4章16話:笑う鬼才

 真田のサーブを上げた瑞貴からのボールを受けた野島は、目線を北雷とサンショーのコートに走らせる。

(向こうのブロック、一番高さがある。生半可なスパイクじゃ捕まる)

 チームの士気を上げるための一点を誰に託すか。歴戦のセッターの頭脳が音を立ててフル回転した。次の瞬間には野島の両手からボールが放たれる。神嶋と能登を素通りし、向かった先は火野和樹。

 ボールが視界に入る前から、火野は打つ気だった。

(力が足りないのは分かってンだ!それでも今は、やるしかねえ!)

 この数ヶ月に渡って鍛えた全身が唸る。ブロックの動きがいやにハッキリ見えるのに気がつき、燃え盛る心とは反対に頭は冷えていた。

(川村さんにはなれねえ!だから!あの人に繋ぐために!今度は!オレが!絶対に!)

 視界にボールが飛び込んで来る。右腕が閃いて、高階の手間を叩き割るイメージでスパイクを放つ。

(オレが!!点を取る!!)

 審判の笛が鳴り響き、北雷高校は十六点目をカウントする。

「おおおおおああ!」

 右腕を突き上げて絶叫し、血が沸き立つような熱さを自覚する。世界が燃えている。そう錯覚するほどに、身体が熱い。

「火野!ナイスキー!」

「よくやった!」

 神嶋と久我山に挟まれて頭を撫でられ、肩をグイグイと強くさすられる。

「いいぞ、その調子だ!」

「はい!」

「よしよしよし!男見せたな!火野、お前最ッ高だ!」

 わしわしやられている火野をみていた高階は唇を噛んだ。火野のパワーだけのスパイクに、高階は全く反応出来なかった。

(何だ、あの十二番。さっきまでブロック見てなかったくせに今はちゃんと見てた。セッターに何か怒られてたけど、そんなにすぐに出来るようになるか?)

 内心そう呟きながら両手をこすり合わせ、後ろを見る。

「すまん!ミスした!」

「大丈夫、大丈夫!たったの一点だ!取り返すぞ!」

 後ろからの言葉に頷き、前を向き直す。ここが正念場だ。押し殺すように息を吐き、目の横を伝う汗を拭った。

 サーブ権が北雷に移り、同時にローテーションとなる。北雷のサーバーは能登。ボールを手に持ち、何度か床に叩きつける。

(狙いはセッター。攻撃の起点をブッ潰す)

 審判の笛が鳴り響き、助走に入ってからボールを上げた。

(お返しだ!)

 ジャンプサーブに見せかけた、ジャンプフローターサーブが炸裂する。リベロの小平の守備範囲を大きく外れたセッター近くのラインを狙う。レシーブしようとした東堂の手前にボールがカクンと落ち、横から滑り込んできた高階も間に合わない。

 審判が笛を鳴らす。北雷高校の十七点目は副主将、能登朝陽の絶妙なジャンプフローターサーブがもぎ取った。

「っしゃ!十七点!」

 闘志をむき出しにした表情で笑い、能登は右腕を突き上げて叫んだ。

「点差つけたぞ!ナイス!」

「ナイッサー!」

 北雷の歓声に対し、サンショー側も負けじと声を張り上げる。

「まだまだやンぞ!この野郎!」

「らっしゃぁぁぁ!」

 引き続き、サーバーである能登にボールが回される。

「能登さん!ナイッサー!」

「もう一点!」

 向けられる声援を受け軽く右手を振って見せた。手に持った青と黄色のボールを転がしながら、審判の笛を待つ。

 肋骨の内側で緊張に跳ねる心臓が痛い。バクバクというよりも、ガンガンという擬音の方が似合いそうな気がする。だが、能登はこの時間が嫌いではなかった。黙って待つことで、感覚が鋭くなる気がするからだ。

「オールラウンダーの本気見せたれ!」

 久我山の怒声が響いた直後、審判の笛が高らかに鳴る。緊迫が最大限まで張り詰めるのと同時に能登はサーブを放つ。

 しかし床に落ちるその前に、ギリギリで小平が滑り込む。

「リンッ!」

 鋭い声とともに上がったボールは綺麗にセッターへと返球された。それを受け止めた東堂は、見事なフォームでトスを上げる。

「ヤナ!」

 東堂の声に瑞貴が叫ぶ。

「柳原来るぞ!」

 北雷側のコートに緊張が走った。また、あのスパイクが襲って来る。

「後衛ブロックフォロー!」

 神嶋の指示が飛び、それと同時に柳原が右腕を振り抜いた。瑞貴の両手に柳原のスパイクが叩きつけられ、肉が叩かれる鈍い音が鳴る。ボールは瑞貴の手を軽々と飛び越えた。

「……ッ!」

 痛みに顔をしかめつつ瑞貴は着地する。レシーブに行った久我山は間に合わず、三浦商業高校は十七点目を記録した。再び追い付かれ、戦いはさらにヒートアップする。

「ナイスキー!」

「っしゃあ!もっかい追いついた!」

「ヤナさんナイスキー!」

 瑞貴は後ろを向いて

「ごめん!止められなかった!」

 と声を上げる。すると

「切り替え!」

「まだ一点!取り返すぞ!」

 と威勢良く返事が来て同じタイミングでベンチからも声が上がった。

 サーブ権はサンショーに移り、サーバーは古湊になる。

「アッキー派手にブチかませ!」

「古湊さん頼ンます!」

「古湊さんナイッサー!」

「らっしゃあ!任せとけ!」

 胸を叩いて答えた古湊はボールを受け取ってエンドラインに立った。

(ぶっ潰してやンよ、クソ生意気なダークホース!)

