4章15話:繋げ

 一方同じ頃、体育館二階にいる緋欧学院の二人組は……。

「北雷のセッター、キツそうだな。顔に余裕がねえ」

「そりゃキツいよ。大方、エースが戦線離脱して、残ったスパイカーの使い分けに苦心してるとこでしょ」

 和也の一言に堅志はそう言って口に入れた喉飴をコロコロ言わせる。さっきまで立っていたのだが、二人は床に座ったまま高みの見物を決め込んでいた。

「しかし、まさかあそこで戦線離脱とはな。しかも顔面ブロック。柳原相手にあんなことするなんて、なかなか無いぜ」

「鼻血出ないほうがおかしいわ。てかオレなら無理。絶対諦めた。だって痛そうだもん」

 堅志は顔を横に振って顔をしかめる。

「アホ言ってんじゃねえぞ。一点くらい俺が音速で取り返してやらあ」

「ほらね。だから無理しなくていいの」

 そう続けてから、堅志の目がすうっと細まった。手入れの行き届いた指を絡ませ、首を傾ける。茶髪が淀んだ暑さの中に揺れた。

「オレの経験談だけどさ、全力出す状況って二種類あンだよね。やってきたこと全部ぶつけるために全力を出す状況と、本当に後が無くて必死で全力出さないとマジで終わるって状況。んで、悪いのは後のほう。後のほうのときって、何かしらトラブルが起きンだよ」

「何が言いたい?」

「今の北雷は、後のほう。セッター君に余裕が無い。異様に張り詰めてる。加えてエース君が戦線離脱。特別上手い訳じゃないけどパワーあるし、サンショーのブロックを破るには必須だった。第一セットで退場したヤツはパワーは無いけどプレーが丁寧。代わって入ったのは初心者。十二番もだろうね。レシーブが死ぬほど下手」

 和也の目が鈍く光り、低い声が紡がれた。

「……大穴が空くな。初心者が二人いて、エースがいない。カバーにリベロと一番と二番が回っても、それがバレたら裏をかかれる。成績がふるわないとはいえ、腐っても県四天王。サンショーの連中には、そのレベルの頭も腕もある」

「北雷はまだ幸運だったね。サンショーじゃなくてウチが相手だったら、即ボロ負けだ」

 二人の目に冷酷な光が宿る。バレーの高みを知る彼らの氷のような言葉は、誰にも届かず淀み熱された空気の中に溶けた。

 

 再びサーブ権がサンショーに移る。次のサーバーはミッドブロッカーの真田響だ。

(迷わず四番狙いだな)

 北雷側コートの前衛センターに立つ野島に狙いを定める。ファーストタッチが野島になればその後のセットアップが乱れ、攻撃の起点が変化する。それを真田は狙っていた。

(リベロと二番がアホみたいに器用でセッター代わりになれても、本職には勝てねえ。乱れたセットアップで全力で打ち抜けるスパイカーがゴロゴロいそうな気もしねえ)

 唇の両端が震える。自分の中の勝利を嗅ぎつける感覚が、待ちわびたそれを求めて低く低く唸っていた。

 審判の笛が鳴る。走ってからボールを空に放り上げ、自分も跳ぶ。何千回と繰り返した動作のままに腕がしなった。青と黄色のボールが狙い通りに野島の腕に当たり、爆ぜてコートの外に出る。

 三浦商業、十五点。北雷高校と同点に追い上げた。マッチポイントの二十四点までは九点。コートの内外が興奮で吠える。

「追いつかれた……!」

 能登の小さな声が焦りで震えた。ちらりと目線をベンチにやるが、海堂は至って落ち着いている。動かないということは、このまま続行しろということだ。

(マジか!どう考えてもヤベエのにタイムアウト取らねえの⁈)

 神嶋と目線がかち合う。言葉のやりとりは無かったが、神嶋は首を横に振った。焦る能登とは対照的に動揺が見えない。泰然自若として重力を無視したようにすら見える長身は、真っ直ぐと立っている。だが、その身体を闘気が覆っていた。それを見て能登は苦笑いする。

(……全く、大した主将サマだ)

 個性的すぎるバレー部を率いるあの男は、後輩を導く良き先輩としての面が多い。リーダーシップに溢れ、常に言葉よりも行動で自分のやりたいことを示す。

 今は全身を闘気で覆い、まだ戦いを終わらせるつもりが無いと全身で語っていた。精悍な横顔には、普段は隠しているつもりらしい苛烈で獰猛な一面がチラつく。

 軽く息を吐いてから、顔を叩く。

(頑張れ、俺!試合は続くんだよ!)

