4章7話:勝てれば良い

 凉が悔し涙に頰を濡らしていた頃、体育館では北雷のメンバーが話し合っていた。

「凉とチェンジするのは……」

 海堂の目線がそちらに向く。

「瑞貴さん、よろしくお願いします」

 瑞貴はアップゾーンで数回高くジャンプしてから親指を立てて見せた。

「おっしゃあ!俺に任せとけ!」


 同じ頃、二階にいた堅志はと言うと、隣の和也にスマートフォンの画面を見せていた。

「さっき撮った北雷のマネなんだけど、こっちも見てよ」

 そう言って検索をかけたページを見せる。ネットニュースのスポーツの記事を開いたままスマートフォンを手渡され、それを読んでから目を大きくは見開いた。

「海堂聖……⁈」

「やっぱ知ってたか」

「コイツが神奈川県代表になった年のことはよく覚えてる。同世代のプレーヤーの情報は入れておくようにしてたからな」

「直接プレーを見たことはないんだけど、和也は知ってる?」

 軽い気分で問いかけたが、相方は眉根を寄せて考え込んだ。

「……あの強さは、ある種異常だった」

「異常?」

「俺は生で試合を観たことがある。アレは、肌で分かる強さだ。男だったら今頃緋欧にいたっておかしくねえ。まさに全国区レベルの強さ。県レベルの連中なんかは歯が立たないだろ」

 普段無駄に言葉を飾らない相方のその言葉に、堅志は首を傾げる。隣にいる和也の表情は険しかった。

「異常、異質……。あの強さを表すには、それ以外に言葉が見つからない。とにかく、本当にレベルが違った。相手の心をバキバキと砕いていくくらい暴力的な才能だった。名前を聞かなくなったと思ったら、北雷にいたのか……」

 異質な強さを誇っていたかつての鬼才を、和也は見つめた。海堂はと言えば、部員に何か指示を飛ばしている。

「あのマネが、北雷のスカウティング担当なのか……。指示を出してるのを見る感じだと、監督の役目を兼任してるのかな?」

「元全国区レベルのエースなら、バレー用の頭が出来てるはずだ。それを全部注ぎ込んでいるなら……、マジでありえるぞ、下克上」

 思わず和也の喉が鳴る。自身がコートに立つだけで相手の戦意の喪失を感じ取れてしまう彼にとっては、こんな面白そうな試合を観るのはずいぶんと久しぶりだった。


 北雷高校、選手交代。九番鈴懸凉に代わりコートに入ったのは兄の鈴懸瑞貴である。これにより、先ほどまでのウイングスパイカーが三人、ミドルブロッカーが二人の体制からウイングスパイカーが一人減りミドルブロッカーが一人増えた。

「まだまだだ!こっから巻き返すぞ!」

「おおッ!」

 集中と流れが途切れた直後のコートの中に再び気合と熱気が充満する。次のサーバーは柳原だ。柳原のスパイクもジャンプサーブも普通よりもずっと重い。そのため、それをいかに上手く上げられるかが課題になる。

「一本ナイッサー!」

「いいの頼ンまァす!」

「さっこォ〜い!」

「っしゃ打ってこいやゴラァ!」

 コートの内外から声が上がる。それを破るように審判の笛が鳴り、柳原が助走に入った。重い踏切の音をさせて跳んだ彼の右腕がしなり、強烈なサーブが放たれる。

 それを後衛に回っていた野島がレシーブする。

「能登!」

 上がったボールは能登へ向かって飛んでいく。

(さあ、どうする!)

 その様子を見ていた高階はそう思い出方を見極めようとコートの中を見る。そして、能登はそのボールを両手に収めた。

(ハァア⁈)

 それから慌ててブロックに跳んだ高階の目は、北雷側のコートに高く跳んでいる川村と神嶋に向かう。しかし、タイミングが絶望的に合わない。

(いや……、おい、ちょっと……?)

