1章2話:目指すは全国
「あ〜、腹減った」
火野が弁当を広げながら言うと、目の前に座った凉が咎めるように話し出す。
「お前さ、海堂に絡んでたろ」
「あ、バレた?」
「あんだけ互いにデカい声出してりゃ目立つに決まってんだろうが」
唐揚げを箸で口に放り込んだ火野は極まり悪そうに頭をかく。
「いや、まあ、うん、そうか」
「で、結局どう言うことだったわけ?」
「怪我だってよ。事故で肩と膝やられたんだって。膝に手術の痕が残ってた」
それを聞いて凉は納得したように「ああ」と言った。
「だからこの時期にストッキングなんて使ってたんだな。冬物の印象があるから、春先に使ってるのが不思議だったんだ」
しばらく互いに無言のまま黙々と弁当の中身を食べていると、凉はふと思ったことを零した。
「どのくらいバレーから離れてるんだろう、海堂は」
「それも聞いた。中三になる前の春休みに怪我したんだって。だから、……一年とちょっとじゃないか?」
「一年ちょっと離れてて、それで体育のときみたいなきれいなレシーブが出来るもんなのか?あれは久我山さん並みだろ」
「……もしかしてさ、怪我が治ってから離れるまで、少し時間があったんじゃないか?」
「わざわざ女バレが無いってだけで北雷に来たのに?」
「あ〜……、まあ、そこは本人に聞いたほうが早くね?」
火野はそう言いながら卵焼きを咀嚼する。微妙に甘い。甘いなら甘いで、はっきり甘くしてほしいと思った。
「本人に聞くの?馬鹿なのか?」
「だってさ、オレたちがうだうだ考えてたところで仕方ないだろ?じゃあ本人に聞くのが早いじゃんかよ」
「いや、聞きにくいだろ」
「じゃあ気にしなきゃいいじゃん」
その言葉に、凉は思わず閉口した。火野は時々正論を叩き込んでくる。そして公正だ。しかも、彼は大体正しい。まだ同じクラスになってから一月も経っていないが、公正で真っ直ぐな奴だということだけははっきりしていた。中学時代はバスケ部のキャプテンだったらしいが、確かに納得だ。こうして正論で黙らされるけれど最終的には公正な判断を下すなら、誰も文句は言えないだろう。
「……でも、気になる」
「じゃあ聞けば?」
「ん……」
「この話、時間の無駄だぜ。止めとこう」
「そうだね」
「で、結局あの子が辞めた理由って分かったの?」
放課後、体育館で瑞貴が凉に問う。
「火野が聞いたんだけど、怪我だって」
ネットのポールを立てていた久我山がその話に入ってきた。
「いつ聞いたんだよ。早すぎねえ?」
「今日です。火野が体育のときに聞いてました。ただ、軽く怒らせたみたいで揉めてましたけど」
「アイツ怒らせたのかよ」
軽く笑った久我山はポールが差し込み口にちゃんと入っていることを確認してからその場に座り込む。
「ところで、どんな怪我したの?」
「交通事故で、膝と肩をやられたって言ってました。再起不能って話らしくて、それで女バレの無い北雷に入ったみたいです」
「うわ……。膝と肩か」
「手術したみたいで、痕が残ってるって火野が言ってました」
久我山の後ろからボールのカゴを運んで来た野島が
「イップスはハズレだったか〜」
と言い置いて倉庫に戻る。
「イップスって何すか?野島さん」
火野がその背中に質問を投げかけると、野島はネットを引きずり出してきながら大声で解説した。
「あれ?知らない?イップスっていうのは、スポーツをやっている人がある日突然、それまで出来ていたことが出来なくなること。もとはゴルフの分野で使われてた言葉なんだけど、最近は色んなところで使われてるネ。原因、治療法ともに不明だヨ」
「それになったら最悪っすね……」
端持って、とネットの片端を渡されてそれを持ったまま反対側のポールに紐をかける。
「プロもアマも関係ないから、おれたちだってならないとは言えないんだ。……あ、そういえば朱ちゃんが色々調べてくれたヨ」
「海堂についてですか?」
「うん。ねえ、朱ちゃん!調べてくれたんデショ?」
着替えて体育館に入って来たばかりの河村は一瞬何の話か分からなかったようだが、すぐに
「そうそう!すごい奴だったよ!やっぱり!とりあえずオレの話聞いて!」
とまくしたて始めた。
「そんなすごかったんですか?」
「すごいなんてモンじゃねえよ!」
川村は異常なくらい興奮していた。何の騒ぎかと部員たちが目線をやる。
「市立走水中学女子バレー部が三年前に全国優勝した。その年のエースが、海堂聖。昨日のアイツな?一年生のときに当時二年のエースを引きずり下ろして、最終的にはチームを全国優勝にまで導いた鬼才だ!」
「……え、アイツそんなにすごいんすか?」
「めちゃくちゃすごい」
「あ〜……、それは、上手いよな」
火野は驚くのも忘れたような様子でそう言い、凉と二人で顔を見合わせた。
「当時のネットニュースも調べたら出て来た。"鬼才、現る"だの、"バレーの神様の寵児・海堂聖"だの"コートの女帝"だの言われてたぜ。将来的には日本代表入りもあるかもとか言われてて、えらい期待されてたんだな。……まあ、こんなわけで二人に頼みごとだ!」
その言葉に二人は揃って川村の顔を見る。
「海堂聖を連れて来い」
「……連れて来い、というのは?」
