5章8話:コーチ

「あ〜、やば。緊張してきた」

 設楽の家に向かう道すがら、能登がそう言った。それを聞いた神嶋が呆れたように返す。

「ただ話すだけだろ……」

「お前みてえな心臓の強いヤツと一緒にすんなよ」

「俺だって大したことないさ」

「あるわ。あんなラインギリギリのサーブ打てるなんて大した心臓してるわ」

 先輩二人の話を聞きながら前を歩いていた火野は、角まで来て立ち止まる。

「神嶋さん、能登さん、ここです」

 門を指差した火野は手慣れた仕草で金具をいじって開く。ドアの横にある呼び鈴を鳴らすと、やや間の抜けた音が響いた。少し待つと鍵が開く音がして、勢い良くドアが開いた。

「あ!かずきだ!」

 聞こえた子どもの声に上級生二人は首を傾げる。ドアを開けたのはふわふわとした髪の幼い少女だ。

「よう、ハルカ。設楽さんいる?」

「今ねえ、台所でねえ」

「おう」

「ゴキブリ出た!って言ってバタバタしてる」

 そう言って少女はケラケラ笑う。

 耳を澄ますと

「あ!くそ!逃した!」

 とか

「ちょこまかしやがって!虫のくせに!」

 とかいう声が聞こえて来る。それからしばらくしてさらにバタバタと物音がして、水を流す音がする。

「ヤス兄!かずき来た!」

 ハルカが声を上げると、またバタバタと音が聞こえた。玄関から見て左側の廊下からやって来た設楽は、火野の顔を見て軽く手を上げた。しかし次の瞬間、廊下と玄関のあたりを区切っているドア枠に頭を激突させる。

 ゴガッと鈍い音がして、設楽はその場にズルズルと座り込む。

「大丈夫っすか、設楽さん」

「日本の家ってさあ、も〜ちょいデカくても良いと思うんだよねえ……」

 その言葉に、神嶋は強く頷いた。

 高校生三人と姪っ子の前で派手に頭をぶつけた設楽は、高校生を居間に通した。

「とんでもないとこ見せちまったけど、改めまして、設楽泰典です」

 居間のダイニングテーブルで向かい合い、設楽は屈託なく笑う。

「え〜っと、俺から見て右が神嶋君でその隣が能登君でいいのかな?」

 二人が頷いて見せると、再び設楽が話し出した。

「経歴とかについては電話で話した通り。それ以上でも以下でもない。わざわざ距離あるのに来てもらって申し訳ないね」

 その言葉に三人は揃いも揃って首を横に振った。

「コイツの面倒見なくちゃならんから、急に家空けられンなくてよ」

 そう言いながら、設楽は床で絵を描いているハルカの頭をわしゃわしゃと撫でる。

「で、来てもらった理由だけど、部活について話が聞きたかったんだわ。和樹に聞くんでもいいんだけど、俺の経験上、情報収集において資料を一つだけに絞るのはあまりよろしくない。せっかく主将と副主将がちゃんといるチームなんだから、チームを引っ張ってる人たちに聞いたほうがいいかと思ってさ。て、わけで、部活について聞かせてほしい」

 すると神嶋は首を傾げてから口を開いた。

「部活について、と言うと、具体的には?」

「週に何日部活をやってるか、朝練の有無、部員の数、設備、それから、大会成績」

「基本は週七日です。火曜と木曜のみ朝練を七時からやっています。定期テスト一週間前からは放課後も朝練も休みになります。これは学校が決めたことなのでそれに従っています。土日の練習は基本的には午前のみ。十二時半には練習を終わらせて、一時には体育館を施錠します」

 それを聞いてから設楽は一度頷いた。

「なるほど。けっこう頑張ってるんだな。じゃあ設備は?」

 その言葉に、三人は一斉にため息をつく。三人の様子を見て設楽は不思議そうな顔をした。

「ん?何?」

「むっちゃオンボロです」

 火野がそう言い、残りの二人も力無く頷く。

「正直なところ、雨漏りしないだけまだマシって感じです。台風が来たら屋根は剥がれると思います」

 能登の言葉に設楽苦笑いした。

「なるほど。なるほどね。そう言う感じなのか。床板抜けたりしない?」

「それは無いです。床板は去年、ウチのエースが踏み抜いてから修繕してもらったので」

 その一言に設楽は吹き出す。

「え?踏み抜いたの?」

「腐りかけてた箇所があったんですけど、俺たち全員それを忘れてたんです。練習中に助走つけて踏み切ろうとしたら、すごい音させて落ちました」

 当時のことを思い出したのか、神嶋は重いため息をつく。

「あれはひどかったな……」

「エースの足は?大丈夫だったのか?」

「木のささくれが刺さったりはしましたけど、バレーに支障のあるレベルの怪我はありませんでした」

「ささくれ抜いたのか」

「ピンセット持って来てちまちま抜いてました」

 当時のエピソードに驚いていたらしい火野は、その様子を思い浮かべたのかゲホゲホとむせる。

「川村さんってピンセット使えるんですか?」

「けっこう器用だぞ?」

「知らなかった……」

「そりゃわざわざ喋ることじゃないしな」

 しばらく微妙な笑いが引かない時間が過ぎてから、設楽が続きを促す。

「で、大会成績は?」

「春の新人戦で、ブロックベスト八敗退。インターハイ予選のほうはブロック決勝で敗退しました」

「OK。ありがとう。で、今は春高予選突破を目指してやってると」

「はい」

 設楽は目の前に座る三人の顔を見た。

「相当辛いぜ?知ってるか知らないか分からないけど、神奈川は激戦区で」

「知ってます」

 食い気味に、火野が答えた。

「県大会は三日かけてやること。初日は、四試合くらいやらないといけないこと。どこも死ぬほど強いこと。……今のオレたちじゃ、全然足りないこと。全部知ってます」

 普段は人懐っこい犬のような火野の、真っ直ぐな目が設楽を貫く。火野の隣の能登もそれに続いた。

「部員は全員腹くくってます。覚悟も決めてました。どれだけ辛くても、泣きたくても、逃げ出したくても、やればやるほど辛くたって、俺たちはやります。教わった分だけ必ず力に変えます」