 神嶋の前を素通りしたボールは川村の右手に収まり、次の瞬間にはコートに突き刺さっていた。

 審判の笛が鳴り、北雷の得点となる。これで北雷は十八点。サンショーとは二点差になり、食らいついたことになった。

「すまん!ブロック遅れた!」

 そう謝ったが、後ろの古湊は唖然としている。

「ウソだろ……」

 後ろから古湊の声がしてそちらを見ると、ありえないと言わんばかりの顔だった。そして悲鳴じみた声を上げる。

「まさかツーセッターだったのか⁈」

 ツーセッターとは、文字通りセッターを二人起用する方式を指す。コートにセッターが二人いるので、トスを上げない方はスパイカーの扱いとなる。そのため、威力のあるスパイクを打てることが前提だ。

「そんな訳ありませんよ、古湊さん」

「そうですよ」

 真田と東堂の声に、うろたえていた古湊はその声にハッとしてそちらを見た。不機嫌そうな顔のまま、東堂は言葉を繋ぐ。

「今トスを上げた二番能登は明らかにセッターじゃありません。それまでの四番野島よりも遥かに精度が低い。向こうの三番川村も、ギリギリ何とか打てたという様子でした」

 それに真田の低い声が続く。

「フォームも良くない。時間差を作れはしたものの、あれは多分スパイカー側の動きがあったからです。二番能登はセッターじゃない」

 二年生二人の言葉に三年生は唖然とする。

「自信持ってやりましょう。……水無さんも大丈夫だって言ってたじゃないっすか」

 真田はそう言ってニヤリと笑った。


「何ッだ!今の!」

「和也、危ないぜ」

 二階の手すりから身を乗り出した和也の襟首を堅志は掴んだ。

「北雷ってツーセッターなのか⁈違うよな⁈あんなフォームと精度の低さでセッターの訳がねえ!」

 興奮しきった様子でコートを指差し、そう叫ぶ。体育館中に、驚きを含む騒めきが満ちていた。

「いや〜……、ホントにマジでかなりやりたい放題。好き勝手に暴れ回って試合を引っ掻き回すね。勝てれば良いって感じのバレーだ」

 腕を組んだ堅志はそう言い、前髪をかきあげる。

 二人はそれぞれ違う感想を口にする。

「めちゃくちゃだ……。セオリーもクソもねえよ。泥臭すぎる!」

「さすがにビビったわ〜。スパイカーを使ってセットアップして、しかもそれでしっかり得点しちゃうんだから」

 苦笑いしか出てこない二人は、しかし楽しそうな雰囲気を纏っている。

「やばいなぁ、期待より面白いじゃん、この試合。しっかり見ちゃいそうだわ」

「いや、ホントやべえぞ、この試合」

 そう言った和也はスマホを開いてカメラを起動させた。

「そんなしっかり撮るの?」

「羽村に見せてやろうと思ってさ。アイツもこういうの好きだろ。この間余計な仕事頼んだから、まあその礼代わりってことで」

 和也はスマートフォンを操作しながら足下に置いていたスポーツバッグの口を開いて、ペットボトルを取り出す。

「ああ、テーピング?」

 それに頷きながら、和也は中に入っていたスポーツドリンクを飲み込んだ。

「気にしてないと思うけど」

「俺の気持ちの問題だよ。何かさせっぱなしは好きじゃねえんだ」

 そう言う相方を見てから、堅志は下に目線を落とした。


「能登!ナイス!」

「うぇ〜い!やったね!点差縮めたぜ!」

 川村と能登がハイタッチしてからベンチを振り返り、海堂に向かって親指を立てる。海堂はそれに頷いてから、再びパソコンに目を向けた。

「にしても川村、お前よくアレを打ってくれたよ」

 自分でも酷かった自覚はある、と続けた能登の言葉に、川村は眉を跳ね上げる。

「一度向こうの流れ断ち切れたからな。ここらで一発しっかり決めて、景気づけになればいいなって」