「言葉のまま。ソイツを連れて来て、上手いこと言って入部させる。昼休みに二年で話して決めたんだ。一人でも、女子でも、経験したのが中学レベルだとしても、全国大会の出場経験を持つヤツがいたら心強いだろ?」
ニヤリとそれはそれは嬉しそうに川村は笑って、その内容を頭の中で反復した凉は思わず聞き返した。
「今、全国大会って言いました?」
「おう」
「どの大会で?」
凉がそう聞いたのには訳がある。高校バレーボールの主な大会は三つ。一つは夏のインターハイ。もう一つは秋の国体。最後は一月の春高である。国体は都道府県ごとにチームを組むため、通常の大会とは少し性質が異なる。ここ、神奈川県の男子の国体出場チームは、県四強と呼ばれる四つの学校から選手を選抜して編成される混成チームだ。
「アレだ、春高」
「はる、こう?」
火野は、頭の上にハテナマークを浮かべていた。凉の質問の意味も分からないし、そもそも春高ってなんだよ。そう思っていた。
「川村さん、春高って何ですか?」
「性質はちょっと違うけど、バスケのウィンターカップみたいなもんだ」
川村に続いて、ポールのそばで仁王立ちしていた神嶋の説明が入る。
「正式には全日本バレーボール高等学校選手権と言う。春高は通称だ。毎年一月上旬に開催される全国から選ばれた強豪が集まる大舞台で、注目度も高い。各県の代表は男女合わせて二校。基本的にはそれぞれ一校ずつだが、神奈川は二校が出場権を得られる」
「へえ……」
「神奈川には、県四強と呼ばれる強豪校がある。一昨年までは毎年各校がバランス良く出場していたが、一昨年以降、緋欧学院が枠の一つを独占するようになり代表決定戦は実質最後の一枠を争うような形に変わった」
「はあ」
「そして、俺はそれが気に食わん。緋欧が王者の座に座り続けているのが気に食わん」
真っ直ぐに結ばれている神嶋の唇が嫌そうに歪んだ。
「……え?」
火野はマヌケな声を出す。
「加えて、緋欧には俺が一番嫌いなヤツがいる。ソイツが負けるところを見たい。……越えてやりたい。よって俺は全国大会に出たい。この部を立ち上げたとき今の二年生には話したが、これはかなり本心で、しかも俺は本気だ」
そう言った神嶋の唇は真っ直ぐに結ばれ、二人を見る黒い目も今までに無く強く真剣な光を宿していた。
火野も凉も、他に三人いる一年生は全員驚いて口がきけなかった。頼れる主将のとんでもない一言が、普段の彼とのギャップのおかげで理解出来ない。この主将は今、嫌いなヤツが負けるところを見たいから全国大会を目指すという不純すぎる動機を口にしたのだ。
だが、彼らは知っている。
(神嶋さんは、冗談を言わない……)
加えて、後ろに立っている二年生も真剣な顔だった。これが冗談ならば、久我山か野島あたりが笑い転げているはずだ。
「不純なのは分かっているし、嘘でも違うことを言うべきかとも思った。だが俺は仲間に嘘をつきたくない」
だからと言って正直すぎるのではないか。そうは思ったが口にはしない。
「勝ちたい、上に行きたい。そのために、少しでも戦力が欲しい。よって彼女には、もし良いと言ってもらえたらアナリストとして入ってもらいたい。完全に俺個人の問題を持ち込んでしまっているが、全国に行きたいという思いは本物だ。だから、二人にも協力してほしい」
頼めるか。そう言って凉と火野を見る神嶋の目は、今まで見た中で一番必死だった。理由こそとんでもないが思いは本物だという言葉に嘘はないだろう。火野はそう思った。
「オレ、バレーはまだよく分かんないです。でもどのスポーツでも、上に行けば行くほど強いヤツらとやりあえる。強いヤツらとやり合うのは楽しい。楽しいってだけで深いところまでは見えてないけど、自分のこういう感覚に従って失敗したことは無いんです。やってる内に見えてくるものもきっと沢山あると思うんです。……だから、やります。みんなで上に行くために」
神嶋は嘘をつかない。それは凉は兄の瑞貴から散々聞かされていた。正しく言うと、嘘をつかないというよりも、つけないのだと。だから神嶋は信用できると。血の繋がった世界に一人の自分の兄が信用できると言っている。だから、信じよう。凉はそう思った。
「火野が今日話したときに怒らせたみたいなんで、ボクから言ってみます。警戒されていないかも」
「警戒って何だよ!」
自分の発言に噛みつく火野を無視して言葉を続ける。
「ボクは中学からバレーをやってますけど、全国なんて正直無謀だと思わないわけじゃないです。そんな簡単に行ける場所じゃない。目標にも理由にも驚きました。でも、行ったら見える世界は変わりますよね。それって何か面白そうですから」
軽く笑ってみせると、神嶋の後ろの瑞貴がフッと笑うのが目に入る。その顔がムカつくから今日の夕飯のおかずを一個取ってやろうと思ったのは内緒だ。
「よし、頼むぞ」
凉と火野の言葉を受けて神嶋は安心したように表情を緩める。そのとき、四時を知らせるチャイムが校舎のほうから聞こえた。
「よし!ミーティングだ!整列!」
副主将の能登の号令に、神嶋と能登の前で部員が肩を並べる。総勢十二人。小さな生まれたばかりのバレー部が目標に向けて少しずつ、本当に少しずつ、それでも勢い良く動き始めていた。
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