。ときどき外すしね。だから敵味方、両方のコートの状況を逐一把握し可能性を全て考える。攻撃で使える選択肢は限られているから、可能性の高いものを選び、その他は全て捨てる。そうすれば、自ずと試合とボールの行方は見えてくる」

 その言葉は、恐らく虚勢でも何でもないのだろう。

 しかし海堂が言うほど簡単なことでは無いはずだ。一瞬一瞬の素早い判断を下すための頭、それを考えられるだけの知識と経験。その全てを併せ持って初めて成立する。

「スポーツは科学だ。無意味に過度の負荷を与えて身体を鍛えるなんて、もう古い。効率的に身体を鍛え技を磨く。積み上げられたデータをもとにスポーツのための頭を作れば、一流のプレーヤーになるための素地は出来上がる。……私の師匠の持論だけど、"鬼才・海堂聖"はこうして作られた」

 再び三白眼がギラリと光った。古い体育館が外の強い風に揺らされてミシリと軋む。

「素地を作るのが難しくても、個々のレベルが人並みでも、戦略で勝てばいい。アナリストと連係した緻密で戦略的なバレーを編み上げればいい」

 気合も根性も大事だけど、それ以上に頭を使って勝つんだ。そう続けた海堂の三白眼は異様にギラついている光を帯びていた。思わず腕に鳥肌が立つ。

(これが、……鬼才・海堂聖。最強のサウスポー、束の間のコートの女帝)

 その目は獲物を捉えた肉食獣か、もしくは戦場を見つけた修羅。あるいは血と粉塵の中で軍隊を指揮する孤高の女王。

(コイツは……、格も、見てる世界も全然違うんだ)

 目の前にいるだけで分かる明らかな格の違いというものを、凉はそのとき全身で感じ取っていた。

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