不運と絶望と不完全燃焼
1章1話:私立北雷高校男子バレーボール部
約一年後、私立北雷高校旧体育館にて。
「よォし!十分休憩!」
体育館の中に号令がかかるとそれまで練習していた部員たちがその場に座り込み出す。
「うおお疲れた〜」
「誰か俺の水筒取って〜」
「タオルが遠い」
「腹減った〜。何か食いてえ〜」
七人くらいがそう喚いている横で、死体のように横たわる姿が五人分。それを見た色黒の青年が声を上げて笑った。
「うはは!一年が死んでる!」
「うわ、クガちゃん趣味悪いね」
「久我山サイテーだな」
「人として終わってる」
矢継ぎ早な悪口に久我山は怯まない。げらげら笑っていると、その間に一番背の高い青年が五人分の水筒を持って歩いて来る。
「ほら、水分補給しろ」
死体のようになっている一年生たちを雑に起こして、その手に水筒を押しつけていく。
「ありがとうございます……、神嶋さん」
膝に黒いサポーターをした色白な青年が両膝の間に向かって俯いたまま受け取り、残りの四本を同級生に回した。
「おい、みんな受け取れよ。神嶋さんが持ってきてくれたぞ」
「無理〜、もう動けない」
隣で横たわっていた火野がそう言うと、立ち上がった神嶋は意地の悪い笑みを浮かべて残酷な言葉を投げつける。
「この後、お前は百本レシーブだ。覚悟しておけよ」
「今日がオレの命日っすかね……」
ぐったりとしたままの火野を、水筒を回した青年が足先でつつく。
「お前毎日死んでんじゃん」
「うるさい」
「てか先輩がマンツーマンでレッスン付けてくれるんだからいいだろ」
「いや〜……、そうだけど……」
うだうだと言う火野の髪はゆるい癖毛なので、頭を動かす度にわさわさと形を変える。
「レシーブのレベルがザコなんだから練習するしか無いじゃん」
「あ〜、鈴懸凉節は聞き飽きました〜」
ハァ?と凉は顔をしかめる。
「下手くそが喚くなよ」
「ゔぅん」
痛いところを突かれたと言わんばかりに唸った火野を見て神嶋は軽く笑うと、床に転がしていた青と黄色のボールを掴む。乾燥でひび割れた薄い唇が弧を描いた。
「バスケでも、アリウープをやろうと思えば練習しかないだろう?それと同じだ」
「アリウープなんてオレはやったことありませんて」
「ものの例えだ」
そう言った神嶋はエンドラインに立ってボールを宙に放り上げる。放物線を描いて落ちていくそれに合わせて走り踏み、跳んだ。瞬間、バン!ともバシン!とも言えない音がしてボールが床に叩きつけられる。……はずだった。
「しまった!」
「うぉい!神嶋!」
「このノーコン野郎!」
神嶋が力いっぱい叩きつけたボール派手にバウンドして、運悪く開け放たれていた扉から外へ出てしまった。しかも飛んでいく。飛んで行った先にレシーブできる人間がいるとは限らないので、最悪グラウンドの野球部員にぶつかるだろう。
神嶋は焦って体育館から飛び出す。四月下旬の青空を舞ったボールは、どこにも落ちていない。しかし、グラウンド脇に植えられた木の下に人影があった。そちらにボールが飛んでいく。
「危ないッ!」
そう叫んだ瞬間、ボールはその人物の腕で弾かれ、スピードも回転も完璧に殺されてから一旦宙に浮き、その手に収まった。
「鈴懸凉君はいますか?担任から、彼に渡して来るように、頼まれたものがありまして」
神嶋を捉えた目は驚くほど静かで、山の中の湖のようだった。
「います。あと、ボールありがとう」
「今、渡しに行っても大丈夫ですか?」
「大丈夫です」
「……とんだノーコンサーブでしたね」
神嶋にボールを手渡すと、それだけ小さく言って彼女は体育館の扉に向かって行く。近づいて初めて分かったが、彼女はそれなりに身長が高かった。神嶋から見ると小さいが、恐らく百七十センチ近くあるだろう。
(女子にしてはかなりの長身で、しかもあのレシーブの腕前。……と言うことは、経験者か?)
彼女を追いかけて体育館に戻りながら、疑問を覚えた。
(なぜあんな腕前なのに、女バレの無い北雷に……?)