「さすがエース。カッケェじゃん」

「うはは!まあ、オレは北雷最強の男だからな!」

「選手は十二人しかいねえけど」

「それ言っちゃお終いですよ、能登クン」

 二人は軽く笑ってから得点板を見る。

「十八点か……。あと七点取ったら俺らの勝ち?」

「だな。ま、デュース無しでの場合だけど」

 その会話に、野島が割り込んで来た。

「能登〜、ナイストス!朱ちゃんもナイスキー!良かったヨ、今の!」

「嫌味ですか……」

 能登の言葉に野島は首を傾げて言った。

「嫌味なわけないジャン。だってどのみちおれのがトスは上手いもん」

「そりゃあな?お前はウチの正セッターだしたな?」

「能登がおれより上手くトス上げたらおれのいる意味無くなっちゃうからあのくらいでいいんです〜」

 唇を尖らせた野島の言葉に能登はゲラゲラ笑った。


 今度は北雷のサーブになる。サーバーは後衛に上がった神嶋だ。

「っしゃ神嶋ァ!一発ガッツリお見舞いしとけぇ!」

「ヘイヘイ神嶋!も一本ナイッサー!」

「やったれェ!」

「神嶋さん!ナイッサー!」

 盛り上がる北雷とは反対に、高階はベンチと周りの声を聞きながら密かに舌打ちした。

(確かあの一番神嶋、初戦の第二セットをサービスエースで討ち取ったんだよな……)

 小平に全部レシーブを任せてはいるが、あの威力とコントロールは恐ろしい。何回か、こちらが判断出来ずに取らなかったサーブて得点されている。

(怖えなぁ、おい)

 打点の高さを武器にした強烈なバックアタックもなかなか効く。何とかして意地でも拾っているが、結局しんどいことには変わりない。

(でもまあ?俺は三年生だし?ぽっと出のヤツらにやられるわけいかないし?)

 他の五人のことを思い出す。これまで、ともに屈辱にも苦痛にも耐えてきた仲間たちがそこにいるのだ。高階は主将として、仲間を連れて全国へ行く義務がある。そして何よりも、ここで負けることは彼のプライドが許さない。

(見てろよ、ダークホース!俺だってガッツリやらせてもらうからな……!)

 プレーが北雷のサーブで再開する。能登のフローターサーブが飛来し、それを小平がギリギリで上げた。その下に東堂がつく。高階はそれを確認してから助走に入る。

 三年間鍛え続けた両脚に力を込めて跳び上がれば、完璧なタイミングでトスが右手に吸い付いてくる。

「ブロック二枚!」

 声が聞こえてから思いっきり腕を振って強打と見せかけ、軟打を打ち込んでやる。すると相手ブロッカーの頭上をすり抜け、ネット際スレスレを落ちた。

 審判の笛が鳴って、サンショー側の得点となる。

「しゃあ!見たか!」

 ガッツポーズを決めて柳原と古湊とハイタッチしてから北雷側を見ると、ネット際に立っている交代で入った瑞貴がやけに落ち着いた目つきで高階を見ていた。

 それに言いようのない違和感を感じる。

(何だコイツ……。普通、何かしらの反応があるだろ……)

 そう思って見ていると、後ろにいた小平がツンツンと背中をつついた。

「ん?どうした?」

「いや、何かずっと向こうのブロッカー見てるからどうしたのかなって……」

 まだ中学生っぽい幼さを残した丸い目がじっと見つめてきて、それに笑い返す。

「ん、何でもねえよ」

「そっすか」

「おう」

 ホッとしてから気を引き締め直す。親の動揺は子に伝わる、という。親子ではないが、自分の動揺が伝わっていたことは間違いない。

(しっかりしろ、俺。主将がビビってんじゃねえ……!)

 

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