 そうして最後に神嶋が、深々と頭を下げる。それを見た二人も主将にならった。

「北雷の名前を全国に轟かせるために、もっと上に行くために、力を貸していただきたいです。お願いします」

 居間が静まり返り、ハルカが色鉛筆を自由帳に走らせる音だけが聞こえる。放置されていたグラスの中の氷が溶け、からりと音がした。

「分かった」

 設楽の言葉に三人は弾かれたように顔を上げる。目の前の男は笑っていた。

「引き受けよう」

 顔を見合わせて頷き合う。

「わざわざ来てもらったのは部活の話をちゃんと聞きたかったからって言ったけど、ごめん、あれ嘘」

 ぽかんとした三人に設楽はギラつく目線を投げかけた。

「覚悟のほどを見たかった。生半可なヤツらだったら引き受けるつもりは無かった。でもまあ、一年生がアレだけのことを言えるんだ。大丈夫だろ」

 それから少しニヤリと笑って二年生二人を見る。

「後輩にカッコいいこと言われちまったな」

 二人は若干苦笑いしてから火野の頭をガシガシ撫で、背中を叩く。

「生意気なんだよ、お前は」

「痛ッ!ええ⁈ひどくないですか⁈」

「あんまりナマ言ってると川村にアルゼンチンバックブリーカーかけられンぞ〜?」

「ええ……。あんなことしたらオレじゃなくて川村さんが海堂に怒られると思うんですけど……」

 ギャアギャアやり始めた三人を一度設楽が黙らせる。

「この後のことは和樹を通じて連絡するので大丈夫かな?」

「はい。そうしていただけると助かります」

 神嶋が答えると、設楽は時計を見てギョッとした。

「もう七時半か!高校生早く帰った方がいいよな⁈」

「大丈夫っすよ。オレらいつもこのくらいに学校出てるんで」

 火野はそう答えつつ玄関に向かって歩き出す。途中で神嶋がドア枠に頭をぶつけてうめき、その背中を能登が気遣うように叩いた。

「お邪魔しました」

「ありがとうございました!」

「設楽さん、明日トスください!」

 口々に話す高校生たちを急き立てて帰した後、立ち去る長い背中を見て設楽はくつくつと笑う。

「いいねえ、アイツら」

 設楽の足にくっついていたハルカが、小さく欠伸をした。


 翌々日、学校に復帰した海堂は、部活前に担任から受け取った封筒の中から定期テストの答案を取り出して唸っていた。

(国語……、五十二点……)

 前回に比べたら大幅な点数の上昇だが、低いことに変わりない。赤点は四十二点以下らしいのでかなりギリギリである。

 そっと取り出した日本史の答案の右上に「八十六点」と数字が見える。国語もこのくらい取れればいいのに……、と思いつつ数Aの答案を引っ張り出した。

(七十六。よし。こっちは平気)

 暗記系の科目や計算系の科目はそこそこ取れるのだが、国語だけは出来ない。

 生物と化学は七十点代、英語は二つとも八十点代だったので安心した海堂は、最後に素点表を取り出す。ここにクラス順位と総合得点の学年順位が載っているのだ。

「へえ〜。お前わりと点数良いじゃん」

 後ろから聞こえた声に驚いて振り向くと、川村がそこにいた。

「勝手に素点表見るとか人権失いたいんですか?それとも外周追加されたいんですか?」

「ごめん、ごめん。たまたま見えちゃったんだってば」

 川村は右手に教科書を持っている。二年生の英語の教科書だ。

「川村さん何してるんですか」

「質問に来た。内申稼ぎだな」

「……意外です」

「よく言われるよ。でもほら、3年になってから楽したいじゃん」

 後でな、と言って立ち去ろうとした川村は、ハッとした顔になって海堂を見る。

「お前さ、あの話聞いた?」

「……あの話?」

「あ、知らなかった?一年から聞いてない?」

 首を傾げる川村につられて、海堂も同じように首を傾げる。

「何のことです?」

「コーチ見つけたって話。今間宮っちが学校と話をしてて、上手く行ったら夏休み前にはコーチに見てもらえるようになるらしいぜ」

 突然知らされた事実に海堂は呆然とする。目の前の後輩の表情に川村はあれ?と続けた。

「ホントに知らなかった?」

「し、らない、です」

「そうだったのか。まあ詳しいことは神嶋に聞けよ。アイツと能登と火野がコーチのとこ行ったから」

「どういう人なんです?」

「元男子バレー日本代表セッターの、設楽泰典」

 その一言に海堂はポカンとする。初めて見せた表情に川村は内心驚きながらさらに情報を追加する。

「向こうも高校バレーの監督やりたかったんだって。そういうわけで、今話が動いてて……、って海堂⁈」

 川村の言葉を待たずに、海堂は走り出していた。

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