2章1話:成長期
「一年もメニューに慣れてきたな〜」
「な。初めは一周しただけでヒイヒイ言ってたけど、今は俺たちの掛け声に反応出来るくらいの余裕は生まれたし」
久我山と瑞貴の会話を聞きながら坂を登って来る五人の姿を探す。もうそろそろ一周してもおかしくない。そう思っているとちょうど正門近くまで走って来た。
「あと一周!ペース配分しっかり!」
「持久走の呼吸法、大事にな!」
「焦るな、焦るな!」
「ペース保て!」
「気合い、気合い!」
能登が叫ぶと、それに海堂は冷静にコメントした。
「能登さん、気合いじゃ走れません」
「いや、それは分かってるけど……。なんか精神論的な?気張れよ的なアレ」
「精神論で走れますか?……メロスじゃあるまいし」
「まあまあ、あんまり突っ込んでやらないであげなヨ」
冷静かつ的確なコメントにたじろぐ能登を野島がフォローする。
「……私、精神論とか大嫌いなんですよね」
「ふ〜ん、何で?」
「精神論で上手くなれますか?無意味に負荷を与えて身体が出来ますか?って話になりません?下手をすれば怪我をします。もし主力のプレーヤーが怪我をすれば、大きな戦力ダウンに繋がります。そんなことも分からない指導者ってどうなんですかね」
辛辣だが的を得ている冷たい言葉に野島は苦笑いした。
「ん〜、まあ、そうだネ。海堂の言い分も分かるヨ」
風が吹いて野島の柔らかい髪を揺らす。高台にある正門からは、遠くに太陽を弾いて眩しく光る横須賀の海が見えた。
「言ってることは全然間違ってない。でもちょっと言い方がキツいかも。みんなビックリするからもう少し優しく言ったら?正しいことを言ってるのに、すごく尖って聞こえちゃうからサ」
その言葉に海堂は呆然とした顔になる。まさに虚を突かれたという顔で、滅多に見せないマヌケ面を晒している。
「……」
ん?おれ変なこと言った?と言いながら首を傾げる野島に、海堂は返事も出来ない様子だった。
「……あんまり、考えたことなかったので」
「そっか。じゃあこれから直しなヨ。間違ってないんだから。ネ?」
目元に泣きホクロのある目が優しく微笑んで、血色の良い薄い唇が綺麗な曲線を描く。
「……はい」
すっかり毒気が抜けて勢いを削がれた海堂のその様子を見た神嶋は軽く苦笑いする。
「野島はすごいな」
「そう?暴走した人を抑えるのは慣れてるっちゃ慣れてるけど……」
主に朱ちゃんのせいで。と付け足せば川村は決まり悪そうに目線を逸らした。
「神嶋もけっこう苛烈だよネ〜。去年やらかしたもんネ〜」
「野島、それは……」
「言わないヨ!分かってるってば!」
いきなり焦ったらしい神嶋のセリフに野島はイタズラっぽく笑う。他の二年生もニヤニヤ笑っていて何やら怪しいが、海堂は面倒くさくなったので言及しないことにした。
しばらくして一年生全員が正門前に戻って来る。すっかり息が上がっていた。
「うおお〜!疲れた!水筒!」
「何でそんなデカい声出んの……」
大声で喚く火野を凉がド突き、フラついた先にいた海堂が退いたせいで火野は前回りするように転ぶ。
「おわわわわ⁈」
「火野⁈」
「火野〜!死ぬな〜!」
それから真っ直ぐ立ち上がり体操選手のようなポーズを決めた。
「び、びっくりした……」
「……すげえ」
近くにいた他の部の部員も驚いたような顔をしている。
「凉!危ねえだろ!」
「ごめん……。もうやらない……」
見ていた周りがやっと落ち着いたときになって、火野は腕を掴まれた。
「怪我は⁈大丈夫⁈」
火野の腕を鷲掴みにしているのは海堂だった。血相を変えて、まるで縋り付くような勢いに火野は一瞬怯み「だ、大丈夫……」と細い声で言う。次に後ろにいた凉の襟首を凄まじい勢いで掴んだ。