体育館に戻ると、ニヤニヤと笑っている指に厳重にテーピングを施した青年に軽いパンチをかまされた。
「神嶋ァ〜、ノーコンにも程が無い〜?」
「野島、うるさい」
正セッターの野島尊である。
「ヘイヘイ神嶋ァ〜!調子乗ったな!」
別方向から今度はタックルされるが神嶋の姿勢は揺らがない。
「黙れ、瑞貴」
「てかあの子誰?」
「分からん。だが、話を聞く限りでは凉と同じクラスらしいな」
「ふ〜ん。で、あの子がボール取ってくれたの?」
「ああ。見事なレシーブだった。回転もスピードも完璧に殺してた」
神嶋と瑞貴と久我山の目線の向こうにいる彼女は、凉にプリントの挟まったバインダーを渡してから体育館から立ち去る。
「凉、今の子、誰?」
兄の瑞貴にそう問われて、凉は何でもなさそうに答えた。
「同じクラスの、海堂聖ってやつ」
その言葉にネットの側に立っていた茶色がかった髪の青年が首を傾げる。
「な〜んか聞いたことある名前だな。知ってる…….、ってほどじゃないけど、ほんとに聞き覚えはあるんだよな。何だっけ、どこで聞いたんだっけ」
川村がそうブツブツ言っていると近くにいた高尾が助け舟を出すように問いかける。
「同じ中学だったとかは?」
「それは無い。神嶋の話を聞くと経験者っぽいだろ?うちの中学、女バレ無かったから。ただ、近所にすげえ強豪がいた」
「なんてとこですか?」
「走水中学ってとこ。確か一昨年、全中で優勝したはずだ。もともと全国クラスの学校だったから、走水でバレーやりたくて越境する奴もいてさ。同い年の幼馴染みが走水にいたんだけど、ソイツの一つ下の代にバケモノみたいな奴がいたんだって。中一の秋にスタメン入りして、春休みにはエースナンバーもらったらしいぜ?」
その話に体育館の中が騒がしくなったが、神嶋の「ランニング行くぞ!」という一言で全員が動き出す。
『……とんだノーコンサーブでしたね』
神嶋の脳裏にその言葉が反芻されて、神嶋は恥ずかしくなる。
(絶対ヘタだと思われたな)
人間調子に乗るものではないと思った。
(久々にボール触ったな……)
家に帰って靴を脱いだ海堂はそう思った。青と黄色の、両手では収まらない大きさのそれを約一年ぶりに触った。あの感触に懐かしさが込み上げる自分に苦笑いする。
あの怪我で部活を辞めてから、家にあったバレー用具は全て捨てた。ユニフォームは返しボールとサポーターは捨て、試合動画を焼いたCD類は棚の奥にしまい込んだ。
——見ると、またやりたくなってしまうから。その度に出来なくなったと思い出し、むなしくなってしまうから。
「あ、聖じゃん。お帰り」
リビングに入るとサッカーのクラブチームのユニフォームに身を包んだ弟がいた。
「ただいま。……もう行くの?」
リュックを下ろしてそう聞くと、弟は軽く頷く。
「早めに行ってアップ長めに取りたくて」
「怪我しないようにね」
「分かってる。母さんの帰りは八時過ぎだって。でも兄ちゃんが七時過ぎくらいに来るって言ってた」
「分かった。ありがとう」
「そうだ、聞いて!オレ、次の試合はスタメンで入る。どうせ暇だろ?見に来いよ」
「は?スタメン?翔が?」
「そう。監督が、この間の試合の動き褒めてくれて、次の試合は何回もやってるチームだからそこに隠し玉で入れるって」
そう言ってから嬉しそうににんまり笑った弟を玄関で見送り、制服から私服に着替えることにした。
黒いストッキングを脱ぐと、膝に残った手術痕があらわになる。夏の間はどうやって隠すかが課題だと考えているが、今のところ解決策は見つかっていない。体育の授業だっていつまでも長いジャージでは暑いし、夏になればストッキングをはくわけにもいかない。
(どうしようかな……)
そう言えば事故に遭ったとき腹部も縫ったので、そっちにも手術痕がある。肩も縫ったから水泳の授業ではラッシュガードが必須だろうなと思った。自分で見てもゾッとするようなこの身体を人前に晒すのは、ちょっとまずい気がする。
洗濯機にシャツを放り込み、つけっぱなしになっていたテレビのチャンネルを回すとバレーのプロリーグの試合の生中継がやっている。どうやら第二セットが始まったばかりらしい。何だか今日は、やけにバレーと縁のある日のようだ。
何となくソファーに座り試合を見始めるとそこから動けなくなる。目がテレビに釘付けになって、時間も忘れて見続けた。
実家に帰って来ると、妹の靴はあるのに顔を見せる様子が無い。課題でもやっているのかと思いつつリビングに行けば、ソファーに座ってテレビを見ている。声をかけても聞こえていないようで、妹の目は画面に釘付けだった。何を見ているのかと思えばそれはバレーの中継で、これは周りが見えなくなるわけだと納得してしまう。さすがに台所をいじり始めたら気がつくだろうと思いながら、吟介はスーツのジャケットを脱いで夕飯の支度を始めた。
ふと気がつくと台所から水音がしてそちらを見る。見慣れた兄の後ろ姿があって帰って来ていたことに気がついた。「兄さん来てたの?声かけてくれれば良かったのに」
「テレビに釘付けだったから、声をかけたところで聞こえないだろうと思ってな」
スウェット姿の兄が台所をせわしなく動き回る姿はここ数年で見られるようになった。
「学校は?慣れたか?」
「まあそれなりに。校舎が大きいから、中の構造がまだちゃんと分かってないけど。あとそれ、色んな人に言われるよ」
「まあ月並みで振りやすい話だからな」
野菜室から出してきたニンジンをザクザクと切っていく。吟介の料理はまずくないが、具材が大きいので食べにくい。
「部活は?そろそろ本入部だろう」
「……まあ、いいかなって」
「そうか。じゃあ勉強だな」
「勉強……、ねえ」
とりあえず、見ていないで手伝えよ、とそう言おうとしたとき小さく声が聞こえた。
「今日、バレーボール触ったんだ」
こういうとき妹は答えを求めていないことを知っているので何も言わずに手を動かす。
「コントロールが全然されてないボールが飛んできて、何も考えずに腕を出してた。ブレザー着てたのに、ボールがきれいに上がったんだ。回転も、スピードも、全部殺せた」
火にかけた鍋の水が沸騰し始めたようで、蓋がカタカタ言い出す。
「もう跳べないのに、腕だって肩から後ろには回せないのに……」
蓋を開けてほうれん草を菜箸で持ち、湯にさらす。すぐにザルに移して水を浴びせた。
「兄さん、バレー、したい」
海堂は唇を噛み締める。まるで続きを言いたくないと言わんばかりの行為だったが、それは意味をなさなかった。
「また、したいよ。出来ないのに」
零れた言葉は、フローリングの床に落ちてぶつかる。誰にも何にも拾われずに落ちて、そのまま潰れて、消えてしまった。
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