4章9話:第一セット終了

 サンショーにサーブ権が渡り、ボールを持ったのは後衛に回った柳原である。

(くそ、サーバーは柳原かよ……。この状況だし、サービスエース狙いで来るか……⁈)

 久我山は内心でそう舌打ちした。先ほどのスパイク並みの威力で打ち込まれれば拾えない。恐らくは、ノータッチエースを許してしまうだろう。しかし、久我山のプライドはそれを許さない。守備に特化したリベロとしてコートにいる以上、最後の砦は自分であると思っているからだ。

 二十三点対二十二点のこの局面は、正に試合の大詰め。追い上げ、追い上げられるこの局面でこそ、自分の真価が問われると久我山は信じている。

 審判の笛が鳴りサーブが上がった。際どいコースでライン際を狙っている。

(予想通り!)

 久我山はそちらに向かって走る。信じられないほど重いサーブに驚きながらレシーブする。上がったボールを野島が追って、両手に収めた次の瞬間にはスパイカー陣が助走に入っていた。

「ブロック三枚!」

 トスが上がる。川村と神嶋が見事な空振りを披露し、最後に本命の能登がスパイクを打つ。巧みに操られたボールは相手ブロッカーの指先に当たり弾き返された。

「チャンスボール!」

 ベンチからの声が上がる直前には、久我山は凄まじい勢いで方向転換を済ませてボールを追う。

(柳原のサーブとスパイクは一筋縄じゃいかねえが、味方の弾き返させたボールなら無理なく拾える!)

 床に落ちる前に両腕で受け止め、再び野島に送る。トスが上がりスパイカー陣が助走に入る前にはその後ろに待つ。

「ブロック二枚!」

 今度の本命は川村。エースの看板を背負う強気な男の渾身の一発が、見事にサンショーのブロックを突き破った。

「ナイスキー!」

 だがそれをすんでのところで小平が上げ、東堂に渡り、そして柳原の右手に吸い付いていく。数秒後、再び柳原のスパイクの轟音が鳴り響く。鋭さと速さの増したそれにはさすがに反射神経が追いつかない。

 ピピ!と笛が鳴って得点板がめくられる。三浦商業と書かれているところの下に「二十四点」と数字が増えた。

「すまん!無理だった!」

 そう謝ると

「次だ!次!」

「まだまだァ!」

「次取るぞ!」

 と声が上がる。久我山は思わず小さく笑った。

(こんな最悪な状況で、しかも相手のエースめちゃ強いのに誰も諦めてねえとか……。ホント良いとこ入ったよなァ、俺!)

 顎を伝う汗を拭った。

「さすが能登さん、良い判断だ」

 ベンチに座った海堂はそう言った。

「相手のエースのスパイクとサーブを上げられない状況を考えて、ブロックアウトに切り替えた」

 パソコンのキーボードを叩きつつ、目は伏せ気味なまま海堂は続ける。

「自分がブロックアウトを狙えるという絶対の自信があり、なおかつ後ろの仲間が必ず拾ってくれると信用しないと出来ない。今のプレーは、まさに二年生が練り上げて来た信頼関係と長い練習時間の賜物だ」

 それを聞いた火野の腕に鳥肌が立った。蒸し暑い体育館にいるはずなのに、ゾワゾワとした冷たいモノが背中を走る。言いようのない興奮が血管を走り、全身を巡る。

「先輩って、すげえんだな」

 火野の言葉に高尾が頷く。

「一年早く生まれただけなのに、先輩って、こんなにすごいんだ」

 コートの中で何か言葉を交わしている横顔は見慣れた横顔だ。だが、それが今は頼もしく思える。重ねてきたモノを感じさせる動揺を浮かべない横顔、冷静に言葉を交わせるだけの経験値。身長だけで言えば一年生に劣るメンバーもいる。だが、その背中の広さは違うのだ。

 

 審判の笛で試合再開。全身にあふれんばかりの闘志を纏った柳原の目は、獲物を目の前にした肉食獣のようにギラついている。

「サンショー!サンショー!」

「やーなぎはら!やーなぎはら!」

「ヤナさんナイッサー!」

「行けええええええ!」

 サンショーの「柳原」コールと、コートの中から上がる声が熱気でサウナのようになっている体育館に割れんばかりに響く。

「どこにでも打ってこいやァァア!」

「さっこォォォい!」

「だっしゃぁぁぁぁぁぁあ!」

「ナメんじゃねえぞドあほ〜〜!」

 北雷側も負けじと声を張り、万全の構えで待つ。一部関係なさそうな声を上げていてケンカでも売っていそうなのがいくつかあるが、実はこれは海堂の指示であった。


『とりあえず、声も出しましょう』

 試合前日、練習後のミーティングで海堂はそう言った。

『映像を見て分かっている通り、向こうの応援は人数も声も凄まじい。ろくにギャラリーのいないウチはそういう意味でも相当不利です。なので、サーブレシーブのときには自分たちを強気にさせるくらいのつもりで何でもいいので叫んでください』

