4章10話:言葉

第一セット終了後の北雷のベンチは紛糾した。

「柳原のスパイク取れねえって!マジでこれ無理だって!」

「そんなん言ったって向こうの主力なんだから意地でも取らないとあっという間に負けんぞ⁈分かってんのか⁈」

「じゃあお前なら完璧に拾えるっていうのかよ!」

「ていうか向こうのブロック、マジでどうなってんだ。どこに打ってもついて来る!絶対弾かれるか捕まるかの二択だろ!」

「力任せにやってんじゃ話にならない。もう少し頭冷やしてさぁ……」

「ならお前がやってみろよ!」

「やってんだろ⁈」

 第一セットを獲られるという事態に動揺が収まらない。海堂以外の一年生は、珍しく声を荒げて衝突し合う剣呑な雰囲気の二年生におろおろするばかりだ。

「てかさ!ウチのブロックどうなってんの⁈もうちょい勢い削げねえわけ⁈ブロックの役割果たしてねえじゃん!」

 川村がそう言い、キツい語調と鋭い目線を神嶋に投げかける。

「あの勢いを指で触ったら怪我する!そのくらい分かってるだろ⁈」

 それに反論した神嶋も機嫌が悪い。

「分かってるよ!でももう少しやりようねえの⁈お前ミドルブロッカーだろ⁈自分の仕事ちゃんとやれよ!」

「川村、お前、俺が仕事をしてないって言いたいのか……⁈」

 ついに神嶋が川村に掴みかかる。

「ずいぶん偉そうに気楽なこと言ってくれるなぁ⁈ええ⁈」

「あァん⁈テメエが止められてねえのは事実だろ〜が!」

 神嶋の言葉に噛みつくように返し、吐き捨てるように笑う。

「朱ちゃん!神嶋!止めな!」

 野島の制止も聞かず、川村は声を荒げた。

「うるせえ!ミコトは引っ込んでろ!テメエにゃ関係ねえだろが!」

「……ッ!」

 野島が相方の言葉に顔を歪める。

「川村!お前、ブロックに捕まりまくって腹立ってんのか⁈情けないエース様がいたもんだなァ!」

 神嶋の皮肉めいた鋭い言葉が川村を抉る。互いに襟首を掴み睨みつけ合い、鍛えた腕には力がこもっているせいでビキビキと筋が浮いていた。さらに川村が言い返そうとしたそのとき、腹の底まで響く声が上がった。

「いい加減にしなさい!」

 その方向には、ベンチに座ったままの海堂がいる。三白眼は伏せられていたが、明らかな怒りが全身を覆っていた。

「何をいがみあってるんですか!そんなことして勝てますか⁈そんなことを、いつ私が言いましたか⁈」

 それから立ち上がった海堂は神嶋の手を川村のユニフォームの襟から離す。その目を見る海堂の視線は普段の数倍鋭かった。

「人に怪我をさせるために手を使おうとするなんて、バレー選手失格です。ましてや、チームの手本となるべき主将にそんな振る舞いは許されない!」

 乱暴な言葉ではない。だが、強い口調で言われた言葉に神嶋の頭から熱がサッと引いていく。

「川村さんのその態度も、十分エース失格ですよ。思うことがあるなら、正しい言い方にしてください。同じチームのメンバーに対するあの態度……!最悪そのものです!それが分かる程度の頭はあるはずでしょう!」

 エース失格、の一言に頭が冷える。そしてそれまでの自分の言葉を反芻して、一気に恥ずかしさが押し寄せた。二人の顔を見た海堂は、続けて厳しく言い放つ。

「二人とも自分のやらかしたことの重大さを理解したようなので、まずはお互いに謝ってください。第二セット対策はその次ですよ」

 まるで教師のような言葉だったが、二人は素直に従った。

「ごめん……。イライラしてた」

「俺こそ、勢いのまま掴んで悪かった」

 それを見届けた海堂は、満足げに頷く。そして川村の目を見て首を傾げて見せた。

「あなたには、まだもう一人謝る相手がいるんじゃありませんか?」

 川村は太眉を八の字にして幼馴染みを見る。首筋をガシガシと掻いてから罰が悪そうな顔のまま勢いよく頭を下げた。

「ごめん!言いすぎました!」

「……コンビニの」

 野島の声に川村は少し頭を上げる。周りも意外な単語が飛び出してきたのでぽかんとしていた。腕を組んだ野島は唇を尖らせたまま続ける。

「朱ちゃんの家からすぐのとこにあるコンビニの、海老カツサンドとコーヒー牛乳。あとカットフルーツの詰め合わせ」

「はい、喜んで」

 意味は分からないが、何かの約束をしたらしい。野島はいつもの顔に戻って海堂に告げる。

「海堂、もう大丈夫だヨ」

 その言葉に、一年生は心なしかホッとした。


「皆さん、第一セットお疲れ様でした。とりあえず負けましたね。ですがこれは予想の範囲内。ここから本格的に修正をかけていきます。まずは、一番の問題である柳原対策」

 海堂は脇に置いていたボードを取り上げてそれをベンチを囲むメンバーに見せる。

「これが第一セット開始前に提出したラインナップシートです」

 ラインナップシートとは、試合開始前に提出するスタメンの背番号とポジションの書かれた紙だ。ここに書いた通りにサーブを回さないと、反則となって相手チームに一点入ってしまう。