 十八点目を自分のサーブで決めるつもりの古湊は、走り出してからボールを上げる。右腕から放たれたジャンプサーブを追って火野が動くが、間に合わない。

(やば……!)

 床に滑り込んだ火野の斜め前から神嶋が飛び込んで、ギリギリで床とボールの間に手を差し込む。ボールは野島の方へ飛んでいく。

「くそッ!」

 間髪入れずに立ち上がった神嶋は舌打ちをしつつ走る。攻撃に備えての動きだったが、ギリギリで上げたボールは、野島の手には収まらずにコートの外に出た。

 審判よ笛とともに得点板の数字が増える。

「オラオラオラぁぁぁあ!見たか!十八点目じゃ!」

 ガッツポーズを決めた古湊に高階と真田が飛びつく。

「アッキーナイス!」

「古湊さん最高ッス!」

「あっはっは!崇めよ、讃えよ!」

 沸き立つサンショーに対し、北雷には隠しきれない焦りと緊張が滲む。そのとき、低い声が落ちた。

「焦るな」

 低い低い声で、ともすれば聞き落としそうなくらいである。全員がその方向を見ると、そこには神嶋がいる。

「焦ってミスを連発でもしてみろ。それこそ終わりだ。ここで終わったら、この夏に上の大会に行くための道は無い。分かってるだろうな」

 目にはぞっとするような冷たさが浮かび、普段の「面倒見の良い主将」の面影はどこにも無い。隠しきれない獰猛さが片鱗を覗かせ、全身に闘気を纏っているようにすら見える。火野の背筋に冷たいモノが伝った。

「何としても勝つ。俺は必ず勝つと決めてるんだ。諦めるにはまだ早すぎるから、お前たちにも、最後の最後まで付き合ってもらう」

 神嶋が話し終わり、ボールが古湊に回される。それを見て彼らは元の位置に戻った。焦りは消えたが、違和感が残る。神嶋の異様な覇気はまだ消えていない。だが、試合は変わらず続行される。

「古湊さんもう一本ナイッサー!」

「サービスエース!」

「ノータッチエース狙ってけ!」

 審判から合図が出て、古湊がサーブに入る。先ほどと同じジャンプサーブを火野は再び追いかける。しかし、火野より先に久我山が滑り込んだ。

「野島ッ!」

 きれいに返球されたボールを野島が音もさせずに受け止める。既に助走を済ませて空中にいた神嶋にトスが上がる。

「ブロック三枚!」

 能登が叫ぶ。

「ッラァ!」

 鋭い声とともにスパイクが一閃。サンショーのブロックを叩き割ったが、コートに突き刺さる寸前で小平が拾い、東堂に送られる。

「ブロック!」

 野島の指示が飛び、前衛三人が構える。東堂のトスは、不屈のエース・柳原将司の右手に吸い付いた。次の瞬間、柳原の右腕が振り抜かれてボールがブロックを掠める。

「ワンタッチ!」

 瑞貴の絶叫に久我山がボールの下に走り込む。それを見た火野は助走に入った。視界の端で、能登も助走に入っている。久我山の不安定なトスが上がる。野島に比べると精度も何もかもが下回るが、それですらも頼るしかない。

 久我山の上げたトスが能登を素通りする。右腕が派手に空振った。

(よっしゃあ!ブロックがいねえ!)

 目の前に飛び込んできたボールに向かって火野は右腕を振り抜く。ノーマークでのスパイクだったが、古湊が弾き上げた。

 また東堂に返球され、柳原と高階、真田が跳ぶ。

「ブロックフォロー!」

 能登が叫んだ次の瞬間、柳原の鮮烈な速攻が決まる。威力も速さも一級品の速攻だ。

「ッシャァア!十九点目!」

「ヤナ、ナイスキー!」

「ヤナさん!ナイスキー!」

 さらに沸き立つサンショーに対し、ベンチのメンバーは焦りを隠せない。コートの中のメンバーも、さすがに硬い表情をしている。普段と変わらないのは野島と神嶋だけだ。

「ブレイク……」

 箸山の鉄仮面にも習字の墨が滲むように薄らとした焦りが現れる。

「どんどん点差が開いてる。海堂!タイムアウトは⁈」

 高尾の言葉に海堂は首を横に振る。

「これでいい」

「これでいいって何が⁈負けるぞ⁈」

 腰を浮かせてそう叫ぶが、海堂は何も言わない上に全く動かない。パソコンに何かを入力してから高尾の目を見る。

「高尾、黙って座って」

「……は?」

「これでいいんだ。何一つ間違ってない。だから、黙って座って」

 三白眼の圧といつもと変わらない口調に気圧され、高尾はプラスチックのベンチに腰を下ろす。

「海堂、ちゃんと教えてくれよ。お前、何考えてんの?」

 長谷川の言葉に、海堂は凶悪な笑みを見せた。

「教えない」

「……いや、は?何?何がしたいの?」

「試合が終わったら分かるよ。私のやりたいことは。全部ね」

 吊り上がった唇の端から尖った八重歯が覗く。白く艶々とした歯は体育館の照明でぬらりと光る。

「何で教えてくれないわけ?」

「長谷川、試合再開だよ」

 長谷川の問いには答えず、鬼才は笑ってコートを示した。

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