 相変わらずの要求に何人かが首を傾げる。

『とは言っても、何を叫びゃいいんだ?』

『何でもいいたってなあ……』

 能登と瑞貴の言葉に、少し考えてから海堂が口を開いた。

『打ってこいやこのヘタクソ!』

 あまりの声量に周りはギョッとする。普段声を張らない分、驚きが大きい。しかも内容が内容である。

『とかどうですかね』

 いつもの声の大きさに戻った海堂は至極真面目な顔でそう続ける。

『いや、ヘタクソはまずいんじゃ……』

『まがりなりにも県四天王にヘタクソはちょっと……。イキってる恥ずかしいクソ野郎感すごくね?』

『さすがに内容が……』

 数々の疑問の言葉に海堂は困ったように頭を掻く。

『すいません、ちょっとレパートリーが無くてあんまり……』

 そう言ってからまた口を開いて息を吸った海堂は凄まじい声量で叫んだ。

『ナメんなボケナス!皮はぐぞ!』

『いや口悪すぎ⁈てか逆らったら横須賀の米軍基地に沈められそう!』

『ボキャブラリーがヤクザ!』

『ひどいな!お前ヤクザか⁈』

 これまたダメ出しを食らった海堂が口を開こうとするので慌てて神嶋が抑える。

『チャリ部と野球部に聞こえるから!ウチはただでさえ先生の覚えが悪いんだ。勘弁してくれ』

 神嶋のあまりに切実そうな言葉に海堂はすんなりと黙った。男子バレー部が先生の覚えが悪い理由はいくつかあるのだが、それはここでは割愛しよう。


 そんなこんなでガラの悪い関係の無さそうな掛け声を上げた北雷の二年生達だったが、実は心の中では限界まで緊張していた。

 何せ相手は県四天王。数多い学校がひしめき合う激戦区神奈川県の中でも、燦然と輝く成績を残す歴戦の猛者である。それを相手取って普通にしていろというほうが無理な話。だが、彼らはそれを顔には出さない。

 負けたら終わりのトーナメント戦を勝ち抜くためにという硬い意志と、後輩の手前情けないことは出来ないというプライド。それだけが、彼らの心を支えていた。

 だが同じく、意志とプライドだけが心を支えている男が、ここにもう一人。

(……このセット、必ず俺が討ち取る)

 県立三浦商業高校エース、柳原将司。県内屈指のパワー型プレーヤーであり、強豪校にありながらも「不作の世代」と呼ばれ不遇の数年間を過ごしてきた男。実力そのものは十分にあったものの、発揮する機会を失い続けてきた。

 相方となったはずの同学年のセッターを事故で失い、主力としての本領を発揮出来ず、後輩の言葉に奮い立たせられた。

(俺は情けない男だ。エース失格と言われても仕方がない。真田の言葉が無かったら、ここまでいられたかも分からない。でも、だからこそ、ここでサンショーの夏は終わらせられない!)

 再び全国の晴れ舞台へとサンショーを率いて行くのは自分の役目と信じて疑わないこの男は、今、研ぎ続けてきた牙を徐々に剥き出しにし始めていた。

 柳原は北雷のコートを細い目で見つめ、ボールを持ったまま助走に入る。幾度となく繰り返した動作。幾度となく繰り返したシュミレーション。バックスイングが鳥の翼のように閃き、相手コートの空白がくっきりと見えた。

(リベロとセッターの間、俺から向かって、コート左側のエンドライン!)

 照準を定め、右腕を振り下ろした。ボールが爆発音めいた音をさせ、床に叩きつけられる。あまりのスピードと威力に、北雷側は誰一人微動だにしない。跳ね返ったボールは、防球ネットを倒して派手な音をさせた。

 歓声の中サンショーの得点板の数字が一つ増え、「二十五」と無慈悲な数が刻まれた。第一セット終了の笛が、鳴る。


 

 

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