2章1話:個性全開
土曜の朝に神嶋は体育館に自分が一番乗りだと思ってやって来た。しかし。
「おはようございます、神嶋さん」
「お、おはよう……。随分早く来たんだな」
「一つ、やりたいことがあったので」
海堂が一番乗りだったのだ。
「海堂、このコートのライン周りに設置したカメラはお前が?」
「はい。勝手にやってすいません。……動画を用いたトレーニングは効果があると言われています。実際にユースの合宿会場として使われている体育館にはカメラとモニターが設置されていて、数秒遅れで自分の動きを確認出来るようになっているそうです。それらを参考にしてみました」
コート脇にカメラが二台設置されていた。その二つはコードでパイプ椅子の上のパソコンに繋がれている。その椅子の前に座り込んだ海堂は涼しい顔で淡々と言葉を繋いだ。
「大きなモニターでの確認は出来ませんが、フォームの改善、踏み切り、トスとの合わせのタイミングなど様々な部分での活用が可能です。学校のタブレットパソコンなので、ネットに繋いで動画を見ることも出来ます。大きな手助けになるはずです」
本当はすぐにやりたかったんですが、機材の調達に時間がかかりました。そう言った海堂に神嶋は感心したように唸る。
「すごいな……。よくこんなことを」
「コートの真横にコーチがいれば、ダメな部分があるとそのときにすぐ指摘を受けることが出来る。つまり早期改善が可能。それは大事なことですが、今このチームにはコーチはいません。よって、パソコンに代わりになってもらうことにしました」
肩にかけていたスポーツバッグを下ろしながら、神嶋はふと思ったことを口にした。
「……思ったんだがな、海堂。パソコンにボールが当たったらまずくないか?学校のなんだろう?」
「そうですね。ということで、普段よりもずっとボールのコントロールに全身全霊を傾けるようにしてください」
なるほど、そう来たかと思いながら神嶋は短く返事をしてストレッチを始めた。
しばらくすると続々と部員が集まり始め、部活開始時間の九時半には十三人全員が揃っていた。
「おはようございます!」
「おはよう!」
「ざっす!」
「おはようございます」
「はよ〜っす」
それぞれが挨拶を交わす声が体育館に満ちて活気が増していく。
ボールのカゴを転がす音、シューズの擦れる音。当たり前のように部活のときに鳴るそれらは、海堂の耳には久しいものだった。
(部活やってるんだ……)
珍しくそんな感傷に浸ってその音一つ一つに耳を澄ませる。懐かしく、久しく、そして愛おしい音だと思った。
「ミーティングだ!整列!」
一年生に混ざって一番後ろに立ったはいいが、大体の部員が一八十センチを越えるので前が見えない。大変新鮮な気分である。
「今日の練習は十二時半まで。一時には体育館を閉めるから、そのときまでには片付けて撤収するように。あとは……、何か連絡があるヤツいるか?」
神嶋がそう言って部員の列を見回すと一番後ろから手が上がった。
「じゃあ海堂」
「はい。皆さんももうお気づきかと思いますが、コートの周りにビデオカメラを設置しています。学校の機材を借りました。プレーを録画し、すぐにその場で確認をして改善点を見つけるために設置してあります。フォームだけでなく、コンビネーションの改善にも役立つと思われます。精密機器ですので、ボールをぶつけないように気をつけてください」
「だそうだ。あ〜……、火野、お前は特に気を付けろよ」
神嶋の隣に立っている能登が口の端を吊ってそう言うと、火野は自分の顔に指を向けて素っ頓狂な声を上げた。
「え⁈オレっすか⁈」
「一番コントロールが出来てないのはお前だろうが」
そう言った神嶋に、火野は悪びれもせずに言葉を投げかける。
「神嶋さんも、サーブを力任せに打ったらダメっすね」
「それは俺より上手くなってから言え」
そのやりとりにドッと笑いが起こった。
「分かりました!三ヶ月で追いつきます!」
「バ〜カ!コイツは七年やってんだぞ!」
「生意気だ〜!」
「下手くそ〜!」
「アホの代名詞!」
ヤジが飛んで来ても火野はそれに怯まず、堂々と笑顔で言い返す。