「第一セットは神嶋さんには前衛ライトに入ってもらいましたが、後衛ライトに入れ替えます。柳原のサーブ対策のためです」

 それから海堂はラインナップシートを持ったまま続けた。

「そして、空いた前衛ライトに瑞貴さんを」

 すると、瑞貴が不安そうに声を上げる。

「あのさ、この空気の中で言うのもアレなんだけど、俺、柳原のサーブ取れる自信無いよ?てかそれは海堂が分かってるよね?」

「もちろん、把握済みです。だからこの位置に動かすんですよ」

「……え?」

 何を言っているんだと言わんばかりの瑞貴の表情にも構わず、海堂は淡々と説明を続けた。

「この位置に動かすと、初めにブロックの仕事をすることになります。そのあとローテーションした場合、瑞貴さんはすぐに後衛に行く。ということは、サーブを打った後にリベロとの交代が出来るようになるんです」

「でもさ、だったら俺は後衛センターにいたほうが良くない?」

「ダメです。そうなるとブロックの仕事が出来ないし、初めから久我山さんをいれれば済む話になってしまう。瑞貴さんのブロックはチームに必要なんですよ」

「ん、なるほど……」

 瑞貴を黙らせてから、海堂は今度はパソコンの画面を見せた。

「そして肝心のサーブレシーブですが……。基本のW型を意識してください。初めは神嶋さんと能登さんの二人がサーブレシーブをやることになりますね。経験も長いのである程度のレシーブの技能は期待していますが、そうなると厳しくなるのが攻撃。能登さんか神嶋さんのどちらかは、確実に攻撃に参加出来ない。シンクロを使うのは厳しいと思っていいでしょう」

「つまり、おれのセットアップの腕がいつもよりも問われるわけネ」

 野島が汗をタオルで拭いながら言い、それを海堂が肯定する。

「その通り。腕の見せ所ですよ、正セッターさん」

「ん〜、頑張ります」

 半笑いでそう言って塩分チャージのラムネを噛み砕いた。

「そして、川村さんには何が何でも向こうのブロックを突き破ってもらいます。全力でケンカ売りに行ってください」

「ケンカ?いいぜ。オレはケンカもそこそこ強いし」

「主にやり合ってたのはおれだから強くて当然じゃない?」

「ミコト!空気読んで!オレただの恥ずかしいイキリ野郎になっちゃうから!」

 ようやく普段の調子を取り戻した川村に、一年生の空気が緩む。

「今は劣勢だが、何とかして第二セットは獲ろう。それで、続けて第三セットも獲る。楽しむことも勝つことも忘れずに、北雷のバレーをやるんだ」

 普段の落ち着きを取り戻した神嶋の言葉に全員が頷く。

「向こうも俺たちも負けたらお終い。だからガチで来られて当然だし、逆に言ったらガチで来ないと無理だって向こうが思ってるくらいの認識をされてるってことじゃん?てことはよ、俺たちは向こうが警戒するレベルなんじゃね?って思うとちょっと何て言うか良い気分〜、的な?」

「能登さん、良いこと言ってんのに語彙力が死んでるからバカっぽく聞こえますよ」

 高尾のキツめのツッコミに、北雷のベンチにドッと笑いが起きた。

 

 一方、サンショーのベンチでは。

「みんなお疲れ様!とりあえず、暑いからまずは水分補給しようか!」

「ありがとう、あっくん」

 水無の回したボトルを受け取った高階はそう言って同時に渡されたタオルで顔を拭う。

「あっちい……。やっぱ、さすがにこの気温はきっついわ」

 その言葉に近くの古湊も頷く。暑さのせいで疲労度も高い。スタメンのげっそりした顔とその言葉に水無は素早く提案する。

「保冷剤使う?首回りとか冷やしとく?」

「おお!マジか、ありがたいわ」

 クーラーボックスから取り出された凍ったままの保冷剤がスタメンに回される。それを受け取った彼らは

「うお、つめて〜!」

「直接当てると痛え!」

 だのと口にしながらその冷たさを堪能する。外から聞こえるセミの声が、体育館の中の暑さを強調するようだった。

「お前たち、第一セットよくやった」

 監督の木島が話し出し、一同は塩分チャージのラムネを口の中で噛み砕きながらそれを聞く。

「特に真田、柳原は主力の意地を見せたな。真田は冷静さを欠かずによく対応した。自分の欠点を補えるようになってきたな。進歩が見える。第二セットもこの調子でいけよ」

「ありがとうございます!」

「うん、喋るのはラムネを食い終わってからにしなさい」

 勢いよく返事をした真田に、木島は渋い顔で言った。それに三年生が苦笑いし、真田の背中をからかうように叩く。そして木島は次に柳原の顔を見た。

「柳原、お前も進歩したな。去年のお前なら最後のサーブは安パイを取っただろう。だが今回は勝負に出た。エンドラインすれすれを狙ったパワー重視のジャンプサーブ。自分の強みを最大限に引き出せるプレーを選択し、かつ成功させた。さすがウチの三年と言ったところだ」