「凉!これで何かあったらどうするつもりだった⁈」
「ごめんって!反省してるから!」
「火野の運動神経が良いからこれで済んだから良かったけど、背骨でも折れてみろ!下手したら死ぬ!死ななくても!半身不随とかになったらどうするんだ!」
その剣幕に他の一年生は驚いて声も出ない。みんなが呆然とする中、神嶋が動いた。
「海堂、止めろ」
「神嶋さん……!」
「言いたいことは分かった。確かに危ないことではあったが、凉だってバカじゃない。もうやらないはずだ」
海堂を引き剥がした神嶋は海堂を右腕一本で抑えながら凉を見る。
「凉、海堂が言ったのは間違いじゃない。これで取り返しのつかないことになって苦しむのは火野とお前だ。軽率な行動を取らないように気を付けろ。いいな?」
「……はい」
低い声音でそう言われた凉は神嶋の背負う圧に気圧されて静かに言った。
「これで満足か?」
右腕で抑え付けている海堂に目線をやり、頷くのを確認する。
「よし、じゃあ二年生!外周行くぞ!」
「おえ〜い!」
「しゃっ!今日は俺が一位だから!最下位は一位にアイス奢りな!」
「能登!」
「嘘です!」
変わらず騒がしい二年生を見送り正門前に残された一年生はストレッチを始める。それを隣で見ていた海堂は少し雲の出始めた空を見上げた。
「うわ……、雨雲っぽい」
「そう?よく分かるね」
近くにいた高尾がそう言うと海堂はストップウォッチのディスプレイを見てから短く答える。
「だって色が暗くて位置が低いし。傘持ってないな」
「ギリギリで降られるのは嫌だよね」
そんな会話を交わしつつ二年生の外周が終わるのを待っていると、早くも箸山が一周して来たらしく正門前を通過して行く。
「箸山さ〜ん!あと二周っすよ〜!」
「箸山さんファイト!」
そのすぐ後ろから川村がやって来てそれと競り合うように瑞貴が並ぶ。それからしばらくして神嶋が戻って来るが、正門前に膝を突いて靴紐を結び直している間に久我山に抜かれ、舌打ちしてから追いかけた。
「……神嶋さんてさ、口汚く言うことはないけど舌打ちは普通にするよね」
「そうだね。あとイライラすると唇噛むよ。だから唇が切れてるんじゃない?」
「あ〜、確かに」
呑気に話しているうちに二年生も走り終えて門の内側に走り込んで来る。
「……一位は俺だったな」
「はいはい、負けましたよ!」
箸山の後の川村の、さらにその後の能登がゼエハア言いながらしかめっ面で叫び返す。
「アイス」
「はあ⁈」
戻って来た順に各自ストレッチを始め、身体が冷える前に筋肉をほぐす。それを終えると再び旧体育館に戻りボールを使った練習に入るのがルーティンだ。
「アンダーパス百回の後に連携練習!三人組作れ!」
北雷の連携練習では三人組に分かれ、レシーバーとセッターとスパイカーに役割を分担する。プレーヤーは全部で十二人なので四つ同じグループが出来る。それらがコートの片面に二つずつ入り、片方が打ったスパイクをレシーバーがセッターに返し、スパイカー役が打つ。グループ内で役割を回していき、十周したら終わりという練習である。
これは海堂の発案による練習方法だ。一人のプレーヤーが交互に様々な役割を負うことにより技能を磨くというのが目的らしい。
個人でやるよりもボールのコントロールを意識出来ること、実際にゲームの中でどのような動きするのかを覚えられることが主な理由だ。この練習を始めてそこまで時間は経っていないが、火野のレシーブのボールのコントロールは目に見えて改善した。紅白戦での動きも遥かに良くなり、効果が出ていることが分かっている。
連携練習前のアンダーパス練習の間に、海堂は二台のカメラを繋いだパソコンの前に座り込み最終確認を始めた。