「今は下手でも!オレは!あと二年くらいしたら!神奈川一の!最ッ強のスパイカーになりますんで!」
またドッと笑いが起きたその次の瞬間、誰かが言った。
「どうせなら日本一になってみろや!」
と。それを聞いて海堂は納得した。このチームには、誰かの目標をバカにする人は多分いない。だから「全国大会に出る」とか「神奈川一のスパイカーになる」なんていう突拍子も無いことを宣言できるのだ。その環境を作ったのは間違いなく二年生で、そんな二年生の下にいる一年生が、背中を押されないわけがなかったのだろう。
「よし、じゃあまずは二人一組でストレッチやるぞ!ペア組めよ!」
神嶋が号令をかけ、部員が動き出す。それを見届けた海堂は機材の調整に移った。
機材の調整をする間も海堂の頭は休むことなく回り、昨夜見た練習試合の映像から得たデータを反芻していた。
北雷の選手は全部で十二名。セッターが二人、ウイングスパイカーが四人、ミドルブロッカーが五人、リベロが一人という構成である。ほとんどの選手が身長一八〇センチを越えている、大型選手の揃うチームだ。
(一、二年生ともに経験者が半分以上いる。公式戦の出場はまだ無いが、昨日の夜に見た練習試合の映像を見るに、試合慣れしている人が多い)
このチームの攻撃の主軸を担うのは、川村朱臣と野島尊のコンビである。抜群のコンビネーションを武器に繰り広げられる多彩な攻撃で試合を相手ブロッカーを撹乱する。
次いでこのチームにおけるブロックの要となるのが、ミドルブロッカーの神嶋直志。一九六センチという長身を最大限に活かした相手スパイカーの心を折るようなキルブロックと、打点の高さ
(神嶋さんはすごい。あの人のサーブは威力に隠れて目立たないけど、正確無比なコントロールがなされている)
そして、同じくミドルブロッカーの鈴懸瑞貴。彼は経験者ではないが、ブロックの高さそのものでは神嶋に劣らない。
(瑞貴さんは上に真っ直ぐ飛べる。ブロックにおいて最も大事なポイントをクリアしていて、しかも勢いよく飛んでくるボールに対して全く恐怖心というものが無い)
凉の兄である鈴懸瑞貴は中学時代はバスケをやっていたらしい。勢いよく飛んでくるボールに恐怖心なく向かって行けるのは、その経験が生かされているのではと海堂は読んでいる。
(このチームは、守備が薄い。全体的なバランスが攻撃に偏っている中、それを支える絶対的な守備の柱。それが久我山さん)
久我山は守備を専門とするリベロである。一七八センチとリベロにしては長身で、その分カバー出来る範囲が広い。
(そして、オールラウンダーの能登さん)
能登の本来のポジションはウィングスパイカーだが、彼は非常に器用で相手のサーブで野島が崩されたときにトスを上げることも出来る。精度は野島には遠く及ばないものの、それだけでコートにいるプレーヤー達の安心感は違うはずだ。
これだけでも多彩な選手が揃っているが、北雷の二年生には、あともう一人欠かせない男がいる。
(あとは……、箸山さん。まだちゃんと話せていないけど)
チームで一番の駿足を誇る箸山浅葱の最大の活用法は、その脚を生かした奇襲のような移動攻撃だ。俊敏さと速さという彼の武器は中学三年間続けていた短距離走で養われたらしい。急な方向転換に耐えうる強靭な脚が、狭いコート内を駆け回る彼のプレースタイルを支えている。
(とにかく個性の光る曲者揃いのチームって印象。プレーでもそれ以外でもそうだな。けっこう自由に見えるけど、そこは神嶋さんがちゃんと手綱を握ってる。二年生についてはおおまかに把握出来たから、次は一年生についても把握したい)
ストレッチを終えたらしく、ゾロゾロと外周を走りに出て行く。慌ててストップウォッチを持って追いかけた。
外に出ると、四月末の太陽が葉桜を通して照りつけてくる。
「四月の末って、意外と暑いんだよな〜」
「分かる。ブレザー着てると暑い」
「長ジャージはもう着られないよな」
「え?あれって春先に着る?」
一年生がジャージの話をしていて、心の中で密かに同意する。確かにもう暑い。それと言うのも、海堂が今長ジャージを着ているからだ。