 木島の重みのある言葉に、柳原は低い声を喉の奥から押し出す。

「……今年が、本当に最後です」

「……」

「俺が、今度こそ、サンショーの強さを日本中に見せつけます。それがこれまで情けなかった俺の、最後の仕事です。エースとして、三年として、俺が何としても勝たせます。そのためには、ここぞと言う勝負どころにビビっちゃいけねえ」

 細い目には強い光が浮かび、ギラついていた。見る者が見れば怖く思うそれは、柳原の固い決意の表れだった。

「第二セットも全力で北雷を潰します。それが、これまで俺が全う出来なかった本来の仕事です」

 その言葉に古湊と高階が頷く。柳原が全う出来なかった仕事は、彼らも全う出来なかった仕事だ。

 すると、少し間を空けてから高階が木島に頭を下げた。

「監督、遅くなって、すいません。あと、ありがとうございます」

 古湊もそれに従い、水無も小さく一礼する。

「これまでろくに結果を出せず、ベンチに下げられても仕方のない俺たちを、OBの反対も気にせずにスタメンのままにしてくれた。俺たちのポテンシャルを信じてくださってのことだと、最近コーチから聞きました。今年こそ、必ずサンショーの名にふさわしい結果を出します。遅くなって、本当にすいませんでした」

 これまでの二年間と少し、辛酸を舐め、プライドを傷つけられ、血を吐くような思いで崩れ落ちそうな互いを支え合いながら歩き続けた。「不作の世代」と嘲笑われ、サンショーのレベルを下げる最悪の連中と言われてきた。そんな四人の三年生をまとめる意思は、たった一つ。

「後輩たちに、同じ思いはさせない」

 自分たちと同じ思いはさせない、させたくない。限界まで苦しみに喘ぎ、全身血塗れになりながら歩くような真似はさせたくない。せめて、自分たちより少しだけ楽な道を。

 その一歩が、今年のインターハイで全国大会に出ることだ。進級するときに決めた、三年生四人の総意。全ては、この先の未来に繋ぐために。


「ふ〜ん、今年のサンショー、けっこう良いじゃん。エースの立ち上がりも良いし、あのセッター君も去年の秋より上手くなってる。チームが浮き足立たなくなってて、全体的に落ち着きが出てる印象」

 スポーツバッグから取り出したペットボトルの蓋を開けながら、堅志はそう言った。体育館の二階も、ギャラリーの多さのせいでかなりの暑さだ。

「とは言え、歴代最強布陣の今年のウチには勝てないかなぁ。秦野とニシハコを抑えるあたりまではいけそうだけど」

「秦野かニシハコ抑えられたら、神奈川じゃあ上出来だろ」

「でもさ、秦野とニシハコ抑えても二位じゃん。結局アイツらは、一番にはなれないわけよ。……ま、しょうがないか、オレがいるわけだしねえ」

 整った顔に酷薄な笑みを浮かべ、堅志は肩を揺らす。

「相変わらず感じ悪いヤツだな、お前は」

「その感じ悪いヤツのセットアップが無くちゃ勝てないくせに」

 突き刺すような一言に、和也は少し迷うような素振りを見せてから口を開いた。

「……バレーについては、信頼してる。お前より上手いセッターは今のところ知らねえからな。でも、それ以外でどうかって言われると正直微妙だぜ」

 暑くなったので、和也は上に着ていたジャージを脱ぐ。下に着ていた黒いTシャツに覆われた身体の逞しさが服越しにも分かった。

「中間考査、英語と古典と世界史が赤点で他はスレスレだったろ」

「ちょっと、それは言わないお約束」

 辛口の一言をいなそうとするも、和也はそれを許さない。

「英語が出来ないで何が将来的には海外リーグに挑戦、だ。世界規模で成功したきゃァ、ちったあマジメにやれ。女癖も悪いしよ〜。今の彼女だって今年入って何人目だっつ〜の」

 和也はスポーツバッグから取り出して手に持っていたペットボトルを堅志に向け、太い眉をギュッと寄せた。

「え〜?五人目?」

 その険しい顔つきにも怯まず、堅志はへらりと笑って逃げる。

「七月頭で五人目って大体の一ヶ月に一人の頻度じゃねえか」

「だって向こうから来て向こうからいなくなるんだもん。来る者何とか去る者何とか、だよ」

 もっともそうな顔で言うのを見た和也は嫌そうな顔で舌を出し、それからさらにキツイ一言をお見舞いした。

「来る者拒まず、去る者追わず、な。ポンコツクズバカアホセッター。せめて母国語くらいまともに話せろや」

「う〜わ、ひっでえ」

「うるせえ、黙れ。そろそろ第二セット始まンぞ」

「お、ホントだ」

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