 再び真田のサーブで試合が再開する。

「真田!ナイッサー!」

「二点連続サービスエース!」

「ノータッチエース取れ!」

 周りの叫びを受けつつ、真田はエンドラインに立つ。手の中でボールを転がし、ぬるい感触を確かめる。放り上げたボールが弧を描いて落ちて来るのに合わせ右腕を振り抜く。

「火野!触るな!」

 取りに行こうとした火野を牽制する鋭い声が上がり、それとは反対の方向から久我山が飛び込んで来た。肌が叩かれる音がしてからボールが上がる。それを追った野島が走り上半身をしならせてトスを上げた。

「ライト、バックアタック来るぞ!」

 サンショー側コートで高階のブロックの指示が飛ぶ。その方向には跳び上がった神嶋がいた。上がったトスにベストのタイミングで合わせた神嶋は強烈なバックアタックを叩き込む。小平が拾い上げて東堂に送ろうとするが、威力を殺しきれず東堂のフォームが崩れた。崩れたまま上げたトスに、高階と古湊が食らいつく。古湊の右手がボールに擦り、高く高く弧を描いた。

「落ちるぞ!レシーブ!」

 能登がボールから目を離さずに声を張り上げ、落ちて来るボールを拾うために久我山が床に飛び込む。それを追おうとする火野を牽制する声が上がる。

「触ンな!」

 それから軌道を捉えてボールを上げた久我山が叫ぶ。

「野島!」

 分かっている、と言わんばかりの顔で、野島はトスを上げた。その先には火野と瑞貴が待ち構えている。

「十二番マーク!」

 東堂の絶叫が響く。

「ブロック二枚!」

 久我山の声が上がる。

 上がったトスは瑞貴を素通りし、火野の右手に吸い付く。

(来たな、十二番!)

 柳原は目の前のボールを打ち抜こうとする火野と目が合う。

(次は点取る!)

 火野の目がギラつき、右腕が閃いた。

 ガッ!と凄まじい音をさせて柳原の両手がスパイクを叩き落とす。審判の笛が鳴り、サンショー側のコートが興奮で沸き立った。

 三浦商業、十六点。北雷高校の得点を、ついに追い越した。

「ッシャァァア!追いついたぞコラ!」

「ヤナ!ナイスブロック!」

 茫然としている火野の様子を見た野島は一人で小さく頷く。火野の肩を瑞貴が叩いた。

「火野、しっかりしろ。今のは効いたかもしれないけど、まだ一点差。バスケじゃないんだ、一気に三点も二点も取られない」

「……っす」

 な?と言った瑞貴の手を剥がし、火野はそう答える。

「おいおい、大丈夫かあ?」

 その様子を見ていた久我山の小声での一言に、野島は分からない、と首を振って見せる。

「心配だな。ここでダメになられると、ちょっとまずいぜ」

 能登は神嶋にそう言ったが、話しかけた相手は何も言わない。横顔に浮かぶ獰猛な色は全く変わらず、能登の言葉も聞こえていないらしい。

(な〜んか、ちょっとヤバそうじゃない?)

 再びベンチを見る。だが、海堂は何もしない。明らかな劣勢にも関わらず、鬼才は何も言わないのだ。

(アナリストは何考えてんのか分かんねえし、主将は完全に違う世界行っちゃってるしエースはいねえとかどういうことだよ……)

 呆れながらついでに腹を立て、能登はため息をつく。そのとき、声が上がった。

「みんな、ここはしっかり踏ん張ろう」

 その一言に全員がそちらを見た。そこにいるのは、野島尊。色白の顔に浮かべた表情には凄みが浮き、焦りは微塵もない。

「試合が終わらなければ、その内に朱ちゃんが必ず戻って来る」

 見慣れた顔の見慣れない表情。その違いに北雷の誰もが黙る。

「バレーは地道なスポーツ。逆転ホームランもハットトリックも無いから、一点一点積み重ねるしか勝つ方法が無い。だけど、それは向こうも同じ」

 芯の通った声がコートに落ちた。

「だからおれは諦めない。セッターが諦めないんだから、スパイカーが諦めるなんて絶対に許さないヨ。てことで、全員、そのクソ情けない顔は今すぐ止めろ」

 普段とはかけ離れた言葉遣いに驚いたメンバーが唖然としていると、野島は火野の背中をバシン!と叩いた。あまりの痛さに火野は声を上げる。

「痛ッ⁈ええ⁈何すんですか⁈」

「一番情けない顔してるから。ちゃんと切り替えて。本気で怒るヨ、おれ」

 普段は穏やかな野島の冷たく強い言葉に、火野は完全に萎縮する。

「す、すんません……」

「もっとブロッカーよく見て。考え無しに打ったって点取れるわけないんだから」

 鋭く的確な一言に火野の頭が冷えていく。それから野島の目線が神嶋を捉える。

「あのサ、何で主将が黙ってんノ?こういうのは主将の仕事デショ。おれの仕事じゃないんだけど?」

 野島のきつい言葉に神嶋はつ、と目線を動かす。それから冷え切った声音で答えた。

「考えごとを」

「考えごと?」

「見たくなかったモノを見つけてしまったから、集中するためにそれを頭から消すのに必死だった。悪かった」

 明らかに様子が普段と違うが、集中の度合いは悪くない。これはむしろ放置すべきと踏んだ野島は

「そう、ならいいけど」

 の一言で片付ける。そして両手を打ち合わせた。

「みんな、ここからだヨ。昔から、劣勢からの逆転勝利が一番熱いって相場が決まってるんだから……!」

 力強いセッターの一言に、全員が頷いた。

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