暑いなら脱げばいいのだが、さすがにこの傷痕を他の人に見せるのはいかがなものかと思ってしまう。両膝に縦に一本ずつ、そして点のような形の傷が両膝に二つずつあるのだ。
「海堂は暑くないの?」
長谷川の至って当然の疑問に一瞬詰まる。
「ん……、暑い、けど、傷痕があるし」
「あ……、なんか、ごめん……」
「たっつー無神経!モテないぞ!」
火野が茶化すように言ったのを聞いて凉が呆れたように肩を竦める。
「バカじゃないの?そういう話じゃないでしょ。空気読めよ、KYB」
「けっ、KYB……」
「あ、ごめ〜ん。火野クンの頭じゃローマ字は分からないよね〜?」
二人がギャアギャアと騒ぎ出すと、それに気がついた箸山が目敏く二人の襟首を引っ掴んだ。
「……神嶋の胃に穴が空く。……他の部活もいるんだ。目立つから、あまり騒ぐなよ」
「……すいません」
「すんません」
普段あまり話さない箸山の圧のこもったその言葉に二人は萎縮して大人しく謝る。
「さっきの話だけどさ」
凉がふと思い出したように話す。
「傷痕、ボクは気にしない。他の人がどう思うかは分からないけど、隠すものじゃないんじゃないかな。……少なくとも、ボクはそう思う。それに、どのみち制服のときには見えてるじゃん」
その辺はどうなのさ。
凉にぶつけられたその問いに、答えることは出来なかった。
「じゃあまずは一年!整列!」
「うっす!」
「い〜っす!」
神嶋の指示にバラバラな返事をした彼らは正門の前に横一列に並ぶ。これから彼らは学校の建っている丘のてっぺんまで走り、自転車部の練習場所にもなっている急坂を下り、丘の周りを二周してから中腹にある正門まで戻って来る。タイムを測ることになっており、最下位はペナルティとして腹筋五十回となっている。しかし海堂はそのペナルティを廃止させた。
距離にして約六キロ。距離そのものは大したものではないが、勾配の変化が激しくペース配分を問われる。走ったならば、その後はまずは身体が冷える前にストレッチをして筋肉をほぐすべきである。というのが廃止させた主な理由だ。
「走った後のストレッチを怠るのは危険です。練習中に足がもつれて転び、複雑骨折したら?旧体育館に行くには階段を上ります。立ちくらみを起こして転び、脊椎や腰椎を折ったら?筋肉や腱が断裂したら?……取り返しのつかないことになったら、どうするんですか」
バレーを失ってもいいんですか。という海堂の静かな、しかし悲痛な響きを持つ問いに、そのときの体育館は静まり返った。経験者の言葉は重い。目の前にいる実際にバレーを失った人間の言葉は、何より重かった。
海堂はその他にもいくつかのトレーニングを廃止、または改善した。いずれも身体に過度な負荷を与える、もしくは時間を使うようなことではないというのが主な理由だ。海堂のやることは効率を重視しつつ、プレーヤーの身体への負荷を考慮したものである。
しかも、これらは確実に成果を出した。
トレーニングの効率が良くなったことで練習時間内で出来ることが増え、加えて身体への無意味な負荷が減ったことにより疲労感が変わった。以前より周りを見る余裕も増えた。少なくとも倒れて動けなくなるということもなくなった。火野がそのことを海堂に言うと、見ているこっちが腹立たしくなるような偉そうな態度で海堂はこう言った。
「大体、まだ身体が中学生に近い一年生に二年生と同じ負荷をかけるのがおかしい。つまり、今まではそれとも知らずに先輩たちのメニューに合わせていた。要はバカなことしてたってこと」
それを聞いた火野は掴みかかりそうな勢いで何か言っていたものの、否定出来ない事実ではあった。それにいち早く気が付いたのが海堂であり、彼らの身体を一番に考えているのも海堂だ。
態度こそ腹立たしいものの、今の時点では最高の人材であることに変わりない。いつも海堂の発案は彼らの斜め上をいく。しかもそれは大体「そんなこと気にしてなかった」と思うようなことばかり。チームを外側から客観的な視点で見ることのできる海堂は、入部してから一週間ほどしか経っていないが、今や北雷高校男子バレー部にとって欠かせない存在となっていた。
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