(二台ともちゃんと繋がってる。画面も二つに分けた。……あ、AとBって書いてテープ貼っておくか)
動画を使って練習するのは海堂も初めての経験だ。しかし、弟の翔がよくスマートフォンを使ってリフティングやシュートフォームの確認をしているのは見たことがあったので何となく想像はついていた。
アンダーパス練習が終わってチーム分けに移行する。チームに分かれてサーブを打つとともに練習開始だ。
「ナイッサー!」
「一本しっかり!」
飛び交う掛け声を聞きながら海堂の目はパソコンの画面に釘付けになっていた。
一番海堂に近いコートで長谷川がボールを上げる。
「能登さん!」
「よっしゃ!」
ボールを両手で受け止めた能登は、神嶋にそれを返す。ボールは丁度良いタイミングで神嶋の右手に吸い付き、次の瞬間ドッという重い音とともに凉の腕に受け止められる。相手チームがボールを回している間に長谷川と神嶋、能登の位置が入れ替わり、それぞれが役割を交代した。
「ヌマヌマ!」
「おう!」
凉の腕に受け止められたボールは水沼の両手に収まり、野島の右手に向かって飛んで行く。
「野島さんっ!」
「はいヨ〜」
気の抜けた声とともにスパイクを打った野島は危なげなく着地して配置を入れ替える。
(思ったより慣れてきている……)
初めは配置の入れ替えでもたつくこともあり難しいかと思っていたのだが、どうやらそうでもないらしい。初めより全てが遥かに順調に進んで行く。
一通り練習が終わったあと、全員にパソコンの前に集まってもらう。
「再生します。繰り返し見たいところや止めたいところがあったら言ってください」
画面をクリックして動画を再生する。全員揃っているので狭いうえに何となく暑いが、そこは気にしない。
「……ストップ!」
野島の声が飛んで再生を中断する。
「このときのおれサ、めっちゃ肘下がってない?これやばくない?ひどすぎない?」
「お〜、確かにこいつはひどいな」
「踏切もダメだった気がする……」
ブツブツ言う野島の横から水沼が謝る。
「すいません、俺、このときトス速かったっすよね?だから上手くいかなかったのかもしれないです。……気をつけます」
「ううん、おれもちゃんと踏み切れてなかったからお互い様だヨ。あ、海堂、ありがとう。もういいヨ」
再び再生を始める。何度か止めたり繰り返したりをやっている間に議論が白熱していた。
「だから、多分このときはトスの速さが合わなくて……」
「パワー無いな。ブロック破れねえぞ」
「助走のタイミングは?」
「今はこの練習だからこの程度でいいけど、もうちょい手首のスナップ使って回転かけたほうがいいかも」
「本番だとこの勢いは止められるし、もっとフロア見ないとレシーブされるよ」
「オーバーハンドが下手なんじゃね?もっと練習しろよ」
「あ、でも俺の思うに、このときって……」
学年もチーム分けも関係なく互いの意見が飛び交う。思ったことをそのまま口に出し、それが自分のことで無かったとしても、改善案や理由を考える。議論が活発になればチームメイト同士でのコミュニケーションも増えて互いを知るきっかけになる。
北雷には「圧倒的な天才」というものがいない。誰か一人が圧倒的な実力で引っ張るワンマンチームの形が成立しない以上、連携で勝つしかないのだ。そのために必要なのは、チームメイト同士の信頼を深め互いを知り、そして「正しいワガママ」を言えるようになること。
これが海堂が目指していたチームの形だ。思っていたよりも遥かに早くそれが実現可能だと分かり、密かに満足する。
(思ったより、上手くいきそうだ)
北雷高校男子バレー部の、進化の日々が始まる。
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