1章2話:アナリスト

「神嶋!神嶋!」

 翌朝登校した神嶋は教室で野島と話していると、そこに川村が飛び込んできた。

「なんだ、川村」

「どうしたの、朱ちゃん。デカイ声出して」

「いやいや!昨日の一年!調べたらヤバい奴だった!」

 手にスマートフォンを握りしめているのでそれをしまうように促す。北雷高校は、放課後以外の校内でのスマートフォン使用を禁じているからだ。

「落ち着きなって」

「落ち着いてらんねぇっての!とりあえず聞けよ!」

 呆れたような野島の言葉に川村が叫び返したので、廊下を通る生徒達か何事かと三人を

見てくる。

「分かったから。聞くから」

「聞いてみたんだよ、走水に行ってた幼馴染みに。そしたら、一年のときにエースを引きずり下ろした奴が昨日の一年だった!」

「てことは、全中優勝したときの?走水が優勝したときは騒ぎになったよネ」

「全国レベルのチームにいたということか」

「そこで提案!」

 バン!と川村の大きな手のひらが机をに叩きつけられて神嶋は顔をしかめた。

「こいつ、ウチに入れない⁈」

 僅かに時間を置いてから、二年六組の教室に神嶋と野島の大声が響いた。


「海堂、お前バレーやってたの?」

 火野にそう問われた海堂は、その問いを無視した。

「無視すんなよ」

「授業中」

 今は体育の授業中である。しかも雨天という偶然により、何の縁か今日の種目はバレーボールだ。

「おい、ねえ」

 足元のボールを拾い上げた海堂はそれを頭の上に投げ上げる。腕でレシーブして再び落ちてくるそれをまた上げる。

「なあ、海堂」

 単調な作業。落ちてくるボールを投げ上げるだけの。耳に入ってくるのはボールを弾く音だけ。……なのだが。

「……無視すんなよ。感じ悪いな」

 ついに、元々短い海堂の堪忍袋の緒が切れる。

「うるさい……!」

 火野のほうを向いたせいでボールは床に落ちた。何度かバウンドして転がっていく。ああ、上手く続いてたのに。連続三十回目指してたのに。そう思って火野を見れば、なぜか彼も不機嫌だった。

「何、急に話しかけてきて。しかもどうして機嫌悪くしてるの?私はともかく、火野が機嫌悪くなるのはおかしくない?」

「はあ?こっちのこと無視したじゃん」

「人が何かやってるときに話しかけるなってお母さんから教わらなかったの?幼稚園からやり直せば?」

「……確かにオレも悪かったよ。でも、無視しなくたっていいだろ。バレーやってたのって聞いただけじゃん。普通に返事してくれたら、オレだってこんなしつこくいかねえよ」

 海堂は一瞬ムッとしたように押し黙り、静かに答える。

「無視したのはごめん。謝る」

「おう」

「あと、バレーやってたのかって話だけど、そうだよ。やってた」

「やっぱり」

「でも辞めた。てか、もう出来ない」

「出来ない?なんで」

 無言で体育着の長いジャージを膝まで引きずり上げた。その両膝には、縫ったあとが残っている。

「……それ」

「手術したの。事故に遭って、骨折した。他にも怪我したんだけど、そのときに肩と膝も壊した。医者にもう出来ないって言われた。だから辞めた」

「膝ってことは、スパイクとか無理?」

「全部無理だよ」

「じゃあもう一つ。なんで、海堂は北雷に来たの?」

 僅かな沈黙。その後に、静かに言葉が紡がれた。

「女バレが無いから」


「え〜、よって、ここではこの公式を用いて計算します。では次に演習問題をやりましょう。少し難しい応用問題なので、近くの人と話し合ってかまいません」

 教師がそう言ってタイマーをセットした。神嶋はシャーペンで文字式をプリントに書きつける。式を展開している間も、朝の川村の一言が頭から離れなかった。


『こいつ、ウチに入れない⁈』

『はぁぁ⁈』

『どういうこと⁈』

『だ〜か〜ら〜、北雷高校男子バレー部に入ってもらわないかって話!』

 その言葉に、今度は二人して真面目に聞き返してしまった。

『……は?』

『朱ちゃん、何言ってんの?』

『だって全国クラスだぜ⁈』

『いやいや朱ちゃん、女子だよ?』

『分かってる』

『川村、うちは男子バレー部だぞ?何言ってるんだ?』

『あ〜もう、話通じないな!アナリストで入ってもらえばいいんじゃないかって話をしてるの!』

 ガシガシと頭をかいてじれったそうに言った川村を見て、今度こそおかしくなったのかと思った。思わず、隣の野島と顔を見合わせてしまう。

『あ〜、二人ともアナリストって分かる?』

『名前くらいしか知らない……』

『ミコトはそうだと思ったよ。神嶋は?』

『何となく、だな。情報分析のエキスパートで、試合中に戦略の立て直しなんかもする。大学やプロチームにいるって話は聞くが、高校だと聞かないな』

『だろ?』 

 野島は心底不思議そうに川村に問う。

『だからどうしたのサ』

『他の学校に無いものがあれば、それは強みになる』

『それは単純すぎないか?それにアナリストというと、経験や技術、知識もいるだろう。加えてとても特殊な立場だ。元々プレーする側だった人間があっさり転向できるとは思えないし、そもそも接点が無い』

 神嶋の鋭い反論にも川村は怯まない。

『接点は凉と火野。アイツら、同じクラスなんだろ?引っ張って連れて来させればよくない?って思うんだけど?』

『朱ちゃん、それはさすがに脳筋過ぎると思うヨ……』

『でも動いてみないと何も変わんねぇし。やってみる価値はあると思う』

『仮に入ってくれたとして、何がどう得なのサ』

『まず、オレたちが自分で対戦校の研究をする手間が省ける。次に、まだコーチがいないからコートの外から見て客観的な判断が出来る奴がいれば助けになる』

『……他は?』

『一人でもたとえ中学の大会でも、全国を知ってる奴がいる。どんなスゲー奴らがいるのか、どんだけ上手くて積んできてる奴らがいるのか、それを分かってる奴がいるだけで十分戦力だろ?』

 神嶋は長い人差し指の先でトントンと机を叩く。川村をひたと捉える目線は冷静なように見えて、どこか熱を孕んでいるようにも見えた。

『……それは、俺たちが全国に行くために。という解釈で間違い無いな?』

『当たり前だろ!』


(入れない⁈……と言われてもな)

 そもそも女バレの無い北雷に来たということは、バレーを続ける気が無かったということではないのか。神嶋はそう考えた。そうでもなければ、全国クラスの学校でエースとして君臨していたプレーヤーがここに来るのはおかしい。

「神嶋」

 机がカツカツと軽く叩かれてそちらを見ると、野島がいた。

「なんだ?」

「すげえボーッとしてるけど大丈夫?」

 具合悪い?と首を傾げた野島の白い手には、キャップが金属製の細いペンが握られている。なんかこのペン見たことあるなと思った神嶋は、そう言えば川村が同じものを持っていたことを思い出した。

「……川村の言ってたことを考えてた」

「あ〜……、それネ。おれもちょっと考えてたヨ。神嶋はどう思う?」

「川村の言っていることは、そもそもの問題を無視していると思う」

「何ソレ」

「なんで北雷に来たのかと思わないか?全国クラスのスパイカーなら、スポーツ推薦の一つや二つ来たはずだ。なのにここに来た。何かしら、それなりの理由があるだろう」

 野島はテーピングの施された指でペンを回してから答える。

「故障。もしくは……、う〜ん、嫌いになった。あとは……」

「まだあるのか?」

「あ〜、あれあれ、イップス」

 そう言った野島は公式に数値を代入して計算を開始する。途中で間違えたようで消しゴムで消して書き直した。

「イップス……。それは考えなかった」

「イップスは原因も治療法も分かってない。挫折の理由としては十分デショ」

「川村はなんであんなに一生懸命なんだ。別にあの一年を入れなくても問題無いだろう」

 あ〜、その話しちゃう〜?と野島はニヤニヤと笑う。何が楽しいのかとそちらを見ると今度は至極真面目な顔で話し出した。

「純粋に朱ちゃんがあの子のファン?みたいな感じなんだよネ〜」

「は?」

「中学のときに偶然見た女バレの公式戦で、一六〇ちょっとの小さな子がすんごい速く走ってありえない高さまで跳ぶんだ。しかもそのときのトスを呼ぶ声がすごい。"良いの寄越せェ!"って言ってから走りこむ」

「それが、昨日の?」

「そういうこと。名前は分からなかったし、顔も見えなかった。でも、あの声だけはよく覚えてる。だから朱ちゃんも何となく覚えてたんじゃない?おれがセッターをやる気にさせるスパイカーだって言ったらオレもそうなる!って言い出して、それで今に至るって感じ」

 今まで聞いたことのなかった二人の話を聞いて、神嶋は不思議な気分だった。

 北雷の攻撃の主軸を担う川村・野島コンビは幼馴染みだ。同じ小学校、中学校を卒業し高校まで同じ。さすがに少し仲が良すぎるのではと思うが、それには二人なりの理由があるらしい。神嶋を始めとした他のメンバーは細かいことは知らないが、それが二人にとって重要なことなのは何となく察していたので誰も触れたことがない。

「……まあ、朱ちゃんの唐突な思いつきであることに変わりないけど、おれはアリだと思うよ。だって、全国行きたいんデショ?」

 まるで全部分かってるぞと言わんばかりの笑みを見せた野島に「そうだな」と言ってから言葉を繋いだ。

「とりあえずは、二年で話し合いだ。昼休みは食堂集合だな」

 そう言ったあとにタイマーが鳴り、答え合わせに入る。神嶋はろくに手をつけられなかったプリントに答えを書き込むべく、筆箱からボールペンを